2024年1月23日火曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (2)

◆森田思軒訳『十五少年』の成立

 フランスの小説家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-1905)が1888年に執筆した小説Deux Ans de Vacances  (二年間の休暇)は、雑誌『Le Magasin d’éducation et de récréation (教育娯楽雑誌)』の第553~576号(1888-1/1~12/15)に掲載されたのち、単行本はJ・へッツェル社(J.Hetzel )から、1888年6月18日と11月8日に2分冊(351+342頁)の普及版が、同年11月19日に1冊(469頁)の豪華版(挿絵92枚)が刊行された。

 本邦初訳は、森田思軒(もりたしけん、1861~1897)氏によって行われた。森田氏は1896年に雑誌『少年世界』第2巻5~19号(博文館、1896年3~10月)に〈冒険奇談〉十五少年と題して15回に分けて連載したのち、同年12月に十五少年と題した単行本を刊行した(博文館、1896年12月◇292頁)。雑誌掲載時の表題と巻号、発行年月日は以下の通り。

  「〈冒険奇談〉十五少年/思軒居士/第一回」(第2巻5号、1896-3/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/思軒居士/第二回」(同巻6号、同-3/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第三回」(同巻7号、同-4/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第四回」(同巻8号、同-4/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第五回」(同巻9号、同-5/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第六回」(同巻10号、同-5/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第七回」(同巻11号、同-6/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第八回」(同巻12号、同-6/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第九回」(同巻13号、同-7/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十回」(同巻14号、同-7/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十一回」(同巻15号、同-8/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十二回」(同巻16号、同-8/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十三回」(同巻17号、同-9/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十四回」(同巻18号、同-9/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十五回」(同巻19号、同-10/1)

 単行本『十五少年』への例言に「是篇は仏国ジユウールスヴエルヌの著はす所『二個年間の学校休暇』を、英訳に由りて、重訳したるなり」とあるところから、森田訳がフランス語原本ではなく英訳本からの重訳であったことは初めから知られていた。しかし英訳本テキストについての細かい情報を欠いていたため、森田氏がどの英訳本を見たのかは長らく不明とされた。半世紀以上をへた1950年、波多野完治(はたのかんじ、1945-2001)氏によって、森田訳の英訳本テキストが確定された。森田氏が用いたのは、フランス語原本の刊行から3ヶ月後、1889年2月16日に、A Two Years Vacation  (二年間の休暇)と題し、アメリカの 「George Munro」 社から「Seaside Library Pocket Edition 」 の1冊として刊行された英訳本である(全1冊260頁)。
 
★思軒訳『十五少年』は、戦前において『現代日本文学全集33 少年文学集』(改造社、1928年3月◇566頁)、『明治大正文学全集8 黒岩涙香・森田思軒』(春陽堂、1929年3月◇756頁)に再録された他、岩波文庫(1938年10月)にも収録された。戦後においては『明治文学全集95明治少年文学集』(筑摩書房、1970年2月◇472頁)、『日本児童文学大系2 若松賤子集・森田思軒集・桜井鴎村集』(ほるぷ出版、1977年11月◇510頁)、長山靖生(なぎゃまやすお)編『少年小説大系13 森田思軒・村井弦斎集』(三一書房、1996年2月◇641頁)等に再録された。


◆思軒訳『十五少年』現代語訳の時代(その一、1910年代)

  ①葛原【凵+茲】女屋秀彦『〈絶島探検〉十五少年』(1916)
    →葛原【凵+茲】『十五少年絶島探検』(1923)
  ②富士川海人「十五少年の漂流」(1918?-1921? )
      ※「〈十五少年〉漂流記」の初見

 1896年に思軒訳『十五少年』が刊行されてから1950年代に入るまでは、ヴェルヌが執筆したフランス語原本が入手困難であったばかりか、思軒が参照した英訳本も所在不明になっていたため、時代に合わせた新訳を提供しようとすると、漢文調の思軒訳をもとにして現代語に訳しなおす他なかった。これからしばらく、「思軒訳『十五少年』現代語訳の時代」と称して、各年代ごとに、今回確認できた範囲の現代語訳を紹介していく。

