2012年10月31日水曜日

【再読】中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 第Ⅱ部(第四・五章)


中川八洋 著
『正統の哲学 異端の思想 ―「人権」「平等」「民主」の禍毒―』
(徳間書店、平成8年11月)

(承前)
▼「第Ⅱ部 各論―隷従の政治か、自由の政治か」(第四~十章)
▽「第四章『平等教』の教祖ルソー ― 全体主義と大量殺戮の起源」
本章では、
ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学について、
その主著
  『学問芸術論』(1750年)
   『人間不平等起源論』(1755年)
   『政治経済論』(『百科全書』第5巻、1755年)
   『社会契約論』(1762年)
   『エミール』(1762年)
によりつつ概要を整理しています。

一言でいえば、
原始(野生)に回帰することによって
理想の人間性が回復すると夢想する、
社会の現実を真逆に捉えた哲学です。


・ルソーが理想とする人間とは、

 人間らしい社会関係の経験を欠く、
 野蛮な自然状態に生きる「自然人」(未開人、野蛮人)であり、

 文明の所産である学問や芸術を身につけた
 「文明人」に対して激しい憎悪を抱いていました。


・ルソーが理想とする社会とは、

 個人の私有財産、自由、権利、生命のすべてを
 「社会契約」(入信)によって共同体に譲り渡した、
 自由のない構成員(奴隷)による完全平等社会であり、

 個人の私有財産、自由、権利、生命を、
 基本的に不可侵のものと考える「文明社会」に対して、
 これまた激しい憎悪を抱いていました。


・ルソーは、
 文明社会(秩序ある自由社会)の活力の源泉である
 「結果の不平等」を徹底的に憎悪しました。

 そして、結果の不平等をなくすためには、
 自由競争を否定し、私有財産を否定し、
 みなが何も持たなくなれば良い、と考えました。


 しかし何一つ、自分のものがない
 自由を失った人間とは「奴隷」に他ならないわけなので、

 ルソーが理想としたのは、
 「全人民の完全奴隷化国家」(107頁)
 だということになります。


・しかし、健常な人間はふつう
 奴隷になることを望まないものなので、

 ルソーの理想を実現するためには、

 人民を強制的に奴隷化する
 法(命令)を下す「立法者」(独裁者)
 の存在が不可欠なものとなって来ます。


・実際、ルソーは自身を
 全知全能の「神」と見立て、

 理想を実現するには、

 人民が服従すべき「一般意志」を体現し、
 命令に背く人民を一方的に処刑しうる、

 「立法者」(独裁者)の存在が不可欠だ、
 と考えました。


・さらにルソーは、
 一般意志(教義)への入信者を増やすために、
 洗脳教育の聖典たる『エミール』を執筆しました。


・絶対者(立法者)が立法と教育を独占し、

 すべての人民が、この絶対者に完全に服従し、
 奴隷のように従順に徹する国家の実現に向けた、
 十全な方策を提示したのが、ルソーです。

以上、大まかな要約でした


ルソーの害毒は、
今でもそれほど知られていないので、

本書に出会わなければ、
何も知らぬままルソーと格闘し、
2、30代の貴重な時間を浪費していたかもしれません。

悪書は反面教師で
読んだ方が良いこともありますが、

ルソーは本音を隠し、
もってまわった言い方で、
読み手に気がつかせぬまま、
異端の道へと誘いこむ洗脳性が高いので、

自分の中で、
健善な哲学が確立されるまでは、
遠ざけておいた方が無難でしょう。


今のところルソーは、
時折、興味半分で読んでみて、
言い知れぬ不快な気分を味わって、
放り投げる程度でいいかな、と思っております。


なお、
ルソーを批判的な立場から解説した
日本語で読める概説書はほとんどありません。

少し調べてみると、
本書の刊行後に翻訳されたものとして、

 デイブ・ロビンソン著、渡部昇一 監訳
 『絵解き ルソーの哲学―社会を毒する呪詛の思想』
 (PHP研究所、2002年8月)

 D.モルネ著、高波秋 訳
 『ルソー』(ジャン・ジャック書房、2003年11月)

が見つかりました。

ロビンソンのは内容的に深みに欠けるところがあり、
モルネ(『フランス革命の知的起源』の著者)のは未読なので、
近々手に入れようと思います。



▽「第五章 フランス革命―人類の『負の遺産』」

〔第二・三節より〕
・フランス革命の真の目的は、
 ルソー教(理性教、平等教)を新たな「国教」とする、
 政教一致の新・宗教国家を創造することであったと考えると、
 理解しやすいです。


・フランス革命
 =新宗教「理性教、平等教」による宗教革命運動
 と考えれば、

 既存の政体を破壊する「王制廃止」にとどまらず、
 既存の宗教を破壊する「キリスト教潰し」が行われた理由も了解できます。

 新たな「理性教」への改宗を
 強制せんとする宗教的興奮が、
 史上稀にみる残忍非道な殺戮が行われたと考えれば、それなりに理解できます。


・アメリカの独立を想起すれば、

 「旧体制(君主制)」から
 「新体制(共和制)」へ
 政治体制を変革するために、

 国家の歴史を抹殺し、
 過去との断絶を行なう必要はまったくなかったことがわかるでしょう。


 しかしフランスでは、
 新宗教「理性教」による
 新たな宗教国家の創設を目指していたからこそ、

 旧権力を「聖戦」によって「征服」し、
 現状を徹底的に破壊し、歴史を抹殺し、
 過去との切断を行なう必要があったわけです。


・過去との切断とは、

 それまで国家の強大な権力が、
 個々の国民に直接及ぶのを阻んできた
 「中間組織」(王制下で育まれた伝統や慣習。既存の法秩序など)
 を壊滅させることに他なりません。

 その結果、必然的に、
 権力の「超中央集権化」が進むことになり、
 フランス国王をはるかに上回る権力を、
 独裁者ロベスピエールが手中にすることになりました。


・「共和制」を目ざして
 「君主制」を転覆させたところ、
 国王をはるかにしのぐ権力を手にした「独裁者」が、
 史上稀にみる恐怖政治を行うことになったのがフランス革命でした。


〔第四・五節より〕
・フランス革命の精神的支柱たる
 ルソーの「理性教」のその後の継承は、

  ルソー
   →(ロベスピエール)
     →バブーフ
       →ブォナロッティ
        →マルクス/エンゲルス
          →レーニン/トロツキー
           →スターリン

 という系譜によってまとめられます。

 ルソーの教義が、
 ロシア革命の精神的支柱たる「社会主義教」として、
 より純化されたかたちで継承されていくさまを追うことができます。


・最後に、近代の革命を、

  表-3 近代「革命」の類型

 に整理し、
 「野蛮への退行」型と
 「文明的な発展」型の2つに分類しています。

  イギリス清教徒革命(1642~49年)
  フランス革命(1789~94年)
  ロシア革命(1917~91年)

