2011年7月26日火曜日

鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』 3章

鈴木鎮一『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』
(講談社現代新書、1966年8月)
※印は栗木によるコメントです。

◆3章 非凡への道

非才を嘆くは愚」76

※非才を何とも思わず、
 あっさり諦めてしまうよりは、
 まずは大いに嘆いたほうがよい。


なんというみじめなことだ。
 才能もないのに、毎日努力をしている。
 さきの見えているこんな努力が、
 いったいなんの価値があるのか。
 自分には、内部からわき出る才能がないのだ。
 この辺で投げ出してしまうのが、
 おのれを知ることではないか。
』77

※時にはそう思うこともある。

 みな自分なりの壁につき当たって、
 もがき苦しんで、
 どのようにして、
 その壁を乗りこえていくのかに、
 その人の真価が問われているのだと思います。
 
 苦しみに対して、
 直視しないで、
 かわして、かわして、
 生きていく生き方もあります。

 時にはやはり、
 そうしなければ
 とても生きていられないほどに
 苦しいこともあるわけで、

 正解がどこにあるのかは、
 一概に言えないはずですが、

 私はどちらかと言えば、
 壁を乗りこえようと努力する、
 その過程を大切にする生き方を
 選んで生きていると思います。


才能はあるものではない。
 才能はつくるものだ。
』77

※学力もそう。
 学力がはじめからそこにある人などいない。
 学力は作るものです。


たとえ自分に才能がなくても、
 一個の人間として、
 自分の内面的な生活を築くために、
 その歩みはおそかろうと、
 一歩一歩自分を育てていかなければならない。
 その努力を捨てることはできない。
」78

※結果も大切だが、
 努力の過程はもっと大事だと、
 思えるようになると、

 自分なりの努力が
 わりと長続きするようになると
 思います。

 結果はとても大切ですが、
 一番大切なのは
 結果に至るまでの過程を
 自分がどのように努力したのかです。

 結果には、運もあります。
 でも、努力するかしないかは、
 私自身の問題です。

 そう考えられるようになってから、
 時々の不運に、
 あまり嘆かなくなりました。

 評価の座標は、
 あくまで私自身の心にあるからです。


わたしは急がなかった。
 しかし、わたしは休まなかった。
 休みなく努力を続けた。
 そしてそれが、
 貼り合いと静かな心とを与えてくれました。
」78

※努力をし続ける日々は、
 それだけで結構楽しいものです。

 少しずつでいいから、
 絶え間なく、

 時には休んでも、
 いいでしょう。

 ああ、これじゃだめだな、
 と思い直して、また、努力をはじめる。
 
 そんな生活は、楽しいものです。


科学は、
 わからないことはわからないとするものでした。
 それならば、
 科学を口にするほどのひとは、
 わかりもしない”生まれつき”などという、
 人間の才能に関する考え方はやめなければならないはずです。
」79

※「生まれつき」勉強が出来ないんだ、
 と諦めてしまっては、何も始まらない。
 その人なりの努力を続けて、
 その人なりの結果をひとつずつ積み上げたい。

 でも、
 自分で諦めている人の心に火を灯すことは、
 とてもむつかしいことです。

 こちらも諦めない、
 何が何でも諦めない、

 君なら出来るんだ、というメッセージを
 くり返しくり返しくり返し
 伝え続ける。

 それしかないのかなあ、
 と思っています。


子どもの短所を“生まれつき”として放置せず、
 これを訓練して逆に長所とすることも、
 十年計画ならばできる。
 十年、そのことをめざして怠らないならば、
 だれでもその能力を開発できる。
 わたしはそう信じます。

 いや、一年でも、
 それをめざしてやり続けることができるならば、
 短所は変じて長所となるでしょう。
 十年続ければ非凡のひととなる。
 そこには、自分の生命に対して、
 その大きな活動力を発揮させる訓練が行なわれるからです。
」85

※先を見つめて、努力を続けよう。

 今の私は、短所はほどほどに修正し、
 長所は際限なく伸ばしていけたらいいな。
 と思っています。

 しかも十年計画で、となると、
 十年にわたって、
 親から自分の短所を指摘され続けることは、
 精神衛生上あまりよろしいことではないでしょう。

 私は、
 生徒の短所が目につく時は、
 まず長所が見つかるまで待って、
 それからその長所をほめる余裕が出てきてから、
 どうしても必要であれば、
 短所にもう一度目を向けるようにしています。

 長所と短所とはコインの裏表で
 つながっていることも多いので、
 長所を伸ばしているうちに、
 いつの間にか短所が目立たなくなっていることも
 多いです。


短所は限りなくあります。
 わたしたちの一生は、死ぬまで、
 自分の短所を長所に転じる努力の期間ともいえましょう。
 しかしこれはおもしろい仕事です。
」86

※短所に悲観することなかれ。

 自分の短所を他人につつかれて、
 うれしく思う人はいないでしょう。

 でもその短所とじっくり向き合って、
 変えていくことは、実際問題として難しいでしょう。
 変えられないから短所なんだ、と。

 わたしは短所と長所はつながっているんだ、
 と考えて、
 長所をひたすら伸ばしていくことに、
 心を砕いています。

 長所がますますのびて、
 自分に自信がついて来ると、
 短所はいつの間にか、
 とても小さなものになっているものです。

 長所をのばすのは、
 楽しいことなので、
 長続きするのも良いところです。
 人間、いやなことの努力は続きにくいものです。


くり返し、くり返せ」86

※勉強の基本。
 いや、人生の基本かもしれません。


自分の能力を育てるのはだれか。
 生まれつきで能力は育っていくのではない。
 それは自分だ。
 みんな、自分が自分を育てるのだ。

 自分の能力をつくろうとしないで、
 能力がないと嘆くのをやめよ。
」88

※自分でがんばる。
 自分の能力を悲観しない。
 そんな暇があったら、
 日々の努力を怠らず、
 自分なりの能力を一歩一歩高めていけばよい。

 たとえ自分なりでも、
 自分の能力が少しずつ身についていると
 実感できれば、
 だんだんと他人のことは気にならなくなるものです。


いかなる能力も、
 生まれつきで発揮されることはない。
 自分で育てる努力をするとき、
 能力はつくられていく。
 つくるものは自分自身だ。
」89

※生まれつきではない。
 どんなに素質のある子でも、
 生まれた後の、
 気が遠くなるような努力の積み重ねがあってはじめて、
 その素質が発揮されるのである。
 自分で、自分の能力を育てていくのだ。


