2011年11月29日火曜日

【読了】Gaston Leroux, The Phantom of the Opera (MMR Beginner)

テスト週間と冬期講習の準備が重なって、
少し時間がかかりましたが、

やさしい英語の本、
MMRのシリーズ10冊目は、フランスの作家 ガストン・ルルー
(1868年5月6日生 1927年4月15日没)の
小説『オペラ座の怪人』を読みました。



Gaston Leroux
The Phantom of the Opera

Translated from the French
and retold by Stephen Colbourn
(Macmillan Readers Beginner Lever)

1998年刊(8,264語 YL1.6)


愛知に住んでいるので、
劇団四季のミュージカルとして、
『オペラ座の怪人』の名前はよく知っていましたが、
それを観に行く機会はなく、
また翻訳を読む機会もなく、
今に至りました。

リトールド版によって、
手短に、大まかなストーリーがつかめるのはありがたいです。

はじめフランスの人名に少し戸惑いました。

またオペラ座の中を上に下にと
行ったり来たりする様子が描写されているので、
文意をとるのに少し苦労しましたが、

切ない怪人の恋の物語へと集約されていくさまが興味深く、
後半から終わりにかけては、一気に読み終えました。


さすがに世界中で人気があるのもうなずけます。
次に名古屋で公演があるときには、
ぜひ観に行こうと思いました。


翻訳は、

 三輪秀彦 訳(創元推理文庫、昭和62年1月)
 日影丈吉 訳(ハヤカワ・ミステリ文庫、平成元年5月)
 長島良三 訳(角川文庫、平成12年2月)

がすぐに手に入るようです。取りあえず、
長島訳を手に入れてみました。いずれ
時間があるときに読んでみようと思います。


※計10冊 80,867語。

2011年11月21日月曜日

落合監督退任

中日ファンなので一言。

9月22日の退任発表からほぼふた月。

日本一を目前にして、
落合監督率いるドラゴンズの闘いが終了しました。

8年間の長きにわたり、
強いドラゴンズを楽しませていただき、
ありがとうございました。

ドームに通うわけでもないので、
それほど熱狂的なファンとはいえないと思いますが、

ドラゴンズの優勝を願って、
シーズン中は毎日必ず結果をチェックして、
テレビのニュースに翌朝の新聞にと
楽しませてもらいました。

落合監督は、ちょうど私が
学習塾の仕事をはじめたころに
中日ドラゴンズの監督に就任されました。

当初、AクラスとBクラスを行ったり来たりしていたチームを
変革してくれる監督としてそれなりに期待されていましたが、
実際に何ができるのかはまったく未知数だったと思います。

恐らくここまでの好成績は、
誰も想定していなかったのではないでしょうか。


指揮官として、

部下を決して感情的に叱らないところ、
しかし能力はしっかり見極めて、結果で判断するところ、

時にひらめき重視というか、独特の感性にもとづいた、
しびれるような面白い采配を見せてくれるところ、

全体の結果はすべて自分で引き受けるところ、

そして何より、上よりも下(現場)に目が向いていたところが、

大好きでした。

結果が第一の世界で、
結果以外の理由で辞めさせられるのは、
落合監督にとってむしろ勲章でしょう。


近い将来、再びドラゴンズに
戻ってきていただければ一番うれしいのですが、

健康上の問題がなければ、早晩
他球団の監督に就任されるかもしれません。


来期のドラゴンズ、
8年間冷や飯を食ってきた中日OB陣が奮起して、
予想外に強いドラゴンズを示せるかどうかが分かれ目でしょう。

経営重視、OB重視というのは
責められるべき方針だとは思いませんが、

ファンあってのものなので、
来年早々にBクラスになるようなことがあれば、
少なくともOB重視の路線は転換せざるをえなくなるでしょう。


落合監督、
8年間ありがとうございました。

2011年11月16日水曜日

【読了】Charles Dickens, A Tale of Two Cities (MMR Beginner)

やさしい英語の本、
MMRのシリーズ9冊目は『クリスマス・キャロル』で有名な、
イギリスの国民作家、チャールズ・ディケンズの長編小説
『二都物語』を読みました。



Charles Dickens
A Tale of Two Cities

Retold by Stephen Colbourn
(Macmillan Readers Beginner Lever)

