2023年12月14日木曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (1)

原著(フランス語)の成立と、最初期の英語訳

 フランスの小説家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-2/8~1905-3/24)が、60歳のときに執筆した小説二年間の休暇 Deux Ans de Vacancesは、フランスの編集者ピエール=ジュール・エッツェル(Pierre-Jules Hetzel, 1814~1886)が1864年に創刊した文学雑誌『教育娯楽雑誌 Le Magasin d’éducation et de récréation 』の第47巻553号~48巻576号(1888-1/1~12/15)に24回に分けて掲載された。単行本は、同(1888)年6月18日と11月8日に2分冊(351+342頁)の普及版が、同年11月19日に1冊(469頁)の豪華版(挿絵92枚)が、J・へッツェル社(J.Hetzel )から刊行された。挿絵はフランスの画家 レオン・ベネット(Léon Benett, 1839~1916)が担当した。

 初出雑誌の掲載巻号、発行年月日と対応する章及び挿絵の枚数は以下の通り。

  ①第47巻553号(1888-01/01発行)⇒第1章〔挿絵4枚〕
  ②第47巻554号(1888-01/15発行)⇒第2章〔2枚〕
  ③第47巻555号(1888-02/01発行)⇒第3章〔3枚〕
  ④第47巻556号(1888-02/15発行)⇒第4章〔3枚〕
  ⑤第47巻557号(1888-03/01発行)⇒第5章〔3枚〕
  ⑥第47巻558号(1888-03/15発行)⇒第6・7章〔3・3枚〕
  ⑦第47巻559号(1888-04/01発行)⇒第8章〔3枚〕
  ⑧第47巻560号(1888-04/15発行)⇒第9・10章〔1・4枚〕
  ⑨第47巻561号(1888-05/01発行)⇒第11章〔3枚〕
  ⑩第47巻562号(1888-05/15発行)⇒第12章〔4枚/地図1枚〕
  ⑪第47巻563号(1888-06/01発行)⇒第13・14章〔3・0枚〕
  ⑫第47巻564号(1888-06/15発行)⇒第14(承前)・15章〔3・2枚〕
  ⑬第48巻565号(1888-07/01発行)⇒第16章〔5枚〕
  ⑭第48巻566号(1888-07/15発行)⇒第17章〔4枚〕
  ⑮第48巻567号(1888-08/01発行)⇒第18章〔3枚〕
  ⑯第48巻568号(1888-08/15発行)⇒第19章〔4枚〕
  ⑰第48巻569号(1888-09/01発行)⇒第20・21章〔1・3枚〕
  ⑱第48巻570号(1888-09/15発行)⇒第22章〔4枚〕
  ⑲第48巻571号(1888-10/01発行)⇒第23・24章〔3・3枚〕
  ⑳第48巻572号(1888-10/15発行)⇒第25章〔3枚〕
  ㉑第48巻573号(1888-11/01発行)⇒第26章〔3枚〕
  ㉒第48巻574号(1888-11/15発行)⇒第27章〔3枚〕
  ㉓第48巻575号(1888-12/01発行)⇒第28章〔2枚〕
  ㉔第48巻576号(1888-12/15発行)⇒第29・30章〔2・1枚〕

挿絵は合計88枚。同年11月19日に刊行された単行本〔豪華版〕の挿絵は91枚という表示があるが、実物を未見のため、具体的な異同は今後の課題としたい。

★雑誌『Le Magasin d’éducation et de récréation 』 についてはインターネット上の【HathiTrust DIgital Library】上に公開されている画像を参照した(ミネソタ大学所蔵本、第47・48巻)。ただし雑誌を半年分ごとに1冊にまとめる際に、もとの各号の表紙、目次などを削除しているため、これらの画像から、各号の刊行日時を確かめることはできなかった。各号の刊行日時については、【Andreas Fehrmann’s Collectopn Jules Verne】上の研究成果[Pierre-Jules Hetzel: MAGASIN D’ÉDUCATION ET DE RECREATION - Übersicht / Résumé / Summary ]を参照した。このページの存在は、【The Internet Speculative Fiction Database】の項目「Jules Verne][Deux ans de vacances]への引用文献によって知った。単行本についての詳しい書誌も、【The Internet Speculative Fiction Database】の情報を参照した。

 フランス語の小説であるが、日本語訳との関連からいえば、森田思軒(もりたしけん)の手になる本邦初訳十五少年(1896年刊行)が、英訳版からの重訳であったことから、最初期の英訳本についての情報も重要である。