身につく―
 それは、身につくまで努力し、
 くり返していくことによって達成できる―。
」89

※くり返し、くり返し。
 身につくまで諦めないこと。
 その努力ができる子に育てること。

 学校に上がるまでと、
 小学校まで、が一番の勝負どころだと思います。

 生きる姿勢として基本だと思います。


やり抜こう―
 そう決心するひとはたくさんいます。
 だれでも決心することはできる。
 しかし、ほんとうにやり抜くひとは実に少ない。

 決心はしたがやらない。
 やっても、まもなくやめてしまう。
 それこそ、多くの人が経験して、
 よく知っていることです。
 どんなことでも、
 成功する道、ことの成否は、結局、
 やり抜くかどうかだけにかかっているともいえるでしょう。
」92

※やらなければ、できません。
 決めたとおりに進んでいかないのは
 ふつうにあることなので、
 決心は、必ずしも必要ないのかもしれません。

 間違っているかどうかは、
 とりあえず少し始めてみてからわかることなので、
 あまりたいそうな決心をしてしまうと、
 引込みがつかなくなることもあるでしょう。

 とりあえず少しだけ始めてみて、
 これはできる、と思ったら、
 やり抜く決心して、
 結果が出るまでしつこく
 くり返していく覚悟が必要になるのでしょう。


急ぐべからず、休むべからず」94

※急ぐと何ごともうまくいきません。
 休むとせっかく努力して身につけた能力が、
 流れさってしまいます。

 急がず休まずは、
 能力を身につけるときの基本だと思います。


決心し行動することは希望をもって生きることです。
 高く大きな山を望むことです。
 困難はありましょう。
 しかし失望はありません。
 だれも、一足飛びにすぐ頂上には達せられない。
 そして、登るからには一歩一歩近よらなければなりません。

 急ぐべからず、これが原則です。
 急いで倒れてしまってはなんにもなりません。
 休むべからず。これも原則です。
 だれがなんといおうとも、
 休まず急がず黙々と歩を運んでいれば、
 必ず行き着いてしまいます。
」94

※自分の能力を少しずつ高めつつ生きることは、
 大人になっても楽しいものです。

 子どものうちに、
 それなりの小高い山のいただきを目指して、
 急がず、休まず一歩一歩近づいていく生き方を、
 身につけられるといいな。

 学校での勉強が終わってから役に立つのは、
 むしろそういった生き方の智恵だと思います。

 自ら学ぶ楽しさを伝えられたらいいな。

2011年7月23日土曜日

マザー・テレサ『日々のことば』10月より



ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より。
※印は栗木によるコメントです。

◆10月3日
今日、
 世界のあらゆる苦しみは、
 家庭から始まるということが、
 ますますよくわかります。
 今日、わたしたちは、家庭がお互いに顔を合わせたり、
 話し合ったり、楽しむ時間すらないありさまです。
 ましてや子どもたちが、期待していること、
 夫が妻から、妻が夫から期待していることを与えるためには、
 ほとんど時間がないのです。
 ですから、ますます家庭から離れていき、
 ますますお互い同士のふれあいが少なくなっていくのです。
」316

※家庭が第一。
 家庭あっての仕事。
 そう考えたい。

 ふつうは仕事をしていなければ
 食べていくことができないわけで、
 仕事第一に考えてしまいがちですが、

 支え合う家族がいての仕事なので、
 家庭が第一であることは
 忘れないように肝に命じておきたいです。

 人はひとりでは生きていけないわけですから、
 一番守るべき存在が家庭であることは、
 絶対的に肯定したいと思います。


◆10月4日
富やお金は、わたしたちを豊かにはしません。
 わたしたちを豊かにするのは、
 わたしたちのそれらに対する態度なのです。
 神はわたしたちに、分かち合うために、
 物を与えてくださいます。
 取って置くために、与えてくださるのではありません。
 わたしたちが、分かち合うことを身につければつけるほど、
 互いにもっとわかり合うようになり、
 愛し合うようになります。
 そして、もし、わたしたちが互いに愛し合うようになれば、
 わたしたちが持っている喜びをこそ、
 分かち合うことができるようになるでしょう。
」317

※お金を得る喜び、
 物を得る喜び、だけで終わることなく、
 私がこれまで得てきた何がしかのことを
 誰かにおすそ分けすることで、
 少しでも人さまのお役に立てたら、いいなと思います。

 起業の第一歩も、
 誰かのために、何の役に立つのか、
 考えるところから始めたい。

 お金もうけが先に来ると、
 大切なものをいろいろ見落とすことになりがちです。

 お金を得ることは、
 それ自体決して悪ではありません。

 お金を得ることで、
 衣食住、必要なものを買い、
 日常の生活を成り立たせることができるわけですから、

 正しい使い方さえできるなら、
 お金を嫌い、遠ざける必要はまったくないのです。


◆10月7日
喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛、
 神は、喜んで与える人を愛されます。
 わたしたちが、
 神と人々に感謝の心を表すいちばんよい方法は、
 どんなことでも喜んで受け入れることです。
」320

※日々朗らかでいることは、
 自分の気の持ちようで、できることです。
 なれるまでは簡単でないことかもしれませんが、
 なれてしまえば、そんなに難しいことではありません。

 日々ほんわかと明るい気分で生きられたら、
 とりあえず毎日がほどほどに幸せです。
 それでまあ十分かな、と思って生きています。
 お金を得ることそれ自体より、
 自分の気持がどうなのかが大切です。


