2011年6月28日火曜日

マザー・テレサ『日々のことば』9月より


ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より抜粋。

※私はキリスト教徒ではありませんので、
 神様の名を上げることに解決を見出そうとされる部分は、
 それほど共感できません。
 ただ宗派がなんであれ、
 自らの生涯を実践に捧げられたことには、
 たくさん共感する部分があります。

◆9月2日
親切で慈しみ深くありなさい。
 あなたに会った人はだれでも、
 きたときよりももっと気持ちよく、
 もっと幸せになって帰るようにしましょう。

 神の優しさの生きたしるしになりなさい。
 あなたの表情に、あなたの瞳に、あなたのほほえみに、
 あなたの温かなあいさつに、親切が表れますように。

 子どもたちに、貧しい人に、
 苦しみや孤独を感じているすべての人に、
 いつも温かいほほえみを向けましょう。
 お世話をするだけではなく、あなたの心も与えなさい。
」277

※接客の基本。
 出会いの基本的な心がけ。

 私と出会って、
 何となく暖かい、明るい気持ちになってもらえたら嬉しいな。
 そう願いましょう。

 仕事の話はその先でいいでしょう。

 何をしたらよいかわからなければ、
 とりあえず、まずは自然な笑顔でほほえみかけられるように、
 人に対しているときは、明るく朗らかでいられるように
 つねに心がけていましょう。

 しだいによい方向に変わってきます。


◆9月18日
もし、経験がないならば、尋ねなさい。
 尋ねることは恥ずかしいことではありません。
 けれど、
 知らないことを知っているようなふりをするのは、
 やめましょう。
」298

※経験がないことを尋ねるのは、
 必要なことですが、
 勇気が入ります。

 人に尋ねるためには、
 自分からへりくだって、
 頭を下げなくてはなりません。

 こんなこともわからない私であることを
 公にすることは、やはり勇気がいることだと思います。

 でもやはり、
 相手が尋ねたがらないことについては、
 その気持ちを思いやる必要があるでしょう。

 ただ自分の問題について、
 知らないことを知っているふりをして、
 自分に嘘をつくことはないようにしたい。


◆9月25日
ほんとうの愛は、祈りの中で、
 神と共に始まらなくてはなりません。
 もしわたしたちが祈るなら、
 愛することができるでしょう。
 もしわたしたちが愛するなら、
 奉仕することができるでしょう。

 貧しい人たちもまた、
 もっとすばらしいことのために、創られたのですから、
 わたしたちみんなが彼らを愛するよう、
 わたしたちの心をささげると約束しましょう。
」306

※祈りのなかに、
 愛情というものを生かすことができるようになったら、
 それは強いと思います。

 愛情とは
 まず以て個人的なものです。

 家族への愛が、
 何にもまして大切であることは、
 当然なことでしょう。

 そこから少しずつ、
 外に向かってそろりそろりと
 愛情を広げていく余裕ができたなら、
 いいな。


◆9月27日
子どもたちは、彼らを受け入れ、
 彼らを愛して、彼らをほめ、
 彼らを誇りとしてくれる、だれかを熱望しているのです。

 子どもたちを、わたしたちの注意や関心の中心に、
 もう一度戻そうではありませんか。
 こうすることが、
 唯一、この世界が生き延びる道なのです。

 子どもたちは、未来への唯一の希望だからです。
 お年寄りが神に呼ばれるとき、
 その子どもたちだけが、
 彼らの場所を引き継ぐことができるのです。
」308

※心を受け止めて、受け入れて、認めること。

◆9月29日
祈りの実は、清い心、
 そして、清い心は、自由に愛します。
 愛の実は、平和、一致、喜びです。
」310

※祈ること。

2011年6月27日月曜日

森信三『運命を創る』2


森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。

※印は栗木によるコメントです。

※原著『修身教授録』は、
 森信三さんが「天王寺師範学校の専任講師として
 修身科の授業を担当していた、昭和十二年~十四年の
 講義内容を師範学校生徒によって口述筆記させたもの」
 がもとになっています。

 昭和十五年に同志同行社より『修身教授録』五巻セット
 として刊行されたのち、昭和四十五年に『森信三全集』
 の中に収録されました。

 その後、平成元年に致知出版社から単行本として世に出され、
 爾来ロングセラーを続けているものです。
(森迪彦さんによるまえがき参照)


2 志学

志学 というは、
 この自分という一箇の生命を、
 七十年の生涯をかけて練りにねり、
 磨きにみがいていって、
 ついには天下国家をも、
 道によって治めるところまで
 いかずんば已まぬという一大決心だ
」29

