2016年1月31日日曜日

『古今和歌集』巻第十一 戀歌一 その3(529-551)

『古今和歌集』の恋歌一 その3として、
次の23首(529-551)を読みました。

本文は、
 西下経一校注
 『日本古典全書 古今和歌集』
 (朝日新聞社、1948年9月)
に従いました。ただし、
読みやすくするために、句切れで改行し、
句間を一字ずつあけました。

句切れは、
 佐伯梅友校注
 『古今和歌集』
 (ワイド版 岩波文庫、1991年6月)
の解釈に従いました。

さらに、
個人的に共感できた歌に☆印をつけ、
わかりやすかった二人の歌意を併記しました。

【奥村釈】
 奥村恆哉校注
 『新潮日本古典集成 古今和歌集』
 (新潮社、1978年7月)

【小町谷釈】
 小町谷照彦訳注
 『古今和歌集』
 (ちくま学芸文庫、2010年3月。初出は旺文社文庫、1982年6月)


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◎古今和歌集巻第十一 戀歌一(その3)529-551

☆529☆
かがり火に あらぬわが身の
なぞもかく 涙の河に うきてもゆらむ
【奥村釈】
 鵜飼(うかい)の篝火は、
 水の上であかあかと燃える。
 その篝火でもない私なのに、
 なぜこうも涙の川に浮んで、
 燃えてばかりいなければならないのだろう。
【小町谷釈】
 鵜飼(うかい)の篝火でもない私の身なのに、
 どうしてこのように涙の川に浮かんで燃えているのだろう。

☆530☆
篝火の かげとなる身の わびしきは
ながれてしたに もゆるなりけり
【奥村釈】
 鵜飼の篝火の影同然になったわが身のわびしさは、
 篝火が水底(みなぞこ)でゆらゆら燃えるように、
 心の中だけで燃えつづけなければならない、
 まさにそのことだ。
【小町谷釈】
 篝火の水に映る影のようになった私の身の悲しさは、
 流れる水底に篝火の光が燃えて見えるように、
 泣きながら心の奥底で思いの火に燃えていることだよ。

531
はやきせに みるめおひせば
我が袖の 涙の川に うゑましものを

532
おきへにも よらぬ玉もの
浪の上に 亂(みだ)れてのみや 戀ひわたりなむ

533
あしがもの さわぐ入江の 白浪の
しらずや
人を かくこひむとは

534
人しれぬ 思をつねに するがなる ふじの山こそ
わが身なりけれ

☆535☆
とぶ鳥の こゑもきこえぬ おく山の
ふかき心を 人はしらなむ
【奥村釈】
 飛ぶ鳥の声さえ聞えない深山のように、
 私が深く思いを抱いていることを、
 せめてあの人だけは知ってほしい。
【小町谷釈】
 飛ぶ鳥の声さえも聞えない奥深い山のような、
 深い恋の思いを心の中に秘めていることを、
 あの人は知ってほしい。

536
相坂の ゆふつけ鳥も
わがごとく 人や戀しき
ねのみなくらむ

537
あふさかの 關にながるる いはし水
いはで心に おもひこそすれ

538
うき草の うへはしげれる ふちなれや
ふかき心を しる人のなき


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539
打ちわびて よばはむこゑに
山彦(びこ)の こたへぬ山は あらじと思(おも)ふ

☆540☆
心がへ する物にもが
かた戀は くるしき物と 人にしらせむ
【奥村釈】
 心を取りかえることができたらよいのに…。
 そうして、
 片思いがどんなに苦しいものか、
 あの人に思い知らせてやりたい。
【小町谷釈】
 心が取り換えられるものであったらよいのに、
 片思いはどんなにつらいものか、
 あの人に思い知らせてやりたいから。

541
よそにして こふれば苦(くる)し
いれひもの おなじ心に いざむすびてむ

☆542☆
春たてば きゆる氷の
のこりなく 君が心は 我にとけなむ
【奥村釈】
 春になるととける氷のように、
 あなたの心も、
 すっかり私にうちとけてほしい。
【小町谷釈】
 春になると解ける氷のように、
 あなたの心は私にあます所なくうち解けてほしい。