◆10月8日
わたしたちの贈り物に、
 どれだけ愛を注いでいるでしょうか?
 たとえ、どんなにお金持ちであっても、
 愛を与え、愛を受け入れることのできない人は、
 貧しい人の中でも、もっとも貧しい人です。
」321

※人さまと、福を分け合う心。
 まずは家族に愛を注ぐことから。

 それは当然のことですが、
 長い年月過ごしていると、
 家庭から愛情という側面が消え失せているのに、
 気がつかないことがあります。

 まずは自分の家庭から。
 そして自分の心に余裕がある範囲で、
 外へ外へと愛の対象を広げていけたらいい。

 あくまで自然に。
 無理をして、義務にかられて、
 というのはかえって良くないと思います。


◆10月17日
沈黙は、神と、そしてお互いとを結びつける根っこです。
 沈黙の中でこそ、わたしたちは、
 すべてのことを喜んで行うのを可能にする
 神ご自身のエネルギーで満たされるのです。
 沈黙の祈りの中で、
 そのエネルギーを受ければ受けるほど、
 活動的な生活の中で、
 もっと人々に与えることができるのです。
」330

※沈黙の効用。
 癒しの効果。

 私はどちらかといえば、
 しゃべらない人間ですが、
 ここでいう沈黙とは、無口で、
 という意味ではないでしょう。

 しゃべらなくても、
 頭の中でぐるぐる言葉がうごめいて、
 思索にふけっているのでは
 沈黙の効用はありません。

 頭の中で言葉がめぐるのを一切止めて、
 ひたすら何も考えないで
 祈りを捧げているような状態、
 が沈黙です。

 瞑想の効用は、
 やってみるとわかります。
 わりと神経が疲れる仕事をされている場合は、
 取り入れられると強いです。


◆10月18日
親切で間違いを犯すほうが、
 不親切で奇跡を行うより、ずっとよいことです。
 自分自身に優しく、
 バランスを保って、
 自分自身をコントロールすることは、
 とても重要なことです。
 もしも、わたしたちがお互いに、
 穏やかで調和のとれた生活をしていたいなら、
 言葉に気をつけなくてはなりません。
 特に、貧しい人たちと接するときは、
 彼らと話すことについて、
 十分気をつけていなければなりません。
」331

※まず親切に。
 それには相手の立場にたって、
 言葉に気をつける。

 実践するのは難しいことですが、
 日々の目標として取り入れられるようにしたいです。

 そして、間違うことを極端に恐れない。
 前向きに努力していれば、
 どうしても間違いがおきます。

 それを日々反省して、
 明日に向かっていける
 元気な日常を送りたい。


◆10月31日
謙虚さはすべての徳、純潔さ、慈愛、忠実の母です。
 謙虚のうちに、
 愛は本物で、献身的で、熱烈なものになるのです。
 もし、あなたが謙虚ならば、
 ほめ言葉も不評も、あなたを害するものはありません。
 あなたは自分が何者なのかを知っているからです。
 もし、あなたが避難されても、失望することはありません。
 もし、あなたが聖人と呼ばれたとしても、
 いい気になることはないでしょう。
」344

※謙虚に生きること。
 そのように見えるかどうか。
 自分はそのように生きているつもりでも、
 意外にまわりの人びとには傲慢にうつっていることは、
 少なくありません。

 私のようなものを、
 生かしていただける奇跡に感謝して、
 謙虚に、謙虚に、
 と日々お祈りすることを忘れずにいたいです。
 謙虚に、謙虚に。

2011年7月22日金曜日

スマイルズ『向上心』第3章(下)



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。

第3章 自分を生かす働き方

人が破滅に追い込まれるのはあやまちを犯したからではなく、
 それを犯した後でその人がどういう態度をとるかによるのだ。
」109

※前向きに、勝負しながら生きていれば、
 何度かの失敗は避けがたいものでしょう。
 大切なのは、失敗した後、自暴自棄にならず、
 踏み止まって、ほんの少し休んだら、
 また前を向いて、歩き出せるかどうか。


幸福をつかむためには、
 行動ばかりでなく言葉をコントロールすることも必要である。
 げんこつでなぐるよりも人を傷つける言葉があるものだ。
 人は剣を使わなくても、
 とげとげしい言葉で相手の胸を刺すことがある。
」115

※言葉は帰って来ない。
 すべてを失う覚悟のない言葉は、
 とりあえず心の中にしまっておいたほうが良い。


人格は、
 言葉をどのようにつつしむかにもあらわれる。
 分別をわきまえ、
 抑えることを知っている人は、
 他人の感情を犠牲にしてまで
 侮辱的で情け容赦のない言葉を口にしようとしない。
」115

※相手がどうとらえるかは、すべて相手の自由。
 真実が感情に優先することはない。
 悪意をもってとらえようとしている人には、
 なにを言っても意味がない。


賢者の口は心にあり。愚者の心は口にある。
 (ソロモン)116

才気に富んではいるが、
 相手にとって苛酷に思われる文章を書きたい時は、
 我慢しにくいところだろうが、
 ひとまずペンをおくほうが無難である。
」116

豊かな経験を積んだ人が、
 『あの時話すのではなかった』と後悔しているのをよく聞く。
 しかし、沈黙したのは失敗だったと
 悔やんでいるのは耳にしたことがない。
」117

※沈黙の効用。
 もう少し若いころ、知りたかった。


気難しい口調で真実を述べるくらいならば、
 沈黙を守っているほうがましだ。
 おいしい料理にまずいソースをかけるようなものだから

(フランスのカトリック司教フランソワ・ド・サール)118

われわれは
 あわてて他人を軽蔑したりしないように用心しなければならない。
 善良な人は得てしてことを急ぐ傾向にある。
 熱心さを表わすこの気性が、
 そのまま狭量さにつながることもよくあるのだ。
」120