1997年刊(6,751語 YL1.6)


もとは長編ですが、
手短にあらすじをおえるように
うまくまとめられていると思います。

フランスの地名、人名の読み方がよくわからなかったので、
前半は少し時間がかかりましたが、
あとは一気に読み終わりました。

通俗的な歴史読み物ですが、
フランス革命(1789~1799)に対する
批判的立場から書かれている点が興味深かったです。

ディケンズは1812年生まれ、1870年に没しており、
『二都物語』は1859年に書かれています。

フランス革命を身をもって
体験しているとは言えませんが、
父や祖父の世代から見聞きしたことをもとに
書かれているとは考えられるので、

イギリスにおいて、
フランス革命がどのように受け止められていたのかを知る、
よい作品であると思いました。

フランス革命における人民裁判の様子を
イギリスの裁判と対比して描写している点も
興味深かったです。

翻訳は、

 中野好夫 訳『二都物語(上・下)』
 (新潮文庫。昭和42年1月)
  ※平成21年2月で61刷!

を手に入れましたが未読です。

長編なので今後時間ができたときに、
読んでみたいと思います。


※計9冊 72,603語。

2011年11月14日月曜日

【読了】塩野七生 『ローマ人の物語7 勝者の混迷(下)』



塩野七生『ローマ人の物語7 勝者の混迷[下]』
(新潮文庫、平成14年9月。初出は平成6年8月)

 第二章 マリウスとスッラの時代(承前)
     (紀元前一二〇年~前七八年)
 第三章 ポンペイウスの時代
     (紀元前七八年~前六三年)



また1冊読み終わりました。

マリウスもスッラもポンペイウスも、
ここで初めて読んだと申し上げて良い程度ですので、
他と比べてどうなのかは判断できませんが、
ここまでとても楽しく、読み進めております。

筆力というのは大切ですね。

次からは筆者が一番力を入れていたらしい、
ユリウス・カエサル伝がはじまります。

文庫本で6分冊されているので、
読み終わるのは来春ころかと思いますが、
また1冊ずつ読み進めて行こうと思います。

2011年11月8日火曜日

スマイルズ 『向上心』 第6章 (下2)



サミュエル・スマイルズ著、竹内均 訳
『向上心』(三笠書房、知的生きかた文庫、改訂新版、平成23年6月)より。

※印は栗木によるコメントです。

※スマイルズ著、竹内均 編訳による『向上心』、
 これで読了になります。
 原著の内容を読みやすいかたちで提供されており、
 たいへん勉強になりました。

 ただし原著をのぞいてみると、
 章立てからして違っておりますので、
 そちらも読んでみたくなって来ました。

 原著そのものか、中村正直さんの訳にまで遡って、
 ひきつづき勉強していきたいと思います。

第6章 人を動かす
(承前)