 は前者であり、

  イギリス名誉革命(1688年)
  アメリカ独立の「革命」(1776~88年)
  明治維新(桜田門外ノ変~1868年)

 は後者です。

以上、要約でした


こうしたフランス革命の見方は、
必ずしも中川氏独自のものではないと思いますが、

ふつうに学校で歴史を学んでいて、
フランス革命が否定的に扱われることは稀でしょうし、
革命に2種類あることを学ぶ機会もまずないでしょう。


日本人の学者が書いた
フランス革命の概説書も、
かつてほど賛美一辺倒でないにしても、

基本的な認識として、
肯定的にフランス革命をとらえているものがほとんどです。


中川氏の本書をスタートに、
より深く学ぼうとした場合の、
信頼の置ける参考書がほしいなあ、と思っています。

まじめに勉強して、気がついたら極左路線に一直線では困ります。


さらにいえば、
フランス革命について勉強しようと思うと、

中川氏のいう「狂信派」の文献の方が、
訳がこなれていて、予定調和な世界が描かれているからか、
わかりやすいものが多いので注意する必要があります。


最近の「良識派」の研究として、

ルネ・セディヨ著、山崎耕一 訳
『フランス革命の代償』(草思社、1991年9月)

をあげていましたので、この機会に購入しました。
豊富なデータが整理してある便利な本なので、
通読しておこうと思います。


そのほか、
「フランス革命に関する、
 マルクス主義的なドグマなどに基づかない、
 邦訳された代表的著作」(122頁)として、

1) エドマンド・バーク著、半澤孝麿 訳
 『フランス革命の省察』(みすず書房、1978年)
  ※他にもいくつか翻訳がありますが、半澤訳が一番正確です。
  ※原著は1790年。

2) アレクシス・ド・トクヴィル著、井伊玄太郎 訳
 『アンシャン・レジームと革命』
 (りせい書房、1974年。のち講談社学術文庫、1997年)
  ※小山勉の新訳『旧体制と大革命』(ちくま学芸文庫、1997年)もある。
  ※原著は1856年。

3) イポリット・テーヌ著、岡田真吉 訳
 『近代フランスの起源―旧制時代(上・下)』
 (角川文庫、1963年。全12巻のうち最初の2巻分の翻訳)
  ※原著は1885年。

4) D・モルネ著、坂田太郎・山田九朗 訳
 『フランス革命の知的起源(上・下)』
 (勁草書房、1969・1971年)
  ※原著は1933年。

5) J・L・タルモン著、市川泰治郎 訳
 『フランス革命と左翼全体主義の源流』
  (拓殖大学海外事情研究所、1964年)
  ※原著は1951年。

をあげています。

3・4・5は未読なので、
近々手に入れたいと思っています。

未だ邦訳のない重要文献も多いようなので、
遅ればせながら、語学力の鍛錬も続けたいと思います。

2012年10月30日火曜日

【読了】ルブラン 『奇巌城』(南洋一郎 編訳)

フランスの小説家
モーリス・ルブラン(1864-1941)の
小説『奇巌城』(1909年)を読みました。

先日の『怪人二十面相』に続き、
ポプラ社のレトロな表紙にひかれて、
手にとってみました。


モーリス・ルブラン原作/南洋一郎 文
『怪盗ルパン全集 奇巌城』
(ポプラ文庫、平成22年1月)

中高生のころ、
ホームズに多少はまっていたからか、
ルパンの方はあまり興味がわかず、
これまで読む機会はありませんでした。

『奇巌城』はルブラン45歳のとき(1909年)に発表された作品だそうです。

コナン・ドイルほど緻密に、
理で詰めてあるわけではありませんが、
その分、感情に訴える要素が多く、
先へ先へと楽しんで読み終えることができました。

ただしホームズのぞんざいな扱われ方に、
ホームズに熱を上げている頃であれば、
怒り心頭だったかもしれません。

まあ今なら、別個の小説として楽しめそうです。


文章は、
江戸川乱歩よりは流れが悪く感じましたが、

翻訳であることを考えれば、
かなり読みやすい日本語になっていると思います。

余暇の楽しみに、
一冊ずつ、時間をみつけて読んでいきましょうか。


 ***

せっかくなので、
ポプラ社から出版された
南洋一郎(1893-1980)編訳のルパンについて少し調べました。

何度も再刊されているので、
なんだか良くわからない状況でした。


今回手にした
レトロな表紙の「怪盗ルパン全集」は、

 昭和33~36年(第 1-15巻)
 昭和46・47年(第16-25巻)
 昭和49~55年(第26-30巻)

と20年の長きにわたって刊行され、
全30巻で完結しています。
(翻訳者の南氏は昭和55年に亡くなっています。)

しかし時代を反映してか、
ルブラン原作の非ルパン作品や、
南洋一郎による模倣作(第13巻)、
ボアロー&ナルスジャックによる模倣作(第26-30巻)も含めた「全集」であったため、

ルブラン原作のルパンを再現するという意味では、
少なからず問題がありました。


そこで平成11・12年にかけて、
ルブラン原作のルパン作品だけを選び、
出版順に配列しなおした「新訂/シリーズ怪盗ルパン」
全20巻が刊刊されました。

ひらがなが漢字に変わったり、
漢字がひらがなに変わったりしている所もありますが、
文章はおおむねそのままで、ルビも多いです。

挿絵が変わっている点、
大きく印象が異なりますが、

細かな異同を気にしなければ、
今はこちらの新訂版で読むのが良いのかもしれません。



つまり新訂版も出ている中で、
平成21・22年に、昔の「怪盗ルパン全集」に遡って、
ポプラ文庫から復刊されたことになります。

確かに、
ルパンの受容史を考えると、
南氏による「怪盗ルパン全集」全30巻の資料的価値は
少なくないでしょう。

おどろおどろしい印象的な表紙と挿画にも一定の需要があると思います。


ただし今のところ、
全30巻中の第15巻まで、
しかも南氏の模倣作とみられる第13巻は復刊されていないので、
計14巻が復刊されていることになります。

資料的な価値を考えれば、
むしろ模倣作のほうを復刊してほしいなと思うのですが、
売れ行きしだいなのかもしれません。



◯怪盗ルパン全集(ルブラン原作/南洋一郎 文)全30巻
※第26-30巻は、ボアローとナルスジャックの共作による模倣作。

『怪盗ルパン全集1 奇巌城』
(ポプラ社、昭和33年5月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂シリーズ4 奇巌城』(平成11年12月)

『怪盗ルパン全集2 怪盗紳士』
(ポプラ社、昭和33年6月。ポプラ社文庫、昭和63年4月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂/シリーズ1 怪盗紳士』(平成11年11月)