※待つこと。


私がこれまで見てきた罪悪は、
 どれもみな一歩まちがえば
 自分も犯していたかもしれないものばかりだった

(ゲーテ)121

※わたしも同じです。


人と仲よくし、
 信頼されたいと思うなら、
 相手の人柄に好意を払わなければならない。
 人の顔や姿がみなちがうように、
 考え方も性格も十人十色で、
 それぞれに特徴がある。
 自分がそうしてほしければ、
 こちらもそのちがいを上手に受け入れなければならない。
」122

※まず相手。相手のことを受け入れるのが先。


自分の口から出た敵意が、
 自分の胸の中にころがり込んで来ることがよくある

 (ジョージ・ハーバード)122

※悪口は言わない。
 どんなときも言わない。
 言いたくなるような組織には所属しない。
 組織を去ってでも、心の平穏を大切にする。


いずれにしても、真意はいつか必ず姿を現わす。
 そして、自分に対立する相手のほうがまちがっている場合には、
 言葉で打ち負かすよりも寛大な気持ちでこたえてやったほうが、
 相手はそのあやまちをすばやく認めるものである。
 つまり私が言いたいのは、
 理に合わない偏見の結果には目をつぶり、
 好意や親切には敏感であるほうがいいということである。

(学者ファラデー)123

※目先の負けにこだわらない。


心の正しい人は、
 自分のいつわりの姿を見るのをためらったりしない。
 金もないのに金持ちぶって見せたり、
 自分の置かれた環境にそぐわない生活をしてみたいと思ったりはしない。
 不正に他人の金に頼ろうなどとはせず、
 自分の収入の範囲でまじめに暮らしていこうという
 勇気を持っている。
」125

※分相応に。背伸びしない。いつわらない。


自分が持っていないものを欲しがり、
 いつも自分の立場を考えずに
 他の地位を得たいといらいらしている気持ちが、
 すべての不道徳の根源である。

 (政治家シャフツベリー)125

2011年7月20日水曜日

【読了】中川八洋『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』



中川八洋
『小林よしのり『新天皇論』の禍毒-“悪魔の女系論”は、どうつくられたか-』
(オークラ出版、2011年7月)

中川八洋さんの本は、
知的刺激にあふれていて、
いつも楽しみにしております。

今回も、非常に勉強になりました。

悪書はできるだけ読まないようにしているので、
小林よしのりさんの『新天皇論』は本屋でパラパラめくっただけです。

ただそれなりに売れているようですので、
悪書の悪影響を心配し、一冊上梓されたのはありがたいです。


小林よしのりさんへの批判は、
私にとっては今さらだったのですが、

皇国史観への鋭い分析は、初めて目にするものであり、
この一点だけでも、本書を読む価値がありました。

さらに、
「男女共同参画社会基本法」の主旨に、
皇室制度の廃止が含まれていることに注意を喚起してあるところも勉強になりました。

同法への本格的な批判は、
林道義さん以来あまり目にしていないので、どんどんやっていただきたいです。


中川八洋さんは、大学で勉強していたころに、
ちょうど『正統の哲学 異端の思想』が出版され、
大きな衝撃を受けたこともあって、

それ以降の著作はほとんど読んで来ました。

ただここ1,2年は仕事が忙しく、
買って「積ん読」状態になっていたものもあります。

よい機会なので、一冊ずつ、中川さんの本を読みなおそうと思っています。


【読了】塩野七生『ローマ人の物語 5 ハンニバル戦記 下』

またほぼひと月で、読み終えました。



塩野七生『ローマ人の物語5 ハンニバル戦記[下]』
(新潮文庫、平成14年7月。初出は平成5年8月)


まだまだ先は見えませんが、
塩野さんの筆力故か、読み始めるとなかなか面白く、
次へ次へと進んでいきます。

初めて見る名前ばかりなので、
最初のころの細かい出来事はどんどん忘れていきますが、
大筋として私の中に残るものが、
将来、財産となればいい。


さすがに忙しくなって来たので、
同時進行で3冊精読は厳しくなりました。

『ローマ人の物語5』『明治天皇(三)』『宮本武蔵(三)』

の順に優勢順位をつけることにしました。
次は『明治天皇(三)』を読み上げます。

2011年7月18日月曜日

森信三『運命を創る』3



森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。
※印は、栗木によるコメントです。


3 読書

読書が、われわれの人生に対する意義は、
 一口で言ったら結局、
 『心の食物』という言葉が
 もっともよく当たると思うのです。
」40

※読書とは「心の食物」です。
 この言葉は、言い得て妙だと思います。

 読書をすることによって、
 心が育つという側面は見逃せません。

 学校の教科書と新聞、週刊誌しか文字を読まない人生。

 それはわりとありえる現実ですが、
 とてももったいないことだと思います。

 本を読ませる取り組みは、
 今もいろいろと成されているようですが、
 もっともっと積極的であって良いように思われます。


われわれは、この肉体を養うためには、
 一日たりとも食物を欠かしたことはなく、
 否、一度の食事さえ、
 これを欠くのはなかなか辛いと言えるほどです。
 (中略)
 ところが、
 ひとたび『心の食物』ということになると、
 われわれは平生それに対して、
 果たしてどれほどの養分を与えていると言えるでしょうか。
」42

※なぜ本を読むのか、
 という問いは、いったん読み始めてみると、
 あまりに当然のことになってしまうので、
 そんな問い自体あまり必要なくなってしまうのですが、

 まだそういう至福のときを手に入れていない
 小中学生に対しては、
 こういう説明は有効かもしれません。

 また、「心の食物」という視点があれば、
 ただやみくもに、手当たり次第に読めばよい、
 とも言えないことがわかると思います。

 親が食べ物に気をつかうように、
 ある程度の年齢までは、
 子どもが読む本についても
 気をつかえるようにしておきたいものです。


われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、
 主として読書の光に照らして、
 初めてこれを見出すことができるのであって、
 もし読書をしなかったら、
 いかに切実な人生経験といえども、
 真の深さは容易に気付きがたいと言えましょう。
」43