不幸は必ずしも苦しいものではない。

 一方では苦しみにつながるが、
 ある意味では幸せにつながる。

 悲しいものではあるが、
 修復できるし、
 またとない鍛錬ともなる。

 しかし、われわれ人間は、
 鍛錬となる面を見逃してしまいがちである。」253


※不幸は苦しいものです。
 不幸は悲しいものです。

 できるだけ、
 避ける努力をするべきでしょう。

 ただし人生で一つの不幸もない、
 ということもありえないわけですから、

 不幸の受け入れ方を知っておくことは大切だと思います。

 その後の修復に向けて、
 どのような努力をするかによって
 自分の人格を鍛錬する、
 またとない機会を与えられたのだ
 と考えるようにしたいです。

 わかっていてもなかなかできることではありませんが、
 不幸・失敗のあとの生き方が、
 一番大切です。


悲しいできごとや災いは、
 自分を向上させるための試練と考えよ。

 それはわれわれの気持ちを引き締め、
 節度ある考えをもたせ、
 軽率な態度をいましめ、
 罪深い行動から遠ざける。

 われわれは、不幸を通じて
 ますます徳を高め智恵を働かせ、
 耐える心を鍛え、
 勝利と栄光を目ざして
 ひたすら前進しなくてはならない。

 逆境に遭わなかった人間ほど
 不幸な者はいない。

 本人がよい悪いではなく、
 その人は試練を受けていないからである。

 才能があるとか性格がよいというだけでなく、
 徳にあふれた行動こそ
 勝利の王冠にふさわしいのである。

 (ジェレミー・テイラー)255

※試練のない人生、
 逆境のない人生って、
 ありえるのでしょうか。

 物事に挑戦する生き方を選んでいれば、
 どこかで失敗はつきものでしょう。

 もしかしたら、
 何ごとも挑戦しない生き方を選んでいれば、
 失敗しない人生を送れるのかもしれませんが、

 はじめから負けていればよい、
 という敗北主義の生き方は、
 誰にとっても楽しくないでしょう。

 試練にあって、
 それを一つ一つ乗りこえて行くことによって、
 人生は楽しくなるのだと思います。

 逆境にあって、
 試練にあって、
 それを乗りこえていくことを、
 楽しみとできるようにしたいです。

 そのためには、
 家族や恋人や友人の支えがあるかどうか、
 も大きいだろうと思います。

 人はなかなか、
 本当の孤独には耐え切れるものではありません。

 たとえ一人でも、
 全幅の信頼を置ける誰かがいてくれれば、
 試練に立ち向かうことは
 相当容易になると思います。

 そしてただ一人だとしても、
 死ぬ気になって数年辛抱する覚悟があれば、
 たいてい何とかなるものでしょう。


われわれは、
 人生の喜びを心から味わい、
 一方では
 苦しみを辛抱強く甘受しなくてはならない。

 泣き言や不平を言っても
 何の役にも立たない。

 明るさを失わず、正しい手段で
 黙々と働き続けることが
 何よりも有益である。
」258


人生は、その大部分を
 自分自身でつくっていくものである。

 一人ひとりが
 それぞれの心という大地の上に
 小さな世界を創造するのだ。

 明るい心の持ち主は楽しい人生を送り、
 不満だらけの人間は惨めな人生を送る。
」257

※家族とのつながりが密に過ぎると、
 時々自分が見えなくなることもあるでしょう。

 でもしかし、
 これは自分の人生なのだから、

 という視点はやはり大切でしょう。

 自分をある程度すてる姿勢は立派ですが、
 すてた結果、まわりに不満タラタラで、
 誰かに怒ってばかりの人生になるのなら、
 それは何かが間違っているのでしょう。

 自分の人生を、
 しかるべき義務を果たしながら、
 どのように明るく楽しく生きていくのか、
 考えていきたいものです。


たとえ貧しくても、
 ある者は王者の心を持ち、
 たとえ王であっても、
 ある者は奴隷の心を持つ。

 人生はその大部分が
 自分自身を映す鏡にすぎない。

 善良な者にとって世の中は善であり、
 悪人にとっては悪なのである。
」257

※成功するか、失敗するかは、
 ある程度、時の運も関係して来ます。

 万全を尽くしても、
 時には失敗することがあります。

 大切なのは、
 その過程をどのように生きたのかについて、
 自分なりの答えを持って、
 努力をし続けることでしょうか。

 自分の力を出し尽くして、
 それで失敗した場合は、
 とんでもなく悔しいにしても、
 それ以上は何ともし難かったわけですから、
 わりとさっぱりあきらめて、
 次へと努力していけるものです。

 心で、折れることがないようにしたいです。

2011年11月7日月曜日

スマイルズ 『向上心』 第6章(下1)



サミュエル・スマイルズ著、竹内均 訳
『向上心』(三笠書房、知的生きかた文庫、改訂新版、平成23年6月)より。
※印は栗木によるコメントです。

第6章 人を動かす
(承前)


人生の道を歩むにつれて、
 苦しみ・悲しみ・悩み・不幸・失敗などの
 暗い情景が道の行く手にあらわれる。

 清らかな心と堅い決意で
 これらを切り抜け、
 試練に明るく立ち向かい、
 どんな重荷を負わされても
 まっすぐに立っていられる人は
 何よりも幸せである。
」239