『怪盗ルパン全集3 8・1・3の謎』
(ポプラ社、昭和33年7月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂/シリーズ6 813の謎』(平成11年12月)

『怪盗ルパン全集4 古塔の地下牢』
(ポプラ社、昭和33年8月。ポプラ社文庫、昭和63年6月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂/シリーズ7 古塔の地下牢』(平成12年1月)

『怪盗ルパン全集5 八つの犯罪』
(ポプラ社、昭和33年10月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に再録)
  →『新訂/シリーズ13 八つの犯罪』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集6 黄金三角』
(ポプラ社、昭和33年12月。ポプラ社文庫、昭和63年7月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に再録)
  →『新訂/シリーズ10 黄金三角』(平成12年1月)

『怪盗ルパン全集7 怪奇な家』
(ポプラ社、昭和33年12月。ポプラ社文庫、昭和63年6月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に再録)
  →『新訂/シリーズ17 怪奇な家』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集8 青い目の少女』
(ポプラ社、昭和34年3月。ポプラ社文庫、昭和63年4月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に『緑の目の少女』と改題し再録)
  →『新訂/シリーズ15 緑の目の少女』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集9 怪盗対名探偵』
(ポプラ社、昭和34年5月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年4月に再録)
  →『新訂/シリーズ3 ルパン対ホームズ』(平成11年11月)

『怪盗ルパン全集10 七つの秘密』
(ポプラ社、昭和34年6月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年4月に再録)
  →『新訂/シリーズ8 七つの秘密』(平成12年1月)

『怪盗ルパン全集11 三十棺桶島』
(ポプラ社、昭和34年11月。ポプラ社文庫、昭和63年5月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年4月に再録)
  →『新訂/シリーズ11 三十棺桶島』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集12 虎の牙』
(ポプラ社、昭和35年1月。ポプラ社文庫、昭和63年7月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年7月に再録)
  →『新訂/シリーズ12 虎の牙』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集13 ピラミッドの秘密』
(ポプラ社、昭和36年10月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。)
  ※南氏による模倣作と推定されている。

『怪盗ルパン全集14 消えた宝冠』
(ポプラ社、昭和36年10月。ポプラ社文庫、昭和63年8月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年7月に再録)
  →『新訂/シリーズ5 消えた宝冠』(平成11年12月)

『怪盗ルパン全集15 魔女とルパン』
(ポプラ社、昭和36年11月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
 ポプラ文庫、平成22年7月に再録)
  →『新訂/シリーズ14 魔女とルパン』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集16 魔人と海賊王』
(ポプラ社、昭和46年8月)※ルブラン原作の非ルパン作品。

『怪盗ルパン全集17 ルパンの大冒険』
(ポプラ社、昭和46年9月。ポプラ社文庫、昭和63年8月に再録)
  →『新訂/シリーズ19 ルパンの大冒険』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集18 まぼろしの怪盗』
(ポプラ社、昭和46年9月)

『怪盗ルパン全集19 ルパンの大失敗』
(ポプラ社、昭和46年10月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
  →『新訂/シリーズ2 ルパンの大失敗』(平成11年11月)

『怪盗ルパン全集20 妖魔と女探偵』
(ポプラ社、昭和46年11月)※ルブラン原作の非ルパン作品。

『怪盗ルパン全集21 ルパンの名探偵』
(ポプラ社、昭和47年4月。ポプラ社文庫、昭和63年9月に再録)
  →『新訂/シリーズ16 ルパンの名探偵』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集22 悪魔の赤い輪』
(ポプラ社、昭和47年5月)※ルブラン原作の非ルパン作品

『怪盗ルパン全集23 ルパンと怪人』
(ポプラ社、昭和47年6月)
  →『新訂/シリーズ18 ルパンと怪人』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集24 ルパン最後の冒険』
(ポプラ社、昭和47年8月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
  →『新訂/シリーズ20 ルパンの最後の冒険』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集25 ルパンの大作戦』
(ポプラ社、昭和47年11月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
  →『新訂/シリーズ9 ルパンの大作戦』(平成12年1月)

◇ボアロー&ナルスジャック原作/南洋一郎 文
『怪盗ルパン全集26 悪魔のダイヤ』(ポプラ社、昭和49年3月)
『怪盗ルパン全集27 ルパンと時限爆弾』(ポプラ社、昭和49年12月)
『怪盗ルパン全集28 ルパン二つの顔』(ポプラ社、昭和51年4月)
『怪盗ルパン全集29 ルパンと殺人魔』(ポプラ社、昭和54年7月)
『怪盗ルパン全集30 ルパン危機一髪』(ポプラ社、昭和55年3月)


◯新訂/シリーズ怪盗ルパン(ルブラン原作/南洋一郎 文)全20巻

『新訂/シリーズ怪盗ルパン1 怪盗紳士』
(ポプラ社、平成11年11月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集2 怪盗紳士』(昭和33年6月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン2 ルパンの大失敗』
(ポプラ社、平成11年11月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集19 ルパンの大失敗』(昭和46年10月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン3 ルパン対ホームズ』
(ポプラ社、平成11年11月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集9 怪盗対名探偵』(昭和34年5月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン4 奇巌城』
(ポプラ社、平成11年12月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集1 奇巌城』(昭和33年5月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン5 消えた宝冠』
(ポプラ社、平成11年12月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集14 消えた宝冠』(昭和36年10月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン6 813の謎』
(ポプラ社、平成11年12月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集3 8・1・3の謎』(昭和33年7月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン7 古塔の地下牢』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集4 古塔の地下牢』(昭和33年8月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン8 七つの秘密』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集10 七つの秘密』(昭和34年6月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン9 ルパンの大作戦』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集25 ルパンの大作戦』(昭和47年11月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン10 黄金三角』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集6 黄金三角』(昭和33年12月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン11 三十棺桶島』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集11 三十棺桶島』(昭和34年11月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン12 虎の牙』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集12 虎の牙』(昭和35年1月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン13 八つの犯罪』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集5 八つの犯罪』(昭和33年10月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン14 魔女とルパン』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集15 魔女とルパン』(昭和36年11月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン15 緑の目の少女』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集8 青い目の少女』(昭和34年3月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン16 ルパンの名探偵』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集21 ルパンの名探偵』(昭和47年4月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン17 怪奇な家』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集7 怪奇な家』(昭和33年12月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン18 ルパンと怪人』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集23 ルパンと怪人』(昭和47年6月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン19 ルパンの大冒険』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集17 ルパンの大冒険』(昭和46年9月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン20 ルパンの最後の冒険』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集24 ルパン最後の冒険』(昭和47年8月)