※娯楽のため、の読書もいいものですが、

 自分を高めていくための読書、
 は確かにあった方がよいと思います。

 何より経験が重要なのは確かだと思いますが、
 先人たちの知恵の結晶を、利用しない手はありません・

 先人たちの知恵は、
 読書によって吸収できる部分がかなりあります。

 それを利用しない手はありません。


その人にして、
 いやしくも真に大志を抱く限り、
 そしてそれを実現しようとする以上、
 何よりもまず偉人や先哲の歩まれた足跡と、
 そこにこもる思想信念のほどを
 窺わざるを得ないでしょう。

 すなわち自分の抱いている志を、
 一体どうしたら実現し得るかと、
 千々に思いをくだく結果、
 必然に偉大な先人たちの歩んだ足跡をたどって、
 その苦心の跡を探ってみること以外に、
 その道のないことを知るのが常であります。
」45

※若いときはもとより、
 歳をとってからでも、
 わからないことはたくさんあります。

 現実の経験から学ぶことが、
 おそらく一番大切だと思いますが、

 それとともに、
 先人たちの知恵の結晶ともいえる
 さまざまな書物からしっかり学んでいくことは、

 大きな志を持てば持つほど、
 必要なことだと思います。

 両方のバランスを取ることは
 とても難しいことですが、
 偉大な先人たちに学ぶ姿勢は
 持ち続けていきたいです。


読書などというものは、
 元来ひとから奨められるべき
 性質のものではないとも言えましょう。

 つまり人から奨められねば読まぬという程度の人間は、
 奨めてみたとて、結局たいしたことはないからです。
」46

※外で働くことの方が、
 絶対に大切なわけですが、
 それを十分に認めた上で、なお、
 読書には重大な意味があると思います。

 本をほとんど読まない、
 その程度の人間である、

 と評価されることもあるんだ、
 と知っておきましょう。

 自分から、
 どんな書物を選んで読んでいくのか、によって、
 精神面での充実も、ある程度はかれます。

 もちろん、それがすべてではありません。


読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、
 一日読書を廃したら、
 それだけ真の自己はへばるものと思わなければなりません。
」48
一日読まざれば一日衰える』48

※読書は毎日するのが普通です。
 良書を毎日読む生活。

 これは近くにいる人間が、
 父親か母親、祖父母がしていないと、
 難しいかもしれません。

 勉強をするのが仕事ともいえる
 若い人たちに伝える言葉としては、
 とても良い言葉だと思います。


偉大な実践家は、大なる読書家である』51

※実践することはとても大切ですが、
 偉大な実践家として知られている人たちは、
 たいてい相当な読書家であることが多いです。

 私も見習いたいものです。

2011年7月15日金曜日

スマイルズ『向上心』第3章(中)

サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。

第3章 自分を生かす働き方

自分を制するとは、
 言ってみれば別の形をとった勇気のことである。
 そして人格になくてはならない基本要素であると考えられている。」101

※行け行けどんどん、だけではダメ。

自制はあらゆる美徳の根源である。
 衝動と情熱のおもむくままに行動すれば、
 人はその瞬間から精神的な自由を明け渡すことになる。
 そして思うがままに人生の波に押し流され、
 しばらくは自らのもっとも強い欲望の奴隷になり下がってしまうのだ。」102

※何をがまんするか、どこを抑えるか。

動物よりもましな状態、
 つまり精神的に自由であるためには、
 本能的な衝動を抑えなければならない。
 それは自制心を働かせることによってのみ可能なのである。
 この力こそ肉体と精神をはっきり区別するものであり、
 われわれの人格の基礎を形づくるものである。」102

※動物のように、本能に任せて動くだけで、
知らず知らずうまくいってしまう、
ということはない。

人格を支える最良の柱となるのは、
 いつの場合にも習慣である。
 その習慣に従って
 意志の力がよいほうにも悪いほうにも働き、
 場合に応じて慈悲深い支配者になったり
 残酷な独裁者になったりする。」103

※よい習慣を。
とくに心のもちように、いい習慣を取り入れたい。

最初で最高の道徳的訓練を積む義務教育は、
 家庭で行なわれる。
 その次が学校で、
 最後は実生活の巨大な道場、
 すなわち社会である。
 それぞれが次の段階への準備期間である。」105

※まずは家庭。

何が起こっても、
 いちばん好ましい部分だけを見るようにする習慣は、
 一年に千ポンドもらうよりも価値がある。
(ジョンソン)107

※どうせなら前向きに生きよう。

忍耐と自制心は人生街道を平らにし、
 閉ざされているはずの道をいくつも切り開いてくれるだろう。
 自尊心を持つことも同じく大切だ。
 自分自身を尊ぶ者は、
 他人も尊敬するのが普通だからである。」108

※自制して、耐え忍んで、ほどほどのプライドをもつこと。

2011年7月14日木曜日

スマイルズ『向上心』第3章(上)



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳、
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。

第3章 自分を生かす働き方

仕事は、
 行動力あふれる人格を養うためには
 いちばんいい方法である。
 働くことによって、
 従順さや自制心、集中力、順応性、根気強さなどが芽生え、
 鍛えられていく。
」72

※恐らくスマイルズ自身は、
 仕事と家事とは切り離して考えていたと思いますが、

  家事=家の中でする仕事

 と考えれば、どちらにも当てはまることは明らかです。

  仕事と家事とは、
  すぐれた人格を養うためには
  一番よい方法である。

 と読みかえると、より現実的でしょう。


一面で、働くことは重荷であり、
 懲罰であるかもしれない。
 だが同時に、
 誇りでもあり名誉でもある。
 働かずしては何ごとも成就しない。
」72

※働こう!