※人生の目標を立てる、
 ただ立てれば良いわけではない。

 ただそうは言っても、
 若ければ若いほど、
 知らないことばかりで、
 先のこともよくわからない状況なので、
 なかなか本人にとって
 一生の支えとなるような目標は立てられないものです。

 おそらくすぐれた先生か、
 すぐれた書物の導きがなければ、
 立派な人生の目標を立てるところまではいかないうちに、
 どんどん年月が過ぎて、いつのまにか
 学校で勉強する時期を終了していることの方が多いのではないでしょうか。

 それだけに、
 若くして、これはといえる
 人生の目標が立てられた人は強いと思います。

 よい先生は、人との縁で、
 そうした出会いに恵まれないことは
 あるかもしれません。

 でも書物は、少しお金をかければ、
 よい書物を家にそろえておくことは出来ると思います。


永続きしないものは決して
 真の力となるものではありません。
」31

※確かに、
 長く取り組むということは、
 根気のいることですが、大切だと思います。

 また、何をするにしても、
 三日坊主は論外として、
 数週間や数カ月ちょっとかじっただけて、
 身につく、というものではないでしょう。

 何をするにしても、
 ある程度身について来るのに
 数年はかかるでしょうし、
 それなりに結果が出てくるには、
 十年くらいは必要でしょう。

 そして五年、十年と続いてきたものであれば、
 おそらく一生、何だかんだと続いて、
 自分の大きな財産になっているでしょう。


人間の決心覚悟というものは、
 どうしても持続するものでないと本物ではなく、
 真に世のため人のためには、
 なり得ないのであります。
」31

※数カ月でやめました、
 ということでは、
 何ごともかたちになりません。

 若い時分に、
 そうした経験を二つ三つ持つことは、
 仕方がないのかもしれません。

 しかしすべてにおいて、
 途中で投げ出す癖がつかないようにしたいものです。


いやしくも人間と 生まれて、
 多少とも生き甲斐のあるような人生を送るには、
 自分が天からうけた力の一切を出し尽くして、
 たとえささやかなりとも、
 国家社会のために貢献するところがなくてはならぬ
」32

※自分のために、
 自分の志を立てる、
 それだけでは足りないのではないか。

 人さまのために、
 世の中のために、
 自分は何ができるのか、
 それを考えるところに、
 本当の始まりがある。

 人さまのお役に立つ、
 という考え方は、とても大切です。


自分が天からうけた力の一切を、
 生涯かけて出し切るところに、初めて、
 小は小なりに、大は大なりに、
 国家社会のお役にも立ち得るわけで、
 人生の意義といっても、
 結局この外にはない
」33

※力を出し惜しみして、
 何ごとかを成し遂げるのは
 無理でしょう。

 いつも精一杯のところで勝負して、
 力を出し尽くして、ようやく
 上手くいくこともある。

 ただ、いざ死期をむかえて、
 やっぱりああしておけば、
 と後悔しても、仕方がありません。

 死んだら終わりなので、
 日々の生活を精一杯、
 後悔しないようにがんばるのみです。


一方では際限があるようでありながら、
 しかも実際には限りのないのが、
 人が天からうけた力というものですから、
 そこでとことんまで出し切るには、
 一体どうしたらよいか
」35

※どこかに限界はあるのでしょうが、
 事前に自分の限界がわかることはありえません。

 限界については、
 考えないようにしています。
 まずは自分の限界を考えないで、
 がむしゃらにやってみるしかないでしょう。

 おそらく肉体的な限界は、
 割合早めに感じることになるのでしょうが、

 精神的な部分は、
 日々使い続けている限り、
 肉体の2、3倍は長く、
 成長を続けていくのではないでしょうか。

 とりあえず40が近づいている現状は、
 今まででいちばん頭脳は明晰に動いている感じです。

 できたら死ぬ直前まで、
 どんどんいろんな知的発見を楽しめる人生を送りたいです。


そのためには、
 一体いかなることから着手したらよいかというに、
 それには何と言ってもまず偉人の伝記を読むがよいでしょう。
」35

※先人の知恵に学ぶ、
 という態度は、より強く、
 持ち続けたほうが良いのでしょう。

 いろいろ読書はしてきましたが、
 伝記はそれほどたくさんは読んで来なかったかもしれません。

 人への興味を呼び起こし、
 自分の人生への足がかりを得るためにも、
 伝記は有用だなあ、
 と今更ながらに思います。

 おそらくあと2,30年は生かしてもらえると思いますので、
 まだ遅くない、と思って勉強を続けます。


偉人の書物を繰り返して読むということは、
 ちょうど井戸水を、
 繰り返し繰り返し、
 汲み上げるにも似ている
」35

※これはよくわかります。
 良書は、くりかえし読むごとに、
 違った味わいで、よい響きを返してくれます。

 若い時分に気をつけることは、
 悪書も数限りなくある、
 というか、悪書のほうが多い、
 といえないこともないので、
 それなりに選びながら、
 良書を読んでいくことです。