※wikipedia の「モーリス・ルブラン」「アルセーヌ・ルパン」
        「コナン・ドイル」「シャーロック・ホームズシリーズ」
        「南洋一郎」の各項目を参照。

※ポプラ社のHP〈http://www.poplar.co.jp/〉を参照しました。

2012年10月27日土曜日

【読了】Miguel de Cervantes, Don Quixote(PAR Level2)

やさしい英語の本、通算31冊目
Penguin Active Reading Level2 の3冊目、

スペインの作家
ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)の
冒険物語『ドン・キホーテ』を読みました。



Miguel de Cervantes
Don Quixote

Retold by Nancy Taylor
(Penguin Active Reading のLevel2)
2008年刊(11,223語)



これまで全く読んだことがなかったので、
簡単なあらすじをがわかるものはないか探し、

 バラエティアートワークス編
 『まんがで読破 ドン・キホーテ』
 (イースト・プレス、平成21年3月)


を一読しました。
1日あれば読める分量のマンガでまとめてあるので、
とりあえずどんな作品か知りたい方にはお薦めです。


実際読んでみると、
スペインの地名、人名は読み方がわからず、
あらすじもそれほど頭に入っていないので、
若干読みにくくもありましたが、

2週間ほどで、楽しんで読み終えることができました。


これまで、ドン・キホーテの名前のみ聞いて、
かっこいい、模範的な騎士の話なのかと思っていたのですが、
もっと滑稽な、でも純粋で愛すべき老人のお話で、

確かに不思議な魅力をそなえた、
楽しい小説であることはよく理解できました。


近々翻訳でも読んでみようと思います。

邦訳は次のようなものが出ています(網羅していません)。


◎完訳

 堀口大學 訳
 『ドン・キホーテ』(新潮社、昭和40年)
  ※前篇のみ。『世界文学全集』(講談社、昭和51年3月)に再録。

 永田寛定 訳
 『ドン・キホーテ 正篇 第1・2・3/続編第1・2』
 (計5冊。岩波文庫、昭和23・24・26/28・50年)※完結前に病没。

 高橋正武 訳
 『ドン・キホーテ 続編 第3』
 (岩波文庫、昭和52年)※永田訳の完結を引継ぐ。

 会田由 訳
 『ドン・キホーテ 前篇1・2/後篇1・2』
 (全4冊。ちくま文庫、昭和62年6~9月)

  ※会田訳の初出は
   『世界文学全集(決定版)第三期』(河出書房新社、昭和33年)。
   ただし1巻本なので、編訳か、前篇のみの完訳と思われますが、

   未確認です。その後、いくつかの文学全集に再録されていますが、
   詳しい異同は調査中。
   4巻本の初出は、晶文社、昭和60年2・4・5・6月です。

 牛島信明 訳
 『ドン・キホーテ』(全6冊。岩波文庫、平成13年1・2・3月)

 萩内勝之 訳
 『ドン・キホーテ』(全4冊。新潮社、平成17年10月)



◎編訳

 永田寛定 編訳
 『ドン・キホーテ』(全1冊。岩波少年文庫、昭和26年)

 牛島信明 編訳
 『ドン・キホーテ』(全1冊。岩波少年文庫、平成12年6月)

 草鹿宏 編訳
 『ドン・キホーテ』(全1冊。集英社 少年少女世界名作の森、平成2年4月)

 窪田般弥 編訳
 『ドレ画 ドン・キホーテ物語』(全1冊。現代教養文庫、平成2年12月)

 安藤美紀夫 編訳
 『ドン=キホーテ』
 (全1冊。講談社 21世紀版少年少女世界文学館、平成23年3月)

 ヴィルジリ・妙子、ヴィルジリ・クリスティーナ・幸子 編訳
 『ドレの絵で読む ドン・キホーテ』(全1冊。精興社、平成23年3月)

 谷口江里也 編訳
 『ドレのドン・キホーテ』(全1冊。宝島社、平成24年1月)


◎事典、解説書

 樋口正義・本田誠二・坂東省治・山崎信三・片倉充造 編
 『「ドン・キホーテ」事典』
 (行路社、平成18年1月)

 中丸明 著
 『丸かじり ドン・キホーテ』
 (新潮文庫、平成14年7月。初出は日本放送出版協会、平成10年6月)

 牛島信明 著
 『ドンキホーテの旅 ― 神に抗う遍歴の騎士』
 (中公新書、平成14年11月)

 山浦宣 著
 『ドン・キホーテを読む暇がない人の本』
 (東京図書出版会、平成19年10月)




たくさんありますが、
まずは定評のある牛島信明 訳(全6冊。岩波文庫)でしょうか。

教室には同氏の編訳した岩波少年文庫を置いてあります。

解説書として手に入れた同氏の『ドンキホーテの旅』(中公新書)もわかりやすく、よくまとまっていました。



※計31冊 計256,660語。


2012年10月23日火曜日

【読了】塩野七生『ローマ人の物語13』


塩野七生 著
『ローマ人の物語13 ユリウス・カエサル ルビコン以後[下]』
(新潮文庫、平成16年10月。初出〔単行本〕は新潮社、平成8年3月)

※第七章 「三月十五日」Idus Martiae
     紀元前四四年三月十五日~前四二年十月

 第八章 アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス
     紀元前四二年~前三〇年

 エピローグ/カエサル年記/参考文献


文庫本で6冊からなるカエサルの評伝、
ほぼ十ヶ月かけてようやく読了しました。

本冊では、
カエサルが亡くなってしばらくの混乱を経て、
オクタヴィアヌスが彼の遺志を継ぐまでの過程が描かれていました。


カエサルが殺されてしまったのだから、
さらにもう1冊、何を書くことがあるのだろう、
と思っていたのですが、

暗殺者たちが
カエサルを殺しはしたけれど、
その後のことを何も考えていなかった事実に愕然とし、

そうした中で、
カエサルがこれ以上ない適任者を、
後継者として選んでいた事実に驚嘆し、

歴史上、奇跡的に成功した
権力継承の過程を、興味深く読み進めることができました。


権力の継承とは、
基本的にうまくいかないものだと思い込んでいたのですが、
突然の死に際してなお、

またとない適任者を自分の後に残し得たのですから、

西洋史を学ぶ者にとって、
カエサルが特別な人物になるのも当然だと思いました。


元は、カエサルといわれても、
名前しか知らない状態で読み始めましたが、

本書を起点として、
自分なりに知見を深めることができました。


一素人の身でも飽きることなく、
楽しんで読み終えることができたのは、
塩野さんの筆力の賜物でしょう。


これでようやく、
シリーズの3分の1を読み終えることができました。
マイペースで、また1冊ずつ読み進めて参ります。

2012年10月16日火曜日

【読了】江戸川乱歩 『少年探偵 怪人二十面相』

江戸川乱歩(1894 - 1965)が
41歳のとき(1936)に発表された
少年向けの探偵小説『怪人二十面相』を読みました。


江戸川乱歩 著
『少年探偵 怪人二十面相』
(ポプラ文庫、平成20年11月)
 ※巻末に「この作品は、昭和三十九年にポプラ社より刊行されました」とある。
  もともとの初出は『少年倶楽部』昭和11年1月から12月。