 相手があってこその仕事なので、
 自分がやりたい仕事をそのまま出来ているとは限らないわけで、

 必ずしも楽しく働けている人ばかりではないと思います。

 でもひとり行くあてなく、
 ボーっとして無駄な年月を重ねることを思えば、
 どんな仕事でもありがたい、
 と思えるようにしたいものです。

 なかなか難しいことですが、
 そうありたいものです。


怠惰、つまり働かずにいることは人に災いを及ぼす。
 さびが鉄をボロボロにしてしまうように、
 怠惰は人や社会をむしばんでいく。
」73

※この言葉は、
 そうした時間を経験したことがあれば、
 まさしくその通りだと合点がいくでしょう。

 働けるのに
 働く場が与えられず、
 ボーっとしていなければならないことほど、
 精神衛生上よろしくないものはありません。


怠惰は人を堕落させ、国力を低下させる。
 怠け者が社会的に名を上げたためしはないし、
 これからもないだろう。
 怠け者は丘をよじ登る努力もせず、
 困難に立ち向かおうともしない。
」75

※人は働かなければならないんだよ、
 ということは、

 小中学生、高校生の段階で、
 もっともっと教えておいてほしかったなあ、
 と思っています。

 人は必ずしも
 自分の就きたい仕事に就けるわけではないこと、

 それでも働かなければならないこと、
 どんな仕事でも、やってみればそれなりに充実していること、

 どこかでもう少し、
 教えていただく機会があると、
 良かったかな、と思っています。


怠け者は人生で失敗をくりかえす。
 何をやっても成功しないのは当然である。
 怠け者は何の役にも立たない。
 陰気な顔で不平ばかり言う哀れな人間で、
 社会にとってはお荷物である。
 邪魔者であり、
 迷惑千万な存在なのである。
」75

※怠惰への、スマイルズの言は、
 何もそこまで、というくらい、厳しいものですが、
 かえって爽快な感じもします。
 怠けてるなあ、と感じたら、読み返して、
 なにくそ!と思いたい。

 わたしは、
 失敗をくり返したくないし、
 何の役にも立たない、と言われたくないし、
 陰気な顔で不平ばかり言う哀れな人間になりたくないし、
 社会のお荷物、邪魔者にもなりたくない。

 だから、どうするのか。


もっとも危険なのは暇な時間である。
(マーシャル・ホール医師)77

※休息は必要でしょう。
 でもある程度、心と体を休めたら、
 そこから先は、適度に動かしてあげたほうが、
 健康には良いようです。


怠惰な人間は言い訳ばかりするものだ。
 怠け者には、働くのをいやがるくせに
 屁理屈だけは上手な人が多い。
」78

※言い訳はよくない。
 大きなものごとでなければ、
 あえて言い訳はしない。

 ただし、私の家族、友人に被害が及ぶ場合は別であろう。


苦しみと労働から逃げ出してはいけない。
 この二つは人間の宿命なのだ。
 困難に立ち向かうのを恐れる人は、
 困難が自ら近寄ってくるのにいずれ気づくだろう。
」80

※程度によりますが、
 はじめから逃げるのは論外でしょう。

 ただし死と隣り合わせになって
 明らかに正常な判断がつけなくなって来たときには、

 心が本当に壊れてしまう前に、
 いったん逃げ出して、
 たっぷり休養して、再起を図ったほうがよいと思います。

 死んでしまったらそこまでなので、
 もう一度、生き直す覚悟をするほうが、
 勇気のあることだ、と考えています。


仕事を持っているとぐっすり眠れるし、
 心地よく目覚めることができる。
 余暇を思う存分楽しむには、
 学問であれ義務を伴わない仕事であれ、
 働いたという実感を少しでも持つ必要がある。

(ウオルター・スコット)81

※家事も仕事もなにもやらなくていいよ、
 といわれたら、うれしいのは数日。
 そこから先は相当苦痛だろう。

 でもこれは、
 一度経験してみないとわからないでしょう。

 今はなかなか一箇所で
 定年まで働き通すことは難しい世の中ですので、
 わりと理解しやすい言葉ではないでしょうか。


自分と人のために役立つ仕事をすればするほど、
 考えたり感動したりすることが多ければ多いほど、
 本当に生きていると言える。

 怠けてばかりいて何の役にも立たないような人間は、
 どんなに長生きをしたとしても、
 ただ息をしているだけの存在なのである。
」81

※厳しいけど正論。
 いかにして濃い人生を送るか。
 最後のときに、
 まあ、自分なりにがんばれたかな、
 と思って、悔いなく死んでいけるように、
 日々努力を惜しまないように、
 がんばりたいと思います。

 私は私なりに、
 がんばれたかな、
 と思えることが大切だと思います。


怠け者のことを
 むざむざと時間を殺している連中と呼ぶならば、
 勤勉な人は
 時間に生命と道徳観念を吹き込み、
 視覚を通してばかりでなく
 良心をも通して見える存在に置き換えた人と呼べるだろう。
 そんな人は
 時間を順序よく整理し、
 魂を与え、うっかりすれば飛んで行ってしまう
 時間そのものに不滅の精神を与える。

(詩人コールリッジ)87

※時間を支配する。

 時間はあっという間に過ぎていきますね。
 40が近づいて来て、一年一年が早いな、
 と感じるようになって来ました。

 一日一日を大切に過ごして、
 悔いのない人生を送れるようにしたいなあ、
 と思っています。

 時間に魂をこめる。
 意味のある時間を過ごす。

2011年7月9日土曜日

山本周五郎『泣き言はいわない』



山本周五郎『泣き言はいわない』
(新潮文庫、平成6年11月)

山本周五郎氏の作品には、
しみじみと心に染みてくる優しさがあります。
人の弱さ、過ちをそのまま受け入れた上で、
前を向いて生きて行こう、と私の背中を押してくれる、
大人の優しさが感じられます。

山本氏の箴言集です。

同じ新潮文庫では
ゲーテ著/高橋健二訳『ゲーテ格言集』
と双璧です。

これから何回かにわけて、
私が特に気に入った箴言を取り上げていきます。
※印は栗木によるコメントです。


◎一章 誇り高く生きる
◇一歩ずつの人生
他の千万人にとっては些細なことでも、
 或る一人にとっては一生を左右するような場合がある。
(あだこ)15

※相手の身になって考えることは、
 ふだん気をつけているつもりでも、
 ふとした瞬間に、忘れてしまうことがあります。
 でもそんな時にこそ、相手を傷つけてしまうことがあります。