※時々、調子のいい時に、
 清らかな心と堅い決意を持って、
 物事に望める人は多いでしょう。

 しかし人生のどこかで、
 苦しみ・悲しみ・悩み・不幸・失敗が
 これでもかと押し寄せている最中に、

 清らかな心と明るい雰囲気を保って、
 堅い決意で試練に立ち向かって行ける人は少ないでしょう。

 家族の支えがあれば、
 まだ何とかなるかもしれませんが、
 家族との縁すら見放されている時に、

 清らかで明るい心を保ち続けることは
 たいへん困難なことだと思います。

 誰でもできることではありませんが、
 そこを切り開いていける人間は、
 確かに強いと思います。


孤独な生活を楽しんでいたとしても、
 その喜びは、所詮
 自己満足にすぎない。

 一人ひっそりと暮らすのは、
 他人を軽蔑しているからとも解釈できるし、
 それ以上に本人が
 卑怯な怠け者かわがままな人間であることを
 証明しているようなものだ。

 人にはそれぞれ
 与えられた仕事と義務があり、
 この二つは自分のためにも、
 また自分が所属する社会のためにも
 回避することはできない。
」240

※どちらかといえば、
 一人でひっそりと暮らしていく方が
 性に合っていますので、

 自分への叱咤激励として、
 こうした文章はためになります。

 一人静かに芸術に親しみ、
 学問をする生活に憧れるのですが、

 それは自己満足なんだよ、
 他人を軽蔑していることになるんだよ、
 卑怯な怠け者だ、
 わがままだ、

 と言ってもらえると、
 イケナイ、イケナイ、
 と思い直して、
 仕事に向かう気持ちが湧いてくるのでした。


実際的な知識を身につけ、
 いろいろな智恵を学ぶには、
 社会の一員として
 実生活に溶け込む以外に方法はない。

 社会の荒波にもまれてこそ、
 われわれは自分のやらねばならないことを知り、
 仕事のきびしさを知り、
 忍耐力・根気そして勤勉さを養い、
 人格を磨くことができるのである。
」240

※実際的な知識、ほんものの智恵を学ぶには、
 社会の中で、その一員として生きていくしかないんだ、
 ということは、
 若いころにもっと聞いておきたい言葉でした。

 社会の中で、
 仕事をしながら生きていくことによって、
 自分の人格が磨かれて、
 完成されていくのだ、ということも、
 若いころにもっと聞いておきたかったと思います。

 まだまだの人間ですが、
 確かに社会に出てから学んだことの重さは、
 学校で学んでいた時の比ではありません。

 人格を磨く道場として、
 仕事をはじめとした
 実社会の人間関係以上のものは考えられません。


他人とのふれ合いは
 自分自身を知るための必要条件でもある。
 大勢の人たちと自由に交わってこそ、
 人は自分の脳力を正当に評価できる。

 そうでなければうぬぼれが強くなり、
 思い上がった傲慢な人間になってしまう。

 そこまで行かずとも、
 その人は、他人とつき合わなかったために、
 一生、自分の本当の姿がわからずじまいで
 終わってしまうだろう。
」241

※これもまた、
 自分の殻に閉じこもりがちだった若いころに、
 聞いておきたかった言葉です。

 今でもそうした志向は変わりませんから、
 閉じこもりたい傾向な時に、時折読み返して、
 外に出るきっかけにしたいです。

 確かに、
 いつも一人きりでいたのでは、
 自分のたつ位置がわからなくなってしまいます。
 自分のうぬぼれを消すためにも、
 人とかかわる時期を持つのは絶対に必要ですね、