真に教育者の名に値するような人々は、
 超凡の大志を抱きながら、
 色々と世間的な事情によって、
 それを実現するによしない立場に立たされた人傑が、
 現実的にはそれを断念すると共に、
 どうしても自分の志を、
 門弟子を通して達成せしめずにはおかぬ、
 という一大願を起こすとこに、
 初めて生まれるもののようであります。

 孔子しかり、
 プラトンしかり、
 わが松陰先生またしかりです。
」37

※大きな志を恐れてはいけない。
 それは多く、壁に突き当たって、
 断念せざるを得なくなることが多い。

 でも大切なのはそこから、
 いかに努力して、現実に適応しながらなお、
 志を失わずにがんばり通すか、なので、

 壁に当たりそうだから、
 無理そうだから、といって、
 やってみたいな、と思う志は、
 ぜひ捨てないで続けていくようにしたい。

 当然そこまでは至らないのですが、
 若い一時期、歴史上の偉人に自分を重ね合わせるようなときは、
 あってもいいと思います。

2011年6月25日土曜日

【読了】吉川英治『宮本武蔵(二)』

さてこちらも、ほぼ一ヶ月で読み終えました。

吉川英治『宮本武蔵(二)』

(講談社、吉川英治歴史時代文庫15、平成元年11月)

これが一番読みやすかったのですが、
『明治天皇』と『ローマ人の物語』を読み終わるまで、
わざとゆっくり読み進めておりました。


宮本武蔵の伝記、
といってしまうと語弊があるでしょうが、
8冊読み終えて、
宮本武蔵と一心同体になって、
宮本武蔵ってすごい!
と思って、前向きに生きて行くことができるとしたら、


それ以上、何も求めるべきなのでしょうか。


叙述されてこその歴史です。


それならば、誰しもが読みやすく、
共感をもっていただける著作として、
宮本武蔵を書き上げたことの価値は
絶大なものがある、と思うのでした。


では第3冊目に入ります。

2011年6月23日木曜日

スマイルズ『向上心』第2章(前半)



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳、
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。
※印は栗木によるコメントです。

第2章 個性を磨く

人格というものは、
 この世の中でもっとも大きな人を動かす『原動力』の一つである。
 高潔な人格には、
 人としてあるべき理想の姿がある。
」34

※人格という視点は、
 今の学校では教えられなくなっているのではないでしょうか。

 あえて学校で教えなくとも、
 と考えているのかもしれませんが、
 少し寂しい気はします。

 ただし道徳と称して、
 ジェンダー・フリーなどの狂った思想を植えつけられるよりは、
 民間で、これを学べば、というものを
 体系だてて作り上げていったほうが、よいのかもしれません。


非凡な才能は常に賞賛翔の的となるが、
 何にもましてすぐれた人格は尊敬の念を集める。
 どちらかと言えば、
 前者は知力の産物であるが、
 後者は精神的な力に負うところが大きい。
 長い目で見ると、
 人生を左右するのはこの精神的力なのである。
」34

※社会に出て、
 長い目で見れば、
 今でもやはり、人生を左右するのは
 非凡な才能の力よりも、
 すぐれた人格の力によるのだと思います。

 ただしまず第一歩、
 社会に足を踏み出すときに、
 評価の対象とされるのは、
 外から見て、すぐにわかるものであることが多いです。

 人格が評価されるのには、
 ある程度、時間がかかります。


充実した人生をおくるために努力を惜しまず、
 どんな些細なできごとにも真心を持って、
 正しく誠実に謙虚さを失わずに生きることは、
 誰にでもできる。
」35

※確かに、わたしにもできる。
 そのために私は、
  努力を惜しまず、
  真心をもって、
  正しく誠実に、
  謙虚さを失わずに
 生きる日々を、
 心から楽しいと思えるようになりたい。


人生の中心は、
 ありふれた平凡な義務を果たすことにある。
 美徳の中でももっとも影響力があるのは、
 日常生活で必要とされる種類のものである。
 これらの美徳には何よりも値打ちがあり、
 永続性がある。
」36