 英語訳は、1888年10月から翌89年6月にかけて、太平洋での漂流 ― 男子学生乗組員たちの奇妙な冒険 Adrift in the Pacific ; or, the strange adventures of a schoolboy crew 』という題で、イギリスの宗教叢書協会(Religious Tract Society)が1879年に創刊した児童雑誌『ボーイズ・オウン・ペーパー The Boy’s Own Paper 』の第11巻508号~543号(1888-10/6~89-6/8)に36回に分けて掲載されたのが初出である。英語への翻訳者は不明。ヴェルヌによる原雑誌への掲載が終了する(88-12/15)2ヶ月前に、すでに英訳が開始されていたことは注目に値する。

  ①第11巻508号(1888-10/06発行) ⇒第01章〔挿絵2枚〕
  ②第11巻509号(1888-10/13発行) ⇒第01章(承前)〔1枚〕
  ③第11巻510号(1888-10/20発行) ⇒第02章〔1枚〕
  ④第11巻511号(1888-10/27発行) ⇒第02章(承前)〔2枚〕
  ⑤第11巻512号(1888-11/03発行) ⇒第03章〔3枚〕
  ⑥第11巻513号(1888-11/10発行) ⇒第04章〔3枚〕
  ⑦第11巻514号(1888-11/17発行) ⇒第05章〔3枚〕
  ⑧第11巻515号(1888-11/24発行) ⇒第06章〔4枚〕
  ⑨第11巻516号(1888-12/01発行) ⇒第07章〔3枚〕
  ⑩第11巻517号(1888-12/08発行) ⇒第08章〔3枚〕
  ⑪第11巻518号(1888-12/15発行) ⇒第09章〔1枚〕
  ⑫第11巻519号(1888-12/22発行) ⇒第10章〔4枚〕
  ⑬第11巻520号(1888-12/29発行) ⇒第11章〔2枚〕
  ⑭第11巻521号(1889-01/05発行) ⇒第12章〔3枚〕
  ⑮第11巻522号(1889-01/12発行) ⇒第12章(承前)〔2枚〕
  ⑯第11巻523号(1889-01/19発行) ⇒第13章〔3枚〕
  ⑰第11巻524号(1889-01/26発行) ⇒第14章〔3枚〕
  ⑱第11巻525号(1889-02/02発行) ⇒第15章〔2枚〕
  ⑲第11巻526号(1889-02/09発行) ⇒第16章〔4枚〕
  ⑳第11巻527号(1889-02/16発行) ⇒第17章〔4枚〕
  ㉑第11巻528号(1889-02/23発行) ⇒第18章〔4枚〕
  ㉒第11巻529号(1889-03/02発行) ⇒第19章〔3枚〕
  ㉓第11巻530号(1889-03/09発行) ⇒第20章〔1枚〕
  ㉔第11巻531号(1889-03/16発行) ⇒第21章〔2枚〕
  ㉕第11巻532号(1889-03/23発行) ⇒第22章〔2枚〕
  ㉖第11巻533号(1889-03/30発行) ⇒第23章〔2枚〕
  ㉗第11巻534号(1889-04/06発行) ⇒第24章〔2枚〕
  ㉘第11巻535号(1889-04/13発行) ⇒第24章(承前)〔2枚〕
  ㉙第11巻536号(1889-04/20発行) ⇒第25章〔4枚〕
  ㉚第11巻537号(1889-04/27発行) ⇒第26章〔3枚〕
  ㉛第11巻538号(1889-05/04発行) ⇒第27章〔2枚〕
  ㉜第11巻539号(1889-05/11発行) ⇒第27章(承前)〔2枚〕
  ㉝第11巻540号(1889-05/18発行) ⇒第28章〔1枚〕
  ㉞第11巻541号(1889-05/25発行) ⇒第28章(承前)〔1枚〕
  ㉟第11巻542号(1889-06/01発行) ⇒第29章〔2枚〕
  ㊱第11巻543号(1889-06/08発行) ⇒第29章(承前)〔2枚〕

最終章のほかは原著と同じ章立てで、原著と同じくレオン・ベネットの挿絵を同じ数(88枚)収録してある。おおむね原著の構成を忠実に伝えているが、後半をこえたあたりから文章の省略が目立つようになり、最終29章は原著の29+30章を一章に圧縮してある。編集方針に一貫性を欠くところがあり、完訳とはいえない。ただその後の英訳版(単行本)と比べると、情報量は最も多いようである(単行本をまだ手元に置けていないので、ほぼ頁数による推測。詳細な校合は今後の課題とする)。

★雑誌『The Boy’s Own Paper 』については、インターネット上の【HathiTrust DIgital Library】に公開されている画像を参照した(カリフォルニア大学所蔵本、第11巻)。1年分の雑誌を1冊にまとめて刊行する際に 『 The Buy’s Own Annual 』と改題されている。