青春は人生の春である。

 若い寛容な心に種を蒔かなければ、
 夏になっても花は開かず、
 秋の収穫もおぼつかない。

 このような人生は
 春のない一年のようなものだ。

 情熱がなければ、
 何かに賭けて力を試すことも少なく、
 実りはさらに少ない。

 情熱があれば自信と希望に刺激されて
 労働意欲も湧き、
 ビジネスと義務の冷たい世界も
 明るく乗り越えることができるだろう。
」243

※青春が去ってみると、
 ああ、あの頃が青春だったんだな、
 とわかるようになって来ました。

 ある程度、
 やりたいことは実践してきたので、
 とくに後悔はありませんが、

 この時期を
 不完全燃焼で終わってしまった人は、
 基本的に取り返しがつきませんから、
 春のない人生をどう生きるのか、
 後悔の連続になるのかもしれません。

 ただし青春時代の情熱を、
 いつまでも持ちつづけることは誰にでもできます。

 歳相応にではあるでしょうが、
 それなりに元気ハツラツとした心情は、
 いつまでも保っていきたいと思います。

 精神的な部分では、
 いつまでも情熱的でありたいものです。


後世に残るような大事業を
 成し遂げるためには
 情熱が必要である。

 物事に打ち込む情熱がなければ、
 次々に降りかかる災難や障害に
 押し潰されてしまうだろう。

 しかし情熱によってかき立てられた
 勇気と不屈の精神があれば、
 危険にあってもひるまず、
 障害を組み伏せることができる。
」245

※私はどちらかといえば、
 情熱が内に向かうタイプなので、
 外からはそれほど情熱的だとは思われないはずですが、
 内に秘める情熱は、かなり熱いものがあります。

 それで若いうちはいろいろ失敗もして来ました。

 でもやはり、先に立つ情熱がなければ、
 何ごとも前に進んで行かないだろう、
 と思っています。

 どんな人生にも
 なにがしかの災難や障害は必ず待ち受けていますから、
 それを乗り越えられるだけの情熱は、
 体内に蓄えておきたいものです。


勇敢な人間はけっして挫折せず、
 成功するまで何回でも挑戦する。

 大木は最初の一撃ではビクともせず、
 くりかえし懸命に斧を入れることによって
 はじめて倒れる。

 成功した結果は
 われわれの目に映るが、
 そこに至るまでにくぐり抜けてきた
 危険や困難、そして労力のことは
 何もわからない。
」246

※10回、20回の失敗となると、
 視点を変えたほうが良い場合もあるでしょうが、

 数回の失敗で諦めてしまっては、
 なかなか成功を手に入れることは難しいでしょう。

 私はどうしても実現したいことであれば、
 とりあえず10回失敗するまではがんばることにしています。

 そのつもりで努力していけば、
 たいていそこまでの失敗を重ねるまでに、
 成功を手にできることが多いです。

 大切なのは覚悟を決めて、
 成功が保証されていない中で、
 成功を信じて、あきれるくらいの回数、
 挑戦することだと思います。

2011年11月5日土曜日

松原泰道 『釈尊のことば 法句経入門』 三章(上)


松原泰道『釈尊のことば 法句経入門』
(祥伝社新書、平成22年3月。初出は昭和49年)より。

※印は栗木によるコメントです。


三章 滅諦―心を安らげる知恵

私たちは、前二章において、
 『人生は苦である』との真理『苦諦』と、
 その苦の原因は『無常と執着による』との真理『集諦』を
 学習しました。

 それは病気に喩えるなら、
 病状と病原を知ることでした。

 病状と病原とが的確に把握できれば、
 必要な対応処置がとれます。

 しかし現状の苦痛がはなはだしいときは、
 “痛み止め”の処置が必要でありましょう。

 それが、これから学習する『滅諦』の章です。
」136


※第一章において、
 苦とはいかなるものであるのか、
 その真理「苦諦」について学びました。

 第二章において、
 苦の原因となるものは何か、
 その真理「集諦」について学びました。

 第三章において、
 苦をやわらげるためにはどうしたらよいのか、
 その真理「滅諦」について学びます。


滅諦は『無常観の炎を静め、
 執着を抑えることが安らぎである』
 との沈静の真理です。
」137

※この言葉の真意は、
 まだよくつかみそこねています。
 先に進んでから、
 もう一度ここに戻って来たいと思います。



わが身を
 泡沫(うたかた)のごとく
 陽炎(かげろう)のごとしと
 うなずくものは
 愛欲の魔の放(はな)つ花の矢を
 打ちおとし
 死王(しおう)の力の及ばざる領域に
 いたらん
』(一七〇)136

※ただひとりこの世に生まれ落ち、
 さまざまな悪に引き寄せられつつ生きるしかない、
 わが身の喩えようのない寂しさ(無常感)を、

 この世の真理(無常観)として、
 受け入れることができる者は、
 平穏な心を手にすることができる。

 松原さんの解釈に助けられながら、
 こんな風に読んでみました。


※しかし無常観を楽しむ境地というのは、
 それなりに自分自身で、
 人の世の苦しみ、悲しみを受け止めて、
 あの時死ななくて良かったな、
 と思えるような人生の経験を、
 その人なりに乗り越えてみてはじめて、
 見えてくるものであるように思います。

 無常観?
 なんだそれ?