543
あけたてば 蝉のをりはへ なきくらし
よるは螢の もえこそわたれ

☆544☆
夏蟲の 身をいたづらに なすことも
ひとつ思(おもひ)に よりてなりけり
【奥村釈】
 夏の虫は、
 火に飛び込んでわれとわが身を焼き滅ぼしてしまう。
 それというのも、
 恋の火にわが身を焼きさいなんでいる私と、
 そっくりそのままの身の上だからだ。
【小町谷釈】
 夏虫が灯火に飛び込んで身を焼き滅ぼしてしまうことも、
 思えば私と同じような恋の思いの火によってだったのだ。

545
ゆふされば いとどひがたき わが袖に
秋の露さへ おきそはりつつ

546
いつとても 戀しからずは あらねども
秋の夕(ゆふべ)は あやしかりけり
【奥村釈】
 何時といって恋しくない時などないけれど、
 秋の夕暮というものは、
 わけても不思議に恋しさがつのる。
【小町谷釈】
 いつといって恋しくない時はないけれども、
 秋の夕暮は不思議に人恋しさがつのることだよ。

547
秋の田の ほにこそ人を 戀ひざらめ
などか心に わすれしもせむ

548
あきの田の ほの上(うへ)をてらす いなづまの 光のまにも
我やわするる


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549
人めもる 我かは
あやな
花薄(すすき) などかほにいでて 戀ひずしもあらぬ

550
あは雪の たまればかてに くだけつつ
わが物思の しげき比かな

551
おく山の すがのねしのぎ ふる雪の
けぬとかいはむ
戀のしげきに


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今回の23首(529-551)のうち、
私が特に共感できた(☆印)のは、
次の七首でした。

☆529☆
かがり火に あらぬわが身の
なぞもかく 涙の河に うきてもゆらむ

☆530☆
篝火の かげとなる身の わびしきは
ながれてしたに もゆるなりけり

☆535☆
とぶ鳥の こゑもきこえぬ おく山の
ふかき心を 人はしらなむ

☆540☆
心がへ する物にもが
かた戀は くるしき物と 人にしらせむ

☆542☆
春たてば きゆる氷の
のこりなく 君が心は 我にとけなむ

☆544☆
夏蟲の 身をいたづらに なすことも
ひとつ思(おもひ)に よりてなりけり

☆546☆
いつとても 戀しからずは あらねども
秋の夕(ゆふべ)は あやしかりけり


釈文を片手に、
一首ずつ読み解いていくと、

素朴な表現の中にひそんだ
深い感情に気がついて、
心を動かされます。

千年前の言葉を、千年後に生きる
一個人の凡庸な感性で選んでいくと
どんな歌が残るのでしょうか。

2016年1月18日月曜日

【読了】Susan Hill, The Woman in Black (MMR Level 3)

やさしい英語の本、通算124冊目は、

マクミラン・リーダーズの
レベル3(1100語レベル)の11冊目として、

イギリスの作家
スーザン・ヒル(1942.2- )の
小説『黒衣の女』を読みました。

著者41歳の時(1983.10)に出版された作品です。


Susan Hill
The Woman in Black

〔Macmillan Readers Level 3〕
This retold version of Margaret Tarner for for Macmillan Readers
First published 1990
This edition first published 2005
11,226語