 最初の現代語訳は、思軒訳から20年をへた1916年に刊行された葛原【凵+茲】(くずはらしげる)女屋秀彦(おなやひでひこ)共編『〈絶島探検〉十五少年物語(博文館、1916年9月◇458頁)である。同書は7年後に『十五少年絶島探検』と改題し、葛原個人編として再刊された(博文館、1923年3月◇458頁)。再刊版のほうは国立国会図書館デジタルコレクションに公開され、容易に参照可能である。この再刊版には、自序「『十五少年絶島探検』新訳偶感」と、再刊に寄せての一文「嬉しい事です」が添えられている。一文の冒頭には「七年前に此の本を訳した頃と、今とをくらべて」とあり、末尾に「尚、この本を出すについて、女屋秀彦君の御好意を感謝致します」とある。1916年の初版は、再刊版の一文に言及がある以外、他書への引用も見当たらず、各種検索にもなかなか出て来なかったが、坪谷善四郎編『博文館五十年史 年表』(博文館、1937年6月)の大正5年9月に「〈絶島探検〉十五少年物語葛原【凵+茲】・女屋秀彦」、大正12年3月に「十五少年 絶島探検葛原【凵+茲】」とあるのを確認した。そのほか2023年現在、北海道立図書館と大阪府立中央図書館〈国際児童文学館〉に所蔵されているのを確認済。

 1910年代で今一つ興味深い作品として、富士川海人訳「十五少年の漂流(未完)というものがある。1917年から1922年にかけて海国少年社から発行された雑誌『海国少年』に、「シユール・ベルヌ作/富士川海人訳」の「十五少年の漂流」という作品が連載されている〔★〕。富士川海人なる人物は、「十五少年の漂流」以外に同じ筆名による作品をまったく確認できない。雑誌『海国少年』の大半は所在不明であるが、国立国会図書館デジタルコレクションに5冊分の情報が公開され、そのうち3冊に「十五少年の漂流」が掲載されている。

    ◯第4巻8号(1920年10月)
     「69 有用な植物の発見」「70 深夜に猛獣の来襲」
    ◯第5巻8号(1921年8月)※掲載なし。
    ◯第5巻9号(1921年9月)※掲載なし。
    ◯第5巻10号(1921年10月)
     「87 新太守」「88 湖上のスケート」
    ◯第5巻11号(1921年11月)
     「〈十五少年〉漂流記の漂流(※予定の原稿を落とすことへの釈明文。)

4巻8号(1920年10月)に69・70章、5巻10号(1921年10月)に87・88章が掲載されている。5巻8・9号と連続して掲載がなく、10号で再開されたと思ったら第11号に至って「〈十五少年〉漂流記の漂流」と題する原稿を落とす(漂流させる)ことへの釈明文を掲載している。このあと再開して最終章までたどりついたのか、88章までで中断されのか気になるところであるが、現存する『海国少年』の詳しい調査をしていないので、今後の課題としたい。一点付け加えると、メアリ書房(福井県福井市)の目録に、
 「海国少年 大正7年12月号 第2巻12号 十五少年の漂流/富士川海人」
とあることから、1918年12月までに連載が始まっていたのは確実である。

 なお『海国少年』第5巻11号(1921年11月)に「「〈十五少年〉漂流記の漂流」とあるのが、この作品のことを「十五少年漂流記」と呼んだ初見であることにも注意しておきたい。ただし本作のタイトルはあくまで「十五少年の漂流」であって、原稿を落とすことを「漂流」と言うために、「十五少年」の部分のみ小字で記し、「『十五少年』(という名の)漂流記の漂流」と言い直しただけなので、富士川氏に新しい書名を提起する意図はなかった可能性が高い。よってこれは(一定の留保つきの)初見例と見なしておく。

★『海国少年』の出版年については、田中久徳「旧帝国図書館時代の児童書―歴史と課題―」『参考書士研究』48号(1997年10月)の表8「戦前期の代表的児童雑誌の所蔵状況」を参照した。なお現存する本文の冒頭には、「十五少年の漂流/富士川海人」とあるのみなので、富士川氏単独の編著として発表されたようにも見えるが、『海国少年』5巻10号(1921年10月)裏表紙の目次に「十五少年の漂流(海洋小説)/シユールベルヌ作/富士川海人訳」とあることから、初めからベルヌ作品の翻訳として発表されていたことがわかる。今後「十五少年の漂流」初回発表分が発見されれば、森田思軒訳との関係など、より明確な編集意図がわかるかもしれない。

 

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