91〈春の歌とてよめる
良岑宗貞
花の色は霞にこめてみせずともかをだにぬすめ春の山かぜ
【 春の歌として詠んだ(歌)
良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
花の色は霞のなかにとじこめて見せないとしても、
せめて香りだけでも盗んでおくれ、春の山風よ
▽
※春 の 歌[名詞+格助詞(連体修飾)]→春の歌
※と て よめ る[格助詞+接続助詞+動詞(マ四)已然形
+助動詞 り 連体形(完了)]
→として詠んだ(歌)
◎良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。のちの僧遍照(へんじょう)。
六歌仙(紀貫之が『古今和歌集』序で論評した六歌人)の一人。
▼
※花 の 色 は[名詞+格助詞(連体修飾)
+名詞+格助詞(提示・対比)]
→花の色は
※霞 に[名詞+格助詞(場所・状態)]
こめ て[動詞(マ下二)連用形+接続助詞(単純接続・手段)]
→霞の中に閉じ込めて
※みせ ず[動詞(サ下二)未然形+助動詞 ず 終止形(打消)]
とも[接続助詞(逆接仮定)]
→見せないとしても
※か を だに[名詞+格助詞(目的語)+副助詞(最小限の希望)]
ぬすめ[動詞(マ四)命令形]
→せめて香りだけでも盗んでおくれ
※春 の 山かぜ[名詞+格助詞(連体修飾)+名詞]
→春の山風よ】
92〈寛平の御時きさいの宮の歌合のうた
素性法師
花の木も今はほりうゑじ春たてばうつろふ色に人ならひけり
【寛平年間、后宮での歌合のうた
素性法師(そせいほうし)
花の(咲く)木でさえも
今はもう掘り植えるまい
春になるとうつろう(花の)色に
人(の心)は倣うものであったよ
▽
※寛平 の 御時[名詞+格助詞(連体修飾)+名詞]
→寛平(889-898)の御代
※きさいの宮 の[名詞+格助詞(連体修飾)]
歌合 のうた[名詞+格助詞(連体修飾)+名詞]
→后宮の歌合の歌
◎素性法師(そせいほうし)。遍昭の子。
三十六歌仙(藤原公任が『三十六人撰』で選んだ歌人)の一人。
▼
※花 の 木 も[名詞+格助詞(連体修飾)+名詞+係助詞(強意・添加)]
→花の(咲く)木さえも
※今 は[名詞+係助詞(区別・提示)]
ほり うゑ じ[動詞(ラ四)連用形+動詞(ワ下二)連用形
+助動詞 じ 終止形(打消意志)]
→今はもう掘って植えるまい
※春 たて ば[名詞+動詞(タ四)已然形
+接続助詞(順接確定条件 ~すると・ので)]
→春になると
※うつろふ 色 に[動詞(ハ四)連体形+名詞+格助詞(対象)]
→うつろう(花の)色に
※人 ならひ けり[名詞+動詞(ハ四)連用形
+助動詞 けり 終止形(詠嘆)]
→人(の心)は倣うものであったよ。
★「寛平の御時きさいの宮」について。寛平年間の、宇多天皇(867-931。在位 887-897)の代表的な后妃として藤原温子(872-907)が知られるが、現在多くの注釈ではこの「きさいの宮」は温子ではなく、班子女王(はんしじょおう。833-900)をさすと考えている。班子女王は、光孝天皇の女御で、宇多天皇の生母である。宇多天皇の即位にともない(先帝光孝天皇の)皇太夫人となり(887年)、宇多天皇の譲位(醍醐天皇の即位)にともない皇太后となった(寛平9年〔897〕)。その一方、藤原温子(872-907)は、藤原基経の娘で、宇多天皇の更衣として入内後まもなく女御になった(888年)。そして宇多天皇の譲位(醍醐天皇の即位)にともない、皇太夫人となっている(寛平9年〔897〕)。
この寛平9年(897)に班子女王が皇太后になったとき「皇太后宮職」が置かれ、同年に藤原温子が皇太夫人になったとき「中宮職」が置かれたことが知られる(『公卿補任』等)。制度史上、寛平年間における「きさいの宮」といえば、「皇太『后宮』職」の呼び名から班子女王を想起するのは自然な解釈と思われる。現状、大著・萩谷朴著『平安朝歌合大成』が手元になく、また図書館に出向いて確認する余裕も取れないため、この問題については時間ができしだい改めて検討したい。
93〈題しらず
読人しらず
春の色のいたりいたらぬ里はあらじさけるさかざる花のみゆらむ
94〈春の歌とてよめる
貫之
みわ山をしかもかくすか春霞人にしられぬ花やさくらむ
95〈うりんゐむのみこのもとに、
花見に北山のほとりにまかれりける時によめる
素性
いざけふは春の山辺にまじりなむくれなばなげの花のかげかは
96〈春の歌とてよめる
いつまでか野べに心のあくがれむ花しちらずば千世もへぬべし