つい最近、
マクミラン・リーダーズの1冊として手に取るまで、
まったく知らなかった作品です。

幽霊系のホラー小説というところには
特に魅力を感じなかったのですが、

正統派、本格的、あふれる才能といった評判にひかれて、
読んでみることにしました。

原作を知らないままでしたが、
やさしい英語でわかりやすくまとめてあったので、
難なく読み進めることができました。

やたらと人が死んでしまったり、
とんでもない怪物が出てきたりして、
日常的な価値観を大きく逸脱することはなく、

幽霊や言い伝えなど、
我々がふつうに怖いと感じる常識的な感覚に、
ひたひたと訴えかけてくる大人向けの作品でした。

ホラーですが、
美しい自然描写を織り交ぜてあり、
幼い子供を亡くした女性の痛切な感情がよく伝わってきて、
哀しくも深い印象の残る作品でした。

設定は異なりますが、
『源氏物語』の六条御息所の怖さを、
もっと強くした感じでしょうか。

最近読んだ恐怖小説
『ドラキュラ』『フランケンシュタイン』
と比べれば、こちらの方が遥かに深い、
よく出来た作品に思えました。


  ***

翻訳は、最近の作品なので、
河野一郎(こうのいちろう)氏のものがあるのみです。


スーザン・ヒル著
河野一郎(こうのいちろう)訳
『黒衣の女 ―ある亡霊の物語〔新装版〕』
(ハヤカワ文庫、2012年10月)
 ※旧版は『黒衣の女』の表題(副題なし)で、ハヤカワ文庫、1995年9月。

大きめの活字で、
よくこなれたわかりやすい翻訳に仕上がっていると思うので、
少し時間を置いてから読んでみようと思います。

映画化されもされていて、
2012年2月にアメリカとイギリスで公開、
同年12月には『ウーマン・イン・ブラック ―亡霊の館』
の邦題で日本公開されていました。

でもホラーは小説で十分なので、
映画は観ないと思います。

スーザン・ヒル氏の作品、
個人的にはホラー以外の作品に興味があります。
他にどんな翻訳が出ているのか調べてみたら、
いろいろ見つかりました。

高儀進訳
『罪深き天使たち』
(角川文庫、1976年4月)

高儀進訳
『ぼくはお城の王様だ』
(角川書店〔海外純文学シリーズ⒓〕1976年4月)

 幸田敦子訳
 『ぼくはお城の王様だ』
 (講談社、2002年5月)

高儀進訳
『奇妙な出会い』
(角川文庫、1977年8月)

ウィルヘルム菊江訳
『キッチンの窓から』
(西村書店、1992年11月)

新倉せいこ訳
『庭の小道から』
(西村書店、1992年11月)
 ※新装版『庭の小道から ―英国流ガーデニングのエッセンス』(西村書店、2008年3月)。

幸田敦子訳
『イングランド田園讃歌』
(晶文社、1996年12月)

幸田敦子訳
『私は産む ―愛と喪失の四年間』
(河出書房新社、1992年2月)

今泉瑞枝訳
『君を守って ―スーザン・ヒル選集1』
(ヤマダメディカルシェアリング創流社、1999年10月)

近藤いね子訳
『その年の春に ―スーザン・ヒル選集2』
(ヤマダメディカルシェアリング創流社、2000年10月)

佐治多嘉子・谷上れい子訳
『シェイクスピア・カントリー』
(南雲堂、2001年9月)

野の水生訳
『ガラスの天使』
(パルロ舎、2004年11月)

野の水生訳
『雪のかなたに』
(パルロ舎、2004年11月)

加藤洋子訳
『丘 上・下』
(ヴィレッジブックス、2014年1月)

近々どれか1冊、
選んで読んでみようと思います。


※通算124冊目。計1,027,823語。

※Wikipediaの「スーザン・ヒル」「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」を参照。

2016年1月4日月曜日

【読了】Mark Twain, The Prince and the Pauper (MMR Level 3)

やさしい英語の本、通算123冊目は、

マクミラン・リーダーズの
レベル3(1100語レベル)の10冊目として、

アメリカ合衆国の作家
マーク・トウェイン(1835.11-1910.4)の
小説『王子と乞食』を読みました。

著者46歳の時(1881.12)に出版された作品です


Mark Twain
The Prince and the Pauper

〔Macmillan Readers Level 3〕
Text, design and illustration (c)Macmillan Publishers Limited 2013
This version of The Prince and the Pauper by Mark Twain was retold by Chris Rose for Macmillan Readers.
First published 2013
11,537語