ポプラ社の「少年探偵」シリーズの表紙は、
小中学生のころ、学校の図書室でみた記憶が残っています。

しかし表紙のおどろおどろしい雰囲気が嫌で、
実際に読んでみることはありませんでした。


江戸川乱歩については、
高校のときにこれまた学校の図書室で、

渡部昇一氏の『発想法』(講談社現代新書)を読んでいたときに、
江戸川乱歩の興味深い話が出て来て、
強く印象に残ったのを覚えています。

しかしこのときも、
独特なオカルトのほの暗い雰囲気が苦手で、
読んでみようとは思いませんでした。


結局今まで、
乱歩を読む機会はなく、このまま
縁はないのかなとも思っていたのですが、

最近になって復刊されたようで、
懐かしい表紙はそのままに、
本屋の棚に見かけるようになったのに惹かれ、
1冊手にとってみたのですが、

「です・ます」調の美しく丁寧な日本語で、
大変わかりやすく書かれていることに感心し、

こんな文章が書けたらな、と思って読んでいるうちに、
どんどん惹き込まれ、楽しんで読み終えることができました。


トリック自体は、
今読むと若干稚拙かな、
と感じさせるところもありますが、

昭和11年に書かれたことを思えば、
驚くほど若々しい感性で、

今でも十分に読者を魅了する力のある
娯楽小説に仕上がっていると思いました。


今から86年前の子ども向けの作品が、

思いのほか美しく上品で、
なおかつわかりやすい日本語で書かれていたことを知り得たのは、
一番の収穫でした。


一気にシリーズ全部を読み通す必要もないので、
時折暇をみて、読み進めていこうと思います。


※wikipedia「江戸川乱歩」の項目を参照。

2012年10月10日水曜日

【再読】中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 第Ⅰ部(第一・二・三章)

中川八洋氏の著書から1冊選ぶとしたら、
氏が51歳(平成8年)のときに執筆された
『正統の哲学 異端の思想』を挙げます。

20代の半ば、
大学院に進んで間もなく本書に出会い、
大きな知的刺激を受けました。

本書で中川氏が紹介された
良書リストを自分でもたどり直し、
熟読吟味する日々は実に楽しいものでした。

少々勉強する時間ができた機会に、
『正統の哲学 異端の思想』以降の著作群を、
再読していこうと思っております。

(2012-2/20付のブログを修正し、再掲。
 途中で挫折したので、再挑戦。旧稿は削除しました)



中川八洋 著
『正統の哲学 異端の思想 ―「人権」「平等」「民主」の禍毒―』
(徳間書店、平成8年11月)

執筆の意図(「はしがき」を適宜要約)。

 平成3年(1991)12月に
 ソ連邦が崩壊したことによって、
 共産主義・全体主義思想の非なることが
 明らかになったにも関わらず、

 自由社会に深く入り込んだ
 全体主義思想の駆除作業を行なうことも、

 自由社会の維持と発展に不可欠な、
 哲学的支柱を再構築することもなかった、

そんな日本の状況を憂い、

 表現スタイルを変えるだけで、
 悪性ウイルスのように何度でも蘇生する、
 全体主義の教義(異端の思想)に対抗すべく、

 自由社会の基軸となる
 「正統の哲学」を再構築する必要がある、

と考え、
4年の歳月をかけて執筆されたのが、
本書です。

   ***

それから20年が過ぎて、
共産主義・全体主義的な思想は、結局、
駆除されぬまま生き残り、表現スタイルのみ変え、
「保守」に偽装し、蔓延するようになって来ました。

相応の知力がなければ、
自由社会の真の「敵」を
見つけにくくなっている現状だと思います。

自由社会に生きる我々が、より具体的に、
自由社会が立脚する哲学的な基軸について
理解しようと思えば、

いまだ本書をこえるものはありません。
本書を再読する理由です。



◎「第Ⅰ部 総論 ― 真正自由主義離脱の代償」(第一~三章)

▽「第一章 近代がうんだ「反・近代」― 全体主義の源流フランス革命」

・欧米の近代には、
 二つの潮流があります。

 その一つは、

 *「正統の哲学」に立脚する、
  英国の名誉革命(1688年)や
  米国の建国(1788年)から生まれた、
  “自由を尊重する正しい自由主義(真正自由主義)”

 の流れであり、もう一つは、

 *「異端の思想」に立脚する、
  フランス革命(1789年)から生まれた、
  “自由を否定する狂ったデモクラシー(民主主義)”

 の流れです。


・平成3年(1991)に崩壊した
 ソ連体制を生んだロシア革命(1917年)の源流は、
 「悪の起源」たるフランス革命(1789年)にまでさかのぼることができます。


・フランス革命の宗教的教義として、
 「理性教」と呼ばれる理性への盲信がありました。

 理性教の生みの親はデカルト、
 理性教の大成者はルソー、
 その教義を受け継いだのがマルクスです。

以上、大まかに過ぎる要約でした


西欧の思想に、

「正統の哲学」たる真正自由主義
「異端の思想」たる民主主義(全体主義)

二つの大きな流れがある、とは、
本書で初めて教えられた考え方でした。

いったん腑に落ちてくると、
たいへん役に立つのですが、

それまで
自分なりに積み重ねてきた物の見方を、
いったん突き崩さねばならない
心理的な抵抗感もあったからか、

自分の中で、
本当に消化されて来るまでには、
十年位かかったように思います。



▽「第二章 「進歩」という狂信」

本章では、
ロシア革命(1917年)の思想的要因たる
「社会主義(共産主義)思想」への批判として、

主にベルジャーエフ、
それからハイエク、ラッセルによりつつ、
進歩を盲信する宗教たる「社会主義(共産主義)思想」
についての分析を行なっています。

その上で、
マルクス・レーニン主義へと至る、
社会主義(共産主義)思想の系譜を、

 「マルクス・レーニン主義の根/幹/枝/花」(図-1、45頁)
 「全体主義思想(狂信の哲学)の系譜」(図-2、47頁)

の2つの図にまとめてあります。

以上、これまた大まかに過ぎる要約でした


本章で役に立つのは、
デカルト、ルソーから
マルクス・レーニン主義へと至る
全体主義(共産主義・社会主義)思想の
系譜について概観してあるところです。

こうした整理は、
初学者にとって一番有用であるにもかかわらず、
研究者の本当の力量が問われることから、
西洋思想史の概説を読んでいても、
どこにも触れられていないことが多いです。