 と笑い飛ばしたまま、
 一生終わっていたら、
 それが一番楽なのかもしれませんが、
 たぶんそれは余りないことではないでしょうか。



わが愚かさを
 悲しむ人あり
 この人
 すでに愚者にあらず
 自(みずか)らを知らずして
 賢(かしこ)しと称するは
 愚中の愚なり
』(六二)143

※みずからの愚かさを嘆きながらも、
 卑下することなく受け入れて、
 日々精進できる人は、
 愚かな人ではない。

 どれほど学力があっても、
 自分のことを自分で賢い、
 と思える者は、
 よほどの愚か者である。 

 こんな風に読んでみました。
 これはそのまま、異論なく理解できます。

※自分はなんて愚かなんだろう、
 という嘆きがなければ、
 少しでも向上したい、
 と思って精進し続ける自分もいないわけです。

 しかし割りとよくありがちなのが、
 愚かな自分に甘えて、
 どうせ自分は馬鹿だから、と
 一切の努力を止めてしまうことです。

 無気力からは何も生まれません。

 私は愚かだから、
 日々精進しなければならない。

 ここに自分の心を持っていけるように
 できるか、できないかが、大きな分かれ目です。



愛欲に溺(おぼ)れず
 憎しみを好まず
 善悪ともにとらわれざる
 こころ豊かなる人に
 悩みあることなし
』(三九)149

※愛欲に溺れてしまうのが人間です。
 愛欲に限りのないことを覚りきれるか。

 誰かを憎んでしまうのが人間です。
 誰をも憎まない心境を手に入れることができるか。

 表面の善悪に囚われやすいのが人間です。
 一時の善悪に囚われないで物事を見つめられるか。

 中道観(適正な心)を手にした人に、
 悩みはない。

 こんな風に読んでみました。



法(おしえ)に親しむものは
 眠り安らかなり
 こころは
 楽しく清らかなり
 ほとけの説きし法(おしえ)の中に
 知恵の眼は
 おのずと聞くなり
』(七九)154

※ほとけの説きし法、
 については第四章で語られるので、
 ここの一句は未解決のまま、
 次に進まざるを得ません。

 ただし、
 苦について真剣に向き合うのは、
 日々安らかで、楽しく清らかな心を手に入れたい、
 と願うからで、

 そのための
 釈尊による類まれな分析が
 仏教というものの本質で、
 ここに奇跡はなく、また
 オカルト的な要素もありません。

 徹頭徹尾冷めた目で、
 人の心を見つめる厳しい眼差しが、
 ここにはあります。

2011年11月2日水曜日

【読了】Louisa M. Alcott, Good Wives (MMR Beginner)

やさしい英語の本、
MMRのシリーズ8冊目に読んだのは、
アメリカの女性作家、ルイザ・メイ・オルコット著
『若草物語 Little Women』の続編
『Good Wives』です。


louisa May Alcott
Good Wives

Retold by Anne Collins
(Macmillan Readers Beginner Level)


1999年刊(8,934語)

4姉妹のうち3姉妹が
恋愛し、結婚するまでのお話しです、
というと非常に簡単ですが、

ドタバタ劇や、
悲しい話も織り交ぜられて、
どちらかと言うと、
私にはこちらの続編の方が、
興味深く読むことができました。

アメリカの暖かい家族の
理想像が描かれているようで、
とても暖かい気持ちにさせられました。

邦訳はまだ読んだことがありませんが、
教室には、

 中山知子 訳(講談社 青い鳥文庫、新装版、平成22年5月。初出は平成9年)

を置いてあるので、近々読んでみようと思います。

その他、

 吉田勝江 訳(角川文庫、改版、平成20年11月))

がすぐに手に入るようです。


※計8冊 65,852語。