昨年(2014年2月)に
ペンギン・リーダーズのレベル2(600語レベル)で読んで以来、
2回目の『王子と乞食』です。

王子と乞食という
全く違う環境で生きてきた2人が、
偶然出会って、偶然2人が入れかわるという、
ありえない場面設定のお話だからか、

翻訳で読むと、
なんだか嘘くさいお話が延々と続いていくようで、
今一つ面白さが伝わって来ないのですが、

やさしい英語版だと、
飽きる間もなく次々話が進んでいくからか、
よく出来たお話として楽しむことができました。


16世紀前半のイングランドで、
世継問題のもつれから6人の妻をめとり、
そのうち2人を処刑、2人を離縁した
破天荒な王として知られるヘンリー8世は、

ローマ教皇庁から「イングランド国教会」を分離させ、
イングランド宗教改革を主導した「ルネッサンス王」
としても知られていますが、

本書はこのヘンリー8世の崩御と、

彼のただ一人の王子エドワードが、
エドワード6世として即位するまでの経緯を
織り込んだ歴史小説という側面もあるので、

イギリスの歴史をより深く学んでいくと、
さらに面白くなって来るかもしれません。

(以上、君塚直隆『物語 イギリスの歴史(上)』中公新書、2015年5月を参照)


  ***

翻訳はいくつか手に取りましたが、
まだしっくり来るものに出会えていません。

初めに手に取ったのは、
大久保博(おおくぼひろし)氏の翻訳です。


大久保博訳
『王子と乞食』
(角川書店、2003年5月)

1881年刊行の初版本に収録されていた
192点のイラストを完全収録するこだわりようで、

わかりやすい日本語でていねいに訳されているので、
まずは模範的な訳業といえると思います。

しかし「です・ます」調の
生真面目な訳文が災いしたのか、
実際読んでみるとしだいに飽きが来て、
途中で読むのを止めてしまいました。

こんなに退屈な作品ではないはずだ!と。

続いて、
読みやすさ重視で
もう少し簡単なのを試してみようと思い、
河田智雄(かわだともお)氏の翻訳を読んでみました。


河田智雄訳
『王子とこじき(上・下)』
(偕成社文庫、1979年1・2月)

こちらは大久保訳よりやさしく、
小学生くらいから読めるように訳してありますので、
無事に最後まで読み終えることができました。

しかし正直なところ、
前半を読み終えたあたりで、先の見える展開に飽きが来て、
少々じれったい思いをしながら読み進めたことを告白しておきます。

この後さらに、
どうせなら完訳でなくてもと思い、
翻案されている所もある村岡花子(むらおかはなこ)氏の翻訳を手に取りました。


村岡花子訳
『王子の乞食』
(岩波文庫、1934年7月。24刷改版、1958年5月)
 ※初出は平凡社〔世界家庭文学大系 第2巻〕1927年10月。
  岩波文庫の「訳者のことば」には、
  世界家庭文学大系の刊行=「昭和四年」(1929)とあるが、
  昭和二年(1927)の誤りである。

日本の国民が、
最初に『王子の乞食』に出会ったのは、
この村岡訳だったようです。

初出は90年近く前なので、
言い回しに多少気になるところもありますが、
今でも十分読める味わい深い文章です。

ただし前2者を圧倒して、
一気に読み切れるレベルかといえば、
そこまでの魅力は感じませんでした。

トウェインの作品自体に、
全体として前向きで明るいイメージがあるものの、
社会への風刺というか、棘や毒を含んでいるところがあるので、

ひたすら上品で、
ていねいな美しい日本語に移しかえてしまうと、
作品の本質からは少しずれているように感じるのかもしれません。


最近さらにもう1冊と思い、
山本長一(やまもとちょういち)氏の翻訳を選んでみました。


山本長一訳
『王子と乞食』
(彩流社〔マーク・トウェイン コレクション13〕1999年4月)

山本訳は、先に同じシリーズの
『ハックルベリィ・フィンの冒険』(1996年3月)を読んで、
難しくてわかりにくい印象があったので、
後回しになっていたのですが、

こちらは前3者とは違ったスタイルで、
適度に毒のある文体になっていて、
新鮮な印象を受けました。

まだ読み始めたばかりなので、
無事に読み終えたら、ブログでまた報告します。


※通算123冊目。計1,016,597語。

※Wikipediaの「マーク・トウェイン」「王子と乞食」を参照。