必ずしも中川案を
そのまま受け入れる必要はないと思いますが、
大体の流れとしては、
今のところこれで誤りないと考えています。


本章で肯定的に取り上げられている
ベルジャーエフは、以前は深遠すぎて、
私には良くわからなかった記憶があります。
そろそろまた読んでみようかなと思っております。

もう一点、ラッセルの著作について、
1950年代以降に「親ソ」一辺倒に染まるまでは
見るべき成果もあって、
 『ロシア共産主義』(1920)
 『西洋哲学史』(1945)
の2書を挙げてあるのは参考になりました。
こちらは未読なので、読んでみようと思います。



▽「第三章 真正自由主義(伝統主義、保守主義)」

はじめに、近代政治思想の潮流を概観してあります。

・西洋近代の政治思想には

  一、真正自由主義
    (英米では「保守主義」という。「小さな政府」派)
  二、左翼的自由主義
    (米国では「リベラリズム」という。「大きな政府」派)
  三、全体主義
    (社会主義・共産主義に代表される)

 の三つの潮流があり、
 全体主義と真正自由主義とは、水と油の対立関係にあります。

・全体主義は、しばしば
 デモクラシー(民衆参加型の政治制度)から生み出されます。

・日本の「保守」は、
 そのほとんどが左翼的自由主義者であり、
 真正自由主義者はほぼ壊滅しています。


続いて、真正自由主義の開祖について解説しています。
取り上げられているのは、

・フランス革命に対する激越な批判を行い、
 自由社会の生き残る正統な道筋を明示した、
 真正自由主義(保守主義)の開祖たる
  エドマンド・バーク

・20世紀が生んだ
 真正自由主義の偉大な政治家たる
  ウインストン・チャーチル(英国首相)、
  マーガレット・サッチャー(英国首相)、
  ロナルド・レーガン(米国首相)、

・真正自由主義の大思想家たる
  フリードリヒ・フォン・ハイエク

の5名です。


最後に、

良書を見分ける際に
排除すべき三つのポイントとして、

(a) 人間の理性への過剰な信頼、
  「理性主義」「合理主義」への信仰。

(b) 人間が完全なものへと進歩すること、
  完全な人間社会が未来に出現することを確信する、
  「未来主義」「進歩主義」への信仰。
  過去への侮蔑・憎悪。

(c) 人間の平等と民衆への過剰な期待、
  「平等主義」への信仰。
  人民崇拝教。

を挙げ(71頁)、

健全で有益な思想家「正統の哲学者」27名と、
危険で有害な思想家「狂信の思想家」27名を、

 「『正統の哲学』者と『狂信の哲学』者」(表-2、73頁)

としてそれぞれの主著とともに整理、紹介しています。

以上、要約でした。


仕事を持つと
読書の時間は限られて来ますので、

悪書を遠ざけ、良書を読むのに
できる限り時間を割きたいものです。

ここで大まかにせよ、
一つの道しるべを整えて下さったことは大変有益であり、
実際とても役に立って来たことを告白しておきます。

良書については、巻末の
「文献リスト ― 『悪書』の過剰と『良書』の欠乏」
でもう一度詳しく取り上げています(350 - 358頁)。


本書によって初めて、
バークの存在とその重要性について知りました。

ただし『フランス革命の省察』は
時代背景などが良くわかっていないと
なかなか手強い書物で、

まだもう少し自分の勉強が深まるまで取ってあります。


どちらかと言えば、
ハイエクを読むことに集中したいと思っていたのですが、
いざ読んでみるとハイエクもまた難解で、

今はハイエクを理解する前提として、
アダム・スミスとミルトン・フリードマンに取り組んでいます。

スミスはこなれた翻訳があり、
フリードマンは議論がわかりやすいです。

2012年10月8日月曜日

【読了】小川榮太郎 『約束の日 ― 安倍晋三試論』


小川榮太郎 著
『約束の日 ― 安倍晋三試論』(幻冬舎、平成24年9月)

総裁選前に書き終える予定だったのですが、
先に、自民党総裁への復帰が決まりました。

今から5年前、
短命に終わった安倍政権の1年を、
安倍元総理を擁護する立場から、
勢いのある筆致で振り返る、
時宜をえた評論の試みです。

章立ては、

 Ⅰ 安倍晋三内閣発足
 Ⅱ 組閣
 Ⅲ 教育基本法改正
 Ⅳ スキャンダル暴き
 Ⅴ 正面突破の「戦う政治」
 Ⅵ 大臣の死
 Ⅶ 年金記録問題「炎上」
 Ⅷ 孤独な続投宣言
 Ⅸ 健康問題と靖国
 Ⅹ 辞任

となっております。


辞め方が
あまりに不甲斐ないものであったため、
しばらく正当な評価は難しかったと思いますが、

近年の、政治の不甲斐なさとともに、
与党(民主党)の失政をロクに批判しない
マスコミの偏向ぶりをみていると、

安倍元総理が、5年前に、
マスコミの不当に過ぎる激しいバッシングの中で、

どれだけのことを成し遂げていたのか、
改めて考えなおしたいと思っておりました。

本書は良いきっかけとなりました。


   ***

小川氏の判断の基準は、
どちらかの党派に立つというよりも、
人としての「常識」に基づくもので、
早坂茂三氏の田中角栄論に相通じるものを感じました。

小川氏は、安倍元総理の秘書でなく、
長年寄り添って来られたわけでもないので、
まだまだ見方が浅いかな、と思わせられる所もありますが、

嘘によって相手を貶め、傷をつけ、
引きずり下ろさんとする悪意に満ちた
安倍評とは一線を画しており、

特に内政面、教育基本法改正への正当な評価や、
マスコミによる不当に過ぎるバッシングを
わかりやすく整理されている点は、
たいへん参考になりました。



問題があるとすれば、
小川氏が論じられなかった点でしょうか。

内政面への記述の充実ぶりに比べて、
外交面については、
それほど評価すべき成果がなく、
むしろ明らかな失政が目立っていたからか、
記述が弱いように思われました。


安倍元総理を擁護する著述の意図からして
仕方のないことかもしれませんが、

安倍政権の失政についても、
より的確に論じられていたらなお良かったと思います。


一点取り上げておくと、

小川氏は、安倍政権のスローガン
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を高く評価されていますが、

私はこのスローガンは、
意味不明瞭で誤解を招きやすく、
失政の最たるものであったと考えています。



以下その理由


安倍元総理は、
かつて政権のスローガンとして
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を唱えられました。