人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります、
 どんなに苦しい悲惨な状態も、
 そのまま永久に続くということはありません
(人情裏長屋)16

※そう信じなければ、
 生きていくのはたいそう困難なことになるでしょう。
 でもとびきり苦しい悲惨な状況が、
 五年、十年ならいざ知らず、
 二十年、三十年、ならまだしも、
 四十年、五十年と、人生の大半を、
 黒く塗りつぶしてしまうとしたら、
 それでもなお、
 死ぬまでにはどこかで晴れることもある、
 と明るく朗らかに生きることができるか。
 私にはそこまでの自信はありません。


心に傷をもたない人間がつまらないように、
 あやまちのない人生は味気ないものだ。
(橋の下)18

※過ちは、なければないで、
 それに越したことはないわけですが、
 過ちとは、見る人によるところがありますから、
 あまりハードルを上げすぎると、
 人生つまらぬものに思えて来るでしょう。


◇人間らしく生きる
人間にとって大切なのは
 『どう生きたか』ではなく『どう生きるか』にある。
(二十三年)22

※結果は、
 自分の努力だけではどうにもならないことがありますが、
 その過程をどう生きるかは、
 自分自身の問題です。


人間が大きく飛躍する機会は
 いつも生活の身近なことのなかにある。
(尾花川)24

※身近なことから目を離してはダメ。
 答えはきっと身近なことがらの中にある、
 そう信じて努力を続けたい。


◇戦いつづける勇気
人間が正しく生きるためには勇気が必要であります。
(寝ぼけ署長)28

※勇気はときに孤独を生むことがある。
孤独という苦痛に耐える勇気が必要です。


人間は生きている限り、
 飲んだり食ったり、
 愛したり憎んだりすることから
 離れるわけにはいかないものだ、
 どんなに大きな悲しみも、
 いつか忘れてしまうものだし、
 だからこそ生きてもゆかれるんだ。
(栄花物語)29

※記憶の効用。
 周五郎のやさしさ。
 間違えなくてはとても生きていかれない、
 人間を肯定的にとらえて、
 前を見て歩いていきましょう、
 と呼びかけられるのは、
 誰にでもできることではありません。
 忘れてしまうから、
 なんとか乗り越えられることもあります。


人間がこれだけはと思い切った事に
 十年しがみついていると大抵ものになるものだ。
(花筵)32

※実際はそれでも、
 ものにならないことがあるわけですが、
 ものになる、と信じて、
 前を向いて努力し続けるほうが、
 生き方としては正しいように思われます。


人間はいつも意志によって行動するものではない。
(季節のない街)33

※感情がほとんどでしょう。
 人間は感情によって行動することがほとんどだ、
 と知っておいた方が、
 社会に出て、間違いは少なくなるでしょう。


見た眼に効果のあらわれることより、
 徒労とみられることを重ねてゆくところに、
 人間の希望があるのではないか。
(赤ひげ診療譚)35

※そう信じたい。
 できれば、徒労と感じないで、
 縁の下の力持ちとしての仕事を
 喜んで黙々と続けられるようになれたらいいな。


絶望は毒の如く甘い
(断片 昭和25年のメモ)36

※共感しませんが、強い言葉です。


人間は『絶望』し絶望から抜け出るたびに高められる。
(断片 昭和25年のメモより)37

※絶望するのは、自らの存在を否定されるから。
 生きて死ぬこと。生き返るから高められる。


人間はみんながみんな成りあがるわけにはいきゃあしない、
 それぞれ生れついた性分があるし、
 運不運ということだってある
(ちゃん)39

※分相応ということ。
 わかいうちはそれなりに背伸びをして、
 ある程度の年齢で、
 自分なりの居場所を見つけて
 生きていかれたらいいな。


にんげん生きているうちは、
 終りということはないんだな
(おさん)39

※死ねば終わり。
 生きているうちはがんばります。
 死ぬまでは生きている。
 ギリギリまでがんばろう。


どんな過でも、
 この世で取り返しのつかぬことはない。
 人間はみな弱点を持っている。
 誰にも過失はある、
 幾度も過を犯し、
 幾十度も愚かな失敗をして、
 そのたびに少しずつ、
 本当に生きることを知るのだ。
 それが人間の、
 持って生れた運命なのだ。
(五月雨日記)40

※取り返しがつかなくても、
 明日は来る。
 明後日も来る。
 どうせ生きるのなら、
 前を向いて、明るく朗らかに生きよう、と思う。

2011年7月6日水曜日

スマイルズ『向上心』第2章(後半)


サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳、
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。
※印は栗木によるコメントです。

つづいて第2章(後半)。

活発な意志の力、
 すなわち自然に湧き出る活力は偉大な人格の真髄である。
 このような活力があれば人生は生き生きとする。
 なければ気持ちが弱くなる。
 気力もなく、
 人生に失望し落胆するだけである。
」52

※ほどほどに、元気があること。
 元気がなくなったままの状態で、
 よい仕事はできないでしょう。
 人生を楽しむことも難しいでしょう。

 気力が充実した状態を、
 常日ごろから保っていられるように、
 自分で自分の健康を維持できるように努力したい。


活力みなぎる行動は、
 周囲に伝染していくものだ。
 力のない者は勇敢な人物に勇気づけられる。
 そして当然のことながら、
 その人物を見習おうという気持ちに駆り立てられる。
」54

※周囲に伝染するほどの元気。
 それは確かにありがたい。

 私はそれほど外向的な人間でもないので、
 とりあえずたくさん寝て、
 体が軽く動いて、頭がクリアで
 前向きにほのぼの毎日生きられるように
 心がけています。

 少なくとも、
 一人暗い顔をして、
 プンプン怒って、
 まわりにマイナスの空気を広げてしまうことはないように
 心がけています。


偉人の生涯は、
 人間の活力をたたえる不滅の金字塔を後世に遺す。
 人は死んで肉体は世を去る。
 けれども彼の思想と行動は生き残り、
 消えることのない足跡を子孫に遺す。
 その精神はさまざまな思想や意志に形を変えながら、
 永遠にこの世に生き続ける。
 つまり、結果的には
 未来の人格形成に役立っているということになるのである。
」56