※ありふれた日常に注目することは、
 若いうちにはなかなか難しいことかもしれませんが、

 さすがに四十が目前に迫ってくると、
 腑に落ちるところが多いです。

 日常の生活を充実させる中にこそ、
 よい人生のほとんどすべてがある、と思います。


知的教養は、
 人格の純粋さや立派さなどには必ずしも関係がない。
」37

※これは、どちらかといえば
 勉強ばかりして来た身にとっては、
 少し残酷な言葉なのですが、

 正しい考え方だと思います。


ほんのひと握りの信仰心は、
 山ほどの学問に匹敵する

(ジョージ・ハーバード)37

※信仰心は、
 どちらかといえば、今の日本で、
 猜疑心をもって見つめられていると思います。

 しかし冷静に考えれば、
 信仰心を何ももたない人生ほど、
 空虚なものはないのではないでしょうか。

 何も新興宗教に手を出す必要はないので、
 ご先祖さまに手を合わせる心は、

 人として忘れずにおきたいものです。


心を豊かに育てることに比べれば、
 他はみなとるに足りないと自覚しなければならない

(ウォルター・スコット)38

※確かに、
 心さえ豊かであれば、
 あとはどうにかなるもの。

 勉強をするのも、
 お金を稼ぐのも、
 仕事をするにも、
 自分の心を豊かにする側面があることを
 忘れてはならないと思います。


人格は財産である。
 しかもいちばん高尚なものだ。
 普遍的な善意と、
 人びとの尊敬に囲まれた自分だけの所有地である。
」39

※大人になって、
 人格という財産を、
 蓄える努力を忘れないようにしたい。

 一生勉強です。
 死ぬ直前まで、
 日々自分を少しずつ高めていく人生であれたらいいな。


世の中の人にもっとも効果的に働きかける点で、
 勤勉さ、善良さ、
 美徳などのすぐれた資質を持つ人物が
 誰にもまさるのは当然のことである。
」39

※勤勉な人、
 善良な人、
 すぐれた資質をもつ人を評価する社会であるといい。

 少し長い期間で考えれば、
 今でも何も変わらないと信じたい。


われわれは一人残らず金持ちや偉人になったり、
 高い教育を受けたりしなければならない必要はない。
 しかし、誰にでも誠実に生きる義務はあるのだ。

 (ベンジャミン・ルドヤード)40

※誠実に生きることは、
 私にもできる。

 よし、誠実に生きよう。

 そうした生き方は、
 子どものうちに身につけておきたい。
 親の責務として。


正直でなければ、
 つまり真心がなければ信用に値しない。
 この真心こそ、
 人びとの尊敬を集め、
 信用を得る要因なのである。
 真心は人間としてのあらゆるすばらしさの基礎である。
」42

※誠実であるとは、
 正直であること。
 他人に対してはもちろん、
 自分に対しても、正直であること。
 すなおな、きれいな心を持ちつづけること。

 結局それが一番楽な生き方だと思います。

 そんな人たちを、
 きちんと評価できる社会であるといいな。


人生で起こるさまざまなできごとや職業において、
 知性は人格ほど役に立たないし、
 頭脳は心ほど効果的には働かない。
 非凡な才能でも、
 自制心や忍耐、
 公平な判断に立脚した信念にはかなわない。
」43


個人の生活、
 あるいは社会での生活を円滑に送る手だてとしては、
 公平さに導かれた良識を身につけておくのがいちばん役に立つ。
 経験に育てられ、
 善意から発した良識は、
 実際的な知恵となって表われる。
」43


自分そのもの以上に自分を傷つけるものはない。
 ずっと耐え忍んできた欠点は身についてしまっている。
 自分の欠点に悩むこと以上に深刻な悩みは、
 この世にあり得ないだろう

 (ある聖職者)45


物質的にでなく精神的に豊かになり、
 世間的な名声でなく真の名誉を求め、
 学問をおさめるよりは徳のある人間になり、
 権力をかさに着て権威を振り回すのではなく、
 正直で誠実で高潔な人格を目標にしなければならない。
」46


常に自分を今以上に高めようとしない人間ほど貧しいものはない
 (十六世紀の詩人ダニエル)47


人格の根となる意志の力、茎である智恵-
 実際に役立つこの二つの力がある程度なければ、
 人生は曖昧模糊として、
 何のために生きているのかもわからない。
」47