しかしこのスローガンは、わかりにくい上に、
非常に誤解を招きやすいものであったと思われます。


なぜなら、
 日本の「戦後」=「自由主義体制」
 「戦前・戦中」=「全体主義体制」
という一般的な図式からいえば、

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」

とは、ごくふつうに、

 「戦後体制(=自由主義体制)からの脱却」を意味し、
 「戦前・戦中体制(=全体主義体制)への回帰」を意図する、

極右の扇動的なスローガンだと解釈できるからです。


   ***

戦後の日本が、
総じて「自由主義体制」のもとで、
飛躍的な発展を遂げてきたことは、

一部で、
全体主義的な政策が実施されてきたにしても、
大勢として間違いないでしょう。


同様に、
戦前・戦中の日本が、
総じて「全体主義体制」への強いあこがれのもと、
国家破滅への道を突き進んでいたことは、

ギリギリまで、
自由主義的な体制が生き残っていたにしても、
大勢として誤りないと思います。


つまりごく一般的な、
 日本の「戦後」=「自由主義体制」
 「戦前・戦中」=「全体主義体制」
という見方からすれば、

安倍政権のスローガン
「戦後レジーム(体制)からの脱却」とは、

戦後体制(=自由主義体制)から離脱し、
戦前・戦中体制(=全体主義体制)に回帰することを志す、

極右のスローガンだと見なすのが、
ごく穏当な解釈ということになってしまうのです。



これが明らかな誤解ならまだ良いのですが、
必ずしもそうとも言い切れないのは、

安倍元総理が、総理就任後間もなく、

 自由主義国家・米国から一定の距離を置き、
 全体主義国家・中国におもねる態度を取ることで、

心ある日本国民の大きな失望をまねいた事実を思い出すからです。


前任の小泉元首相が、

 全体主義国家・中国から一定の距離を置き、
 自由主義国家・米国との友好を大いに深めたのと、

真逆の外交を行ったのは、
他ならぬ安倍元総理であったことを忘れてはならないでしょう。


こうした不審な振る舞いも、
戦後体制(=自由主義体制)から脱却し、
戦前・戦中体制(=全体主義体制)へと回帰せんとする、

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を実践したまでだと考えれば、
ふつうに合点がいくのです。


安倍元総理の外交面でのセンスの無さは、
当然批判の対象にされるべきだと思います。

今後、仮に政権奪取が実現しても、再び安易に
「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱えるようであれば、

私には期待よりむしろ、
不安の面が大きくなることを告白しておきます。


   ***

おそらく好意的に解釈すれば、

安倍元総理がいう「戦後体制」とは、
主に、占領体制下において部分的に実施された
全体主義的政策のことをさすのだろう、
と推測されるのですが、

「戦後レジーム(体制)」と聞いて、ただちに
「占領下における全体主義的政策」のことが思い浮かぶのは、
ごく少数だと思います。


また仮に、限定的に、

「戦後レジーム(体制)」
 =「占領体制下で部分的に実施された全体主義的政策」

と定義するにしても、それでは、

・全体主義的政策が、
 すでに戦前・戦中において、
 日本主導で数多く計画、実施されていた事実、

・占領下の全体主義的政策も、
 戦中から日本主導で準備、計画されていたものが少なくない事実、

から目を背けることになり、
やはり適切な定義ではないと考えられます。


つまり「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げて、

現代日本の発展を阻害している全体主義的政策が、
すべて占領制下に実施されたかのように理解することは、

戦前・戦中の日本が、
すでにどっぷりと全体主義的な政策に染まり、
敗戦間際には「共産革命」前夜ともいえる惨状にあった事実から
目を背けることにもなりかねません。

日本自らの責任を棚に上げて、不都合な現実はすべて、
アメリカが主導した占領体制のせいだと思い込むのは
事実に反しており、不誠実です。


   ***

もし安倍元総理が、

 (戦後の)自由主義体制からの脱却、
 (戦前・戦中の)全体主義体制への回帰

ではなく、

 (戦後の)自由主義体制の堅持

は当然のこととして、より限定的に、

 占領体制下において、
 部分的に実施された全体主義的政策からの脱却

を意図していたのであれば、より正確に、

 独立回復後の日本に残された
 「戦時レジーム(戦時体制=全体主義的政策)からの脱却」

とするのが正しいスローガンであったと思われます。


あくまで「自由主義体制」の堅持を明確にした上で、

戦前・戦中・占領下をふくめて、
日本で計画、立案、実施されてきた「全体主義的政策」を、
洗いざらい見直すのだ、と言われれば、
どこにも異論の余地はありません。


独立回復後の日本において、色濃く残された
 「戦時体制(=全体主義的政策)からの脱却」

と言われれば、

戦後日本の繁栄の礎となった
「自由主義体制」から離脱していくかのような誤解は、
間違っても受けなかったと思われます。



以上をまとめると

安倍元総理が用いた
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
というスローガンは、

 戦後体制(=自由主義体制)から離脱し、
 戦前・戦中体制(=全体主義体制)に回帰することを志す、

極右のスローガンと解釈しうるので、
不適切だったと思われます。


戦後の「自由主義体制の堅持」は当然のこととして、

戦前・戦中・占領下をふくめ、
日本で計画、実施されてきた「全体主義的政策」を、
洗いざらい見直すという意味で、

 「戦時体制(=全体主義的政策)からの脱却」

というスローガンであれば、
誤解はなかったと考えます。



※安倍元総理への正当な批判としては、
 中川八洋「“堕落と転落”の自民党二十年史」
 (『民主党大不況』清流出版、平成22年)284~290・314頁を参照。

※本稿にいう「自由主義」とは、
 歴史と伝統にもとづく自生的秩序(ハイエク)が
 保守、尊重されることを前提とした「自由主義」であり、
 弱肉強食を当然とする「自由放任主義」のことではありません。

※安倍元総理の政治的なスローガンとしては、
 新総裁就任時に述べられた
  「強い日本、豊かな日本」
 の方がわかりやすく、訴えかけてくる力があり、秀逸だと思いました。

【読了】畑正憲 『ムツゴロウと天然記念物の動物たち ― 森の仲間』


畑正憲 著
『ムツゴロウと天然記念物の動物たち ― 森の仲間』
(角川ソフィア文庫、平成24年9月)