※人の生涯は、
 死んだら即終わり、
 となるわけではない。

 人びとの記憶に残って、
 ある程度、影響を与え続けるんだ、
 という考え方は、とても大切だと思います。

 実際にどうなっているのかは
 誰にもわからないわけですが、
 その人が残した精神的な遺産は
 さまざまなかたちで継承されていくのだ、

 と考えたほうが、わたしは
 前向きの生き方をしていけるように思います。


偉大な人物の名前と記憶は、
 天が国家に与え給うた贈り物である。
 それによって国全体に活気がみなぎってくると、
 国民の記憶の中には、
 死せる英雄たちの姿がよみがえり、
 生きている者のようにじっと見守り、
 うなずいてくれるのである。

 こんなにもすばらしい証人が立ち合ってくれている国家は
 滅びるわけがない。
 生死にかかわりなく、
 彼らは”地の塩”なのである。
 かつて彼らが示した行動は子孫に受け継がれ、
 時代を問わず再現される。
 彼らは生きた手本として、
 それを受け入れようとする者を常に励まし、
 勇気づけてくれるのだ
』(ある著名な作家)59

※地球にとって、というと、
 私には大きすぎてイメージがわかない。

 まずは日本国民にとっての偉大な人物の足跡をたどること。
 そういう意味合いで、
 日本の歴史を勉強することはあるのだろうか。

 歴史の授業から、
 そうした側面が排除されるとしたら、
 それはおかしなことだと思います。

 人と人との精神的なつながりのなかで、
 ひとつの国家が出来上がっていることを、
 忘れてはならないと思います。

 ただし、それならば
 自分は何を知っているのか、
 と考えると、まだまだ勉強不足だと思います。
 
 日本の国民は、
 ご先祖さまからの遺産として何を受け継ぎ、
 子孫に何を伝えていけるのか。

 もだもうしばらく
 猶予の時間は与えられていると思うので、
 しっかり勉強を続けたいと思います。


良心は人を自立させ、
 意志はその人を道徳的にまっすぐに育てていく。
 良心は正しい行動、考え方、信条、そして生き方など、
 われわれの精神面をすべて支配し、
 その強い影響力があってこそ高潔な人格が花開くのである。
」59

※良心を育てること。

 良心という側面に目を向け、
 子どものうちからそれを育てていくことは、
 大切なことだと思います。

 ある程度、
 社会の中で実践的に身につけていくものなので、
 何もしなかったからといって、
 突然に崩れてしまうことはないと思います。

 しかしながら、
 人間の本能の中に、良心という芽があって、
 何もない所で、自然に放っておいても良心が育つ、
 と考えるとしたなら、

 それは時に、
 とんでもない野獣を育てることになり、
 無責任な結果をもたらすことになりかねません。


良心はけっして大きな声で語りかけてはくれないから、
 意志の力が活発に働かなければ、
 その声もむなしく消えてしまう。
」60

※心の中に、
 良心の声を聴かない人は、
 いないでしょう。

 ただしそれと同じくらい、
 心の中に、
 悪魔のささやきを聴かない人も
 いないはずです。

 意志の力で、
 心の中の良心の声を
 ひきずり出して、主役にして、
 もり立てる努力をしないと、

 いつまでも
 良心はどこかに隠れたままとなるでしょう。


強い意志をもって堂々と挑み、
 けっして義務を果たすことに臆病であってはならない

(昔のデンマークの英雄)60

※健全な、強い意志の力によって、
 自らの良心の芽を、
 少しずつさらに良い方向へ、
 育て上げていく必要があります。


良心の命ずるがままにただちに意志の力を働かせ、
 それによって低俗なものに引かれる衝動を跳ね返すことは、
 道徳鍛錬の重要な基本であり、
 理想的な人格を育てるためには必要欠くべからざるものである。
」61

※良心の命ずるままに、
 低俗なもの、害悪のあるものを跳ね返せるようになる、
 意志の力を養うこと。

 道徳教育の一つの観点。

 そんな観点に立った、
 日本人向きの、道徳教育のプログラムがほしいです。

 でも今ない、ということは、
 私自身に、その答えを求められているのかもしれません。
 日々勉強です。
  

力が強ければ幸せになれるというものではないし、
 富も幸せをもたらしはしない。
 権力も幸福とは関係ない。
 これらの条件が全部そろっていても幸福ではない。

 幸福はわれわれの内にある。
 真の自由、つまらぬ恐怖心を克服する力、
 そして完璧な自制心があるところに幸せがある。
 そして満足感と平和を味わえる能力があれば、
 貧困や病や放浪の生活にあえいでいても、
 いや死の影が迫る苦難の時においてすら、
 人は幸せを感じることができるのである。

 (ストア派の哲学者エピクテトース)63

※幸せは、それぞれの心の中にある。

 力が強ければ、幸せな人もいるでしょう。
 お金があれば、幸せなこともあるでしょう。
 権力とお金を求めること、
 それ自体が悪いことだとは思いません。

 でも、それがあれば、
 必ず幸せになれるものではありません。

 幸せだと感じるのは自分の心なので、
 自分にとっての幸せは、
 自分の心と向き合って、
 自分で決める必要があります。

 人の欲望とは限りのないものなので、
 結局、自分にとっての幸せとは何なのか。
 つきつめて考えておくと良いでしょう。


自分の務めを果たす責任感は、
 勇敢な人を支える力にもなる。
 それはその人を正しく導き、
 力を与える。
」64

※責任はある面、重荷になることもあるが、
 自分の生きがいとして、
 かけがえのない価値を持つこともある。
 わたしは、いろいろな責任を、
 喜んで背負える人間になりたい。