人格者は良心的である。
 自分の良心に従って働き、
 話し、行動する。

 人格者はまた敬虔な心の持ち主でもある。
 この資質を備えた人は男女を問わず、
 きわめて気高く、
 そして崇高な人間像をつくる。

 彼らは、
 時代とともに引き継がれてきたさまざまなもの-
 高い理想、純粋な思想、
 高い目的、過去の偉大な人物、
 そして高潔な心を持って働く同じ現代に生きる人
 といったものを敬う気持ちを持っている。
」50

2011年6月20日月曜日

森信三『運命を創る』1



森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。

森信三さんのことを知ったのは、
致知出版の一連の書籍を通じてです。

正しく生きるとはどういうことなのか、
より深く考えたいときに、とても参考になります。
※印は栗木によるコメントです。

1 人間と生まれて

われわれ人間にとって、
 人生の根本目標は、
 結局は人として生をこの世に受けたことの真の意義を自覚して、
 これを実現する以外にない
」13

※人として生を受けて、
 何かしら人として、人のお役に立つことができて、
 次の世代に伝えて行くことができたら本望だ、
 という視点。

 そんなことを考える間もなく、
 日々の生活をがんばってやりくりしていくのが、
 大方の人で、
 別にそれが悪いわけではない。

 しかしとくに若い時期に、
 こうした話を聞いて、自分は何のためにこの世に生きてきたのだろう、
 と考えをめぐらしておくことは、
 大切なことだと思います。


そもそもいかなる力によってわれわれは、
 かく人間として
 その生をうけることができたのであるか。
」13

※先に、自分があるわけではない。
 でも気がつくと、人間としてこの世に生を受けている。
 何がしかの大きな力の存在に気がつけるといい。


われわれがこの世に生をうけたのは、
 自分の努力などとは全然関わりのない事柄であって、
 まったく自己を超えた大いなる力に催されてのことであります。
」15

※生かされている自分を意識する。
 自分の意志によって、生きているのだ、
 と考えるのは傲慢だと思いたい。

 大きな力によって
 生かされているうちは、
 上手くいかないことばかりでも、
 生き続ける義務がある。


われわれ人間は、
 ひとり自己の生年月日や、
 生まれた場所を知らないのみならず、
 おむつのとれる年頃までも、
 自分の存在については、
 ほとんど知る所がない
」16

※自分とは、あとから獲得されるもの。
 何も知らない状態のところに
 ポンと生まれてきて、
 すべての事柄は、
 あとから獲得されるのである。

 自分のことがある程度わかってくるのは
 かなり年月がたってからで、

 なんかわからないうちに
 生まれていて、なんかわからないうちに
 がんばって毎日を生きて、
 大きくなっていたのが私です。


われわれ人間は自分がここに人間として生をうけたことに対して、
 多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
 真に人生を生きるものと言いがたい
」17

※自分が出しゃばるな。
 自分をここまでしてくれた親兄弟、先生、友人たちに感謝。
 自分をここまで生かしてくれた奇跡に感謝。

 私はそれほどできた人間ではなかったので、
 このことがわかって来たのは、
 だいぶ年をとってからです。


人生そのものの意義を知らなければ、
 人の形をして生まれて来たとはいえ、
 人間として真に生き甲斐のある生き方はできない
」18

※人として生きる。

 自分は何のために生きてきたのかも、
 後から、ある程度の年齢まで一生懸命に生きてきて、
 あるときにふと、気がつくものかもしれません。

 はじめからわかるということはない。
 どうすればわかるのかもわからない。

 わからないままの人も大勢いる。
 それでものすごく不幸になるわけでもない。

 それでも、できることなら、
 自分の人生の意義を自覚した生き方をしたい。


人生の意義を知るには、
 何よりもまずこのわが身自身が、
 今日ここに人間として生を与えられていることに対して、
 感謝の念が起こらねばならぬ
」18

※一日の感謝。
 ありがとうございます。
 ありがとうございます。
 と自然に手を合わせられるか。

 もし、ありがとうの言葉が出てこなくても、
 毎日、お祈りする習慣をつけると、
 自然に、ありがとうございます、
 の言葉が心から出てくるようになってきます。

 お祈りは大切です。
 お祈りをしながら、誰かのことを非難したり、
 恨みつらみを述べたりすることはないでしょう。
 お祈りは感謝の気持ちを呼び起こします。


人身をうけたことに対する感謝の念は、
 昔の人が言った『人身うけがたし』
 という深い感懐から初めて発して来るものと思う
」19

※なにかの縁で、
 人として生まれてくることができた、
 感謝の気持ちを持てるか。

 何かの大きな力が、
 人としての私を生み出した、
 そこに感謝できるかどうか。