2024年1月5日金曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (3)

 ◆思軒訳『十五少年』現代語訳の時代(その二、1920年代

   ③霜田史光「十五少年漂流物語」(1924)
         →『十五少年漂流記』(1925)
   ④長門峡水「〈冒険奇譚〉十五少年孤島探検」(1926 )
   ⑤奥野庄太郎『十五少年漂流記』(1927→1930)

 
 思軒訳『十五少年』にもとづく現代語訳、 1920年代に確認できたのは次の3点である。
  
 1点目は、1925年2月に刊行された霜田史光(しもたしこう。1896-1933)『十五少年漂流記』である。これは『十五少年漂流記』を単行本の書名として用いた初例であって、「ジユウール・ヴエルヌ著/霜田史光訳述/寺内萬治郎(てらうちまんじろう)装幀・挿画」として金塔社から刊行された(◇269頁)。同冊は単行本として刊行される前に、「十五少年漂流物語」という題名で、雑誌『金の星』(金の星社)第6巻3~12号(1924年3~12月に10回に分けて掲載された。ただし連載は、原著でいう第28章の途中までで中断されている。最終号(1924年12月)の末尾に、「まだ話の終らない内に遂に十二月号となつて了ひました。で、止むなくこゝで一段落して、後は近日、本社から出版する単行本に掲載いたします。悪からずお赦しを願ひます。(記者)」と記されている。この2ヶ月後(1925年2月)、単行本が刊行された。さらに2年近く後(1926年12月)、金の星社の「少年文学名著選集1」として『十五少年漂流記』と題して再刊された(◇269頁)。
 
 2点目は、1926年2・3月に刊行された長門峡水(ながときょうすい。?-?)「〈大冒険奇譚〉十五少年孤島探検」である。博文館の雑誌『少年少女譚海』第7巻2・3号(1926年2・3月)に掲載された。「第一回」「第二回」、第3号に「第三回」を掲載。原著でいう第1・2・3章のみの抄訳である。雑誌の続きをみても、「第四回」以下が掲載された形跡はない。雑誌第2号の本文冒頭に、「この物語は、長門峡水氏が特に譚海愛読者の為に全力を尽してかいて下すつたもので、全篇悉く熱血のみなぎつてゐるものです。どうぞ第一回より熱心におよみ下さらんことを切望します」とあり、巻末の編輯だよりに、「本号より発表します長門峡水氏の『十五少年孤島探検』は、同君が特に譚海愛読者の為めに苦心の熱筆を振はれたので二百枚以上の長篇物語で、第一回より最後迄、息もつけぬ面白いものです。(下略)」とある。また第3号の本文末尾に「(つゞく)」とあり、巻末の編輯だよりに「『加藤十勇士』や『八郎為朝』、『十五少年孤島探検』の物語は次号から回を進むにつれてますヽヽ痛快に面白くなります」とある。これらのことから、本来はより長期にわたる連載を予定していたものの、何らかの理由で急遽最初の2・3号のみで打ち切りとなってしまったことがわかる。
 
 3点目は、1927年10月に刊行された奥野庄太郎(おくのしょうたろう。1886-1967)編『十五少年漂流記』である。同冊は奥野庄太郎 編、丹宗律光(たんしゅうりっこう)装画として『〈学習室文庫〉十五少年漂流記』と題し、中文館書店から刊行された(1927年10月◇74頁)。こちらは同年同月に、奥野氏の名をふせたまま『学校家庭文庫4 ロビンソン物語 外二編』(九段書房、1927年10月◇206頁)の一編として、「十五少年漂流記」の題で収録された(136-206頁)。さらに同冊は、1930年9月奥野庄太郎著 『東西童話新選 文の巻』(中文館書店、1930年9月◇488頁)の1編として「十五少年漂流記」と題し収録された(2~73頁)。こちらにはそのほか「クオレ物語」「トムソーヤ物語」「なるほど物語」「オルレアンの少女」「指輪の持主」「小公子」「ダンテ物語」の8編が収録されている。巻頭の「はしがき」に出版の経緯が記されており、「此の本のお話は最初『学習室文庫』のものとして書いたのですが、その本は日本の多くのお子供様方から歓迎され既に一万部を売り尽したのです。そして更に装幀の立派なものが欲しいといふ要求がありますので、前記のごとく同文庫中から選抜したものです」とある。

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