 英語訳の単行本は、1889年2月16日に、アメリカの「George Munro」社から「Seaside Library Pocket Edition」の1冊(260頁)として二年間の休暇 A Two Years Vacation と題して刊行されたのが初出である。英語への翻訳者は不明。原題に近い書名を採用し、上記の雑誌(英訳版)の掲載終了を待たずに(全36回中20回まで掲載中)刊行されていることから、イギリス版とはまったく別に企画された翻訳出版と推測される。ついで1889年11月に、イギリスの「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington」社から太平洋での漂流 Adrift in the Pacificと題して刊行された1冊(293頁)が続く。こちらも英語への翻訳者は不明。この版は、雑誌(英訳版)の掲載終了後、5ヶ月をへて刊行された同じ題名の1冊であり、雑誌原稿を単行本としてまとめ直した可能性が高いが、単行本を未見のため、詳しい検討は今後の課題としたい。このイギリス版は、1892年に「Sampson Low, Marston, & Company」社から2冊(151+142頁)に分けて再刊されている他、何度か再刊されているようであるが、詳しくはこちらも調査中である。
★初期の英語訳の単行本は、カナダのヴェルヌ収集家Andrew Nash 氏のホームページ【julesverne.ca】において、表紙の写真を確認した。刊行日時についての情報は、【The Internet Speculative Fiction Database】の項目「Jules Verne][Deux ans de vacances]を参照したが、こちらの典拠は、Stephen Michaluk, Jr. & Brian Taves 両氏編『ジュール・ベルヌ百科事典 The Jules Verne Encyclopedia 』(Scarecrow Press、1996年5月)による。

 一つ気になるのは、【Internet Archive】上に、1889年に 「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 」社から刊行されたという 『Adrift in the Pacific 』 の写真版(ニューヨーク公共図書館所蔵)がアップされていることである(2013年6月公開)。これが上記の1889年11月刊行版と同一のものであれば、研究上大変便利だったのであるが、実際の映像をみると、確かに 『Adrift in the Pacific 』 とはあるが、刊行年の表記はなく、出版社も1889年版を刊行した 「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 」 ではなく「Sampson Low, Marston, & Company 」 とあり、これは1892年版刊行時の出版社名に等しい。何より本文176頁で全19章(1~9章〔101頁〕/10~19章〔75頁〕)に圧縮されていることからして、この写真版は、1892年以降に「Sampson Low, Marston, & Company」から刊行された1889年版(293頁)のさらなる簡略版である可能性が高いように思われる。


  以上をまとめると、最初期の英訳本として確認できるのは、
(A) Adrift in the Pacific ; or, the strange adventures of a schoolboy crew  〔太平洋での漂流 ― 男子学生乗組員たちの奇妙な冒険〕(雑誌The Boy’s Own Paper 』第11巻508~543号、1888年10月~1889年6月)  
(B)A Two Years Vacation  〔二年間の休暇〕(George Munro 社、Seaside Library Pocket Edition、1889年2月) 
(C)Adrift in the Pacific  〔太平洋での漂流〕(Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 社、1889年11月)

の3種である。同じ書名を採用していることから(A)をもとに(C)が刊行されたと推測されるが、(A)と(C)では出版社が異なっているので、一応別物と判断しておく。今回残念ながら単行本(B)(C)の本文を参照することができなかったので、今後精査したいと考えている。

 本邦初訳を行った森田思軒が見た英訳本は、単行本『十五少年』の例言で、本書の原題が二個年間の学校休暇であることを指摘していたことから、(B)A Two Years Vacation  〔二年間の休暇であった可能性が高い。このことは波多野完治(はたのかんじ)が、1950年に発表した論文十五少年漂流記の原本(『ニュー・エイジ』〔毎日新聞社〕第2巻7号、1950年7月、71・72頁)において初めて確認された。同論文は翌51年に刊行された波多野完治訳『十五少年漂流記(新潮文庫、1951年11月)の解説の一部に取り入れられているので、誰でも容易に参照できる(現行本〔66刷改版、1990年5月〕では、278~280頁)。

★なお波多野氏は新潮文庫版への解説において、小出正吾(こいでしょうご)氏が、戦後間もなく『十五少年漂流記』の英訳原本の問題について提起されていたことに触れられている。具体的な論文名を挙げていなかったので調べてみると、小出正吾著『十五少年』について(『日本児童文学』第2号、1946年12月、20・21頁)という論文が見つかった。この論文の内容は、小出正吾編『十五少年漂流記(実業之日本社、1948年10月)の「あとがき」(294・295頁)の一部に取り入れられている。同書は「国立国会図書館デジタルコレクション」に映像が公開されているので、容易に参照可能である。