 ※「グジョウジドリ」「コウモリ」「ニホンザル」「アマミノクロウサギ」
   「シロヘビ」「大雪山に生きるもの」の計6編。

 ※『天然記念物の動物たち』(角川文庫、昭和47年1月)を、
   改題の上、2つに分冊し、再編集したものです。
   単行本の初出は月刊ペン社、昭和44年。

最近『シートン動物記』の翻訳を読み比べているうちに、
ムツゴロウさんのことを思い出しました。

様々な方面で才能を発揮されている方ですが、
小中学生のころに『どんべえ物語』と『さよならどんべえ』に出会い、
圧倒的な感銘を受けたことから、

私には作家としての印象が強いです。


最近読んでいないなと思い、本屋で探してみたところ、
ほとんどの作品がすでに絶版であることがわかりました。

残念に思って、古本を探して買い集めようか、
と考えはじめていたのですが、

他でもそう思う方がおられたのか、
ずいぶん久しぶりに『天然記念物の動物たち』が、
再編集の上、2冊に分けて復刻されたことを知りました。

さっそく1冊購入し、読んでみたところ、
今から40年前の作品ですが、

文章に独特の力があって、
すぐに惹きつけられ、楽しく読み通すことができました。

昭和の日本の自然誌として、
出色の作品だと思います。


なお、本冊の最終章「大雪山に生きるもの」で、
1年間の企画の総まとめを書いてあったのですが、

確か自分の記憶では、
シリーズで何冊か出ていたはずだ、
と思って調べてみると、

本冊をきっかけとしてシリーズ化し、
全10冊(!)も発表されていたことを知りました。


畑正憲 著

『天然記念物の動物たち』
(月刊ペン社、昭和44年。角川文庫、昭和47年1月に再録。
 畑正憲作品集8、文藝春秋、昭和53年5月に再録)

『梟の森 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和53年6月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「梟の森」「白鳥の里」「羚羊の丘」「丹頂の野」の全4編。

『馬の岬 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和54年4月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「馬の岬」「鈍足の島」「鶏の町」「海燕の島」の全4編。

『北の鷲 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和55年7月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「北の鷲」「鶴の田」「瀬戸の狸」「猿の山」など全7編。

『北限の猿 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和56年1月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「北限の猿」「鷺の山」「鹿の都」「鷲の浜」など全7編。

『オロロンの島 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和57年7月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「オロロンの島」「岩魚と海豹」「兜蟹の海」「比叡の猿人」「鰻の井」「鶏の里」など全7編。

『雷鳥の山 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和59年2月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「雷鳥の山」「雁の沼」「北の犬」「鳩の街」など全7編。

『人魚の国 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和61年7月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「人魚の国」「ジャッカル犬」「はるか南の島へ」「山猫序曲」など全7編。

『オオサンショウウオの川 ― 天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和61年8月。角川文庫、平成5年5月に再録)
 ※「オオサンショウウオの川」「土佐の犬」「タナゴの川」など全7編。

『海亀の浜 ― 天然記念物の動物たち』
(角川文庫、平成5年5月)
 ※「海亀の浜」「甲斐の犬」「死滅への森」など全7編。


達意の文章とともに、
在野の一個人が執筆した
昭和の日本の自然誌としては、
他に類例がないのではないか、と思います。
(こちらの方面は詳しくないので、他にもどなたかいらっしゃるかもしれません)

古書で集めて
全部読んでみようかな、
と思っております。

2012年10月7日日曜日

【読了】Tim Vicary, Mary, Queen of Scots (OBW1)

やさしい英語の本、通算30冊目、
Oxford Bookworms の Stage 1 の 3冊目、

イギリスの現役の作家 ティム・ヴィカリー さんの
歴史小説 Mary, Queen of Scts を読みました。



Tim Vicary
Mary, Queen of Scots

(Oxford Bookworms Stage1)
1992年刊(6,540語)

スコットランド女王メアリー・ステュアート
(1542 - 1587 在位1542 - 1567)についての
やさしい伝記です。

基本的な史実は押さえつつ、
初学者にも興味が持てるように、
趣向を凝らした読み物になっているので、

メアリー女王について何もしらなかったのですが、
楽しんで読み終えることができました。

多少勉強しましたので、
歴史的な位置づけについてまとめておきます。
(にわか仕込みなので、間違えているかもしれません。)

   ***

現在のスコットランドとは、イギリスの正式名称
「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」を構成する4ヶ国
(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)のうちの1国です。

【連合王国の変遷】
1603年に、スコットランド王ジェイムズ6世(在位1567 - 1625)が、
イングランドとアイルランドの女王エリザベス1世(在位1558 - 1603)のあとを受け、
ジェイムズ1世(在位1603 - 1625)としてイングランド・アイルランドの王位を兼ね、
イングランドとスコットランドとアイルランドは「同君連合」の関係となりました。

その後「1707年連合法」によって、
イングランド王国(ウェールズを含む)と、
スコットランド王国の議会が統一して
「グレートブリテン連合王国」となり、

さらに「1800年連合法」によって、
1801年にアイルランド王国とも合同し
「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」となりました。

しかし1919年にアイルランド独立戦争が起こり、
アイルランド島の南部が、イギリスの自治領
「アイルランド自由国」として分離したため(1922年)、
1927年に国名を「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」に改名し、現在に至っています。

   ***

スコットランド女王メアリーとは、上記
スコットランド王ジェイムズ6世
(=イングランド王・アイルランド王ジェイムズ1世)の母親です。

このジェイムズ1世(在位1603 - 1625)のあと、
イングランド・スコットランド・アイルランドの王位を継いだのが、
チャールズ1世(在位1625 - 1649)ですが、

彼はジェイムズ1世の次男、メアリーの孫に当たり、
清教徒革命で処刑された国王として有名です。

メアリー女王とは、教科書にも出てくる
清教徒革命で処刑された国王チャールズ1世のおばあちゃんだよ、
といわれれば、ようやくわかった気になります。

   ***

スコットランドのメアリー女王は、
波瀾に満ちた人生を送った方です。

イングランドの女王エリザベス1世と同じ時代を生き、
2人が対照的な人生を送ったことなどから、

書物にも取り上げられることも多いようで、
少し調べてみると、

 アントニア・フレイザー 著/松本たま 訳
 『スコットランド女王メアリ』
  (上下2巻。中公文庫、平成7年5・6月。初出は中央公論、昭和63年2月)

 エリザベス・バード著/大藏雄之助 訳
 『わが終わりにわが始めあり ― 不滅の女王メリー・スチュアート』
  (上下2巻。麗澤大学出版会、平成18年12月)

 アレクサンドル・デュマ著/田房直子 訳
 『メアリー・スチュアート』
  (作品社、平成20年8月)

 桐生操 著
 『女王メアリ・スチュアート』
  (新書館、平成8年5月)

などが見つかりました。今回は手もとにあった

 森護 著
 『スコットランド王国史話』
  (中公文庫、平成14年3月。初出は大修館書店、昭和63年12月)

を参照しましたが、近々どれか手に入れて、読んでみようと思います。
エリザベス1世については、さらにたくさん邦訳書が出ていますが、
そちらはまたの機会に取り上げようと思います。


※Wikipidia の「イギリス」「スコットランド」、
  「メアリー(スコットランド女王)」「エリザベス1世」の項目も参照しました。

※計30冊 計245,437語。