2024年1月5日金曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (3)

 ◆思軒訳『十五少年』現代語訳の時代(その二、1920年代

   ④霜田史光「十五少年漂流物語」(1924)
         →『十五少年漂流記』(1925)
   ⑤長門峡水「〈冒険奇譚〉十五少年孤島探検」(1926 )
   ⑥奥野庄太郎『十五少年漂流記』(1927→1930)

 
 1920年代に確認できた思軒訳『十五少年』にもとづく現代語訳は④⑤⑥の3点である。

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④霜田史光(しもたしこう。1896-1933)「十五少年漂流物語」(『金の星』第6巻3~12号、1924年3~12月。※未完)。単行本は連載終了後、ジユウール・ヴエルヌ 著/霜田史光訳述/寺内萬治郎(てらうちまんじろう。1890-1964)装幀・挿画『十五少年漂流記』(金塔社、1925年2月◇269頁)として刊行。その後『少年文学名著選集1 十五少年漂流記』(金の星社、1926年12月◇269頁)として再刊。 

  1点目は、霜田史光(しもたしこう)による編訳である。はじめに「十五少年漂流物語」という題名で、雑誌『金の星』(金の星社)第6巻3~12号(1924年3~12月に計10回掲載されたが、原著でいう第28章の途中までで中断。最終号(24年12月)の末尾には、「まだ話の終らない内に遂に十二月号となつて了ひました。で、止むなくこゝで一段落して、後は近日、本社から出版する単行本に掲載いたします。悪からずお赦しを願ひます。(記者)」と記された。その2ヶ月後、1925年2月金塔社から刊行されたのが、霜田史光『十五少年漂流記』であった。『十五少年漂流記』を単行本の書名として用いた初例がこれである。その後、金の星社『少年文学名著選集1 十五少年漂流記』1926年12月)としても再刊されている。

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長門峡水(ながときょうすい。?-?)「〈大冒険奇譚〉十五少年孤島探検」(『少年少女譚海』博文館、第7巻2・3号、1926年2・3月)※未完。 
 2点目は、長門峡水(ながときょうすい)による編訳「〈大冒険奇譚〉十五少年孤島探検」である。博文館の雑誌『少年少女譚海』第7巻2・3号1926年2・3月に2回掲載された。第2号に「第一回」「第二回」、第3号に「第三回」が掲載され、原著でいう第1・2・3章が抄訳されている。「第四回」以下が発表された形跡はない。ただ第2号の本文冒頭には「この物語は、長門峡水氏が特に譚海愛読者の為に全力を尽してかいて下すつたもので、全篇悉く熱血のみなぎつてゐるものです。どうぞ第一回より熱心におよみ下さらんことを切望します」と、また巻末の編輯だよりには「本号より発表します長門峡水氏の『十五少年孤島探検』は、同君が特に譚海愛読者の為めに苦心の熱筆を振はれたので二百枚以上の長篇物語で、第一回より最後迄、息もつけぬ面白いものです。(下略)」とある。さらに第3号の本文末尾には「(つゞく)」と、また巻末の編輯だよりには「『加藤十勇士』や『八郎為朝』、『十五少年孤島探検』の物語は次号から回を進むにつれてますヽヽ痛快に面白くなります」とある。これらの事から、本来はより長期にわたる連載を予定していたものの、何らかの理由で急遽最初の2・3号のみで打ち切りとなったことがわかる。長門峡水というペンネームで発表された作品がこれしか見当たらないことから、打ち切りの理由など今のところ詳しくは不明という他ない。
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⑥奥野庄太郎(おくのしょうたろう。1886-1967)編、丹宗律光(たんしゅうりっこう)装画『〈学習室文庫〉十五少年漂流記』(中文館書店1927年10月◇74頁)。編者名を伏せたまま、『学校家庭文庫4 ロビンソン物語 外二編』(九段書房、1927年10月◇206頁)のなかに「十五少年漂流記」と題して収録(136-206頁)。その後、奥野庄太郎著『東西童話新選 文の巻』(中文館書店、1930年9月◇488頁)のなかに「十五少年漂流記」と題して収録(2~73頁)。
 3点目は、奥野庄太郎(おくのしょうたろう)による編訳『〈学習室文庫〉十五少年漂流記』中文館書店1927年10月ある。こちらは同年同月に、奥野氏の名をふせたまま『学校家庭文庫4 ロビンソン物語 外二編』(九段書房、1927年10月のなかに「十五少年漂流記」と題して収録されている。その後、奥野庄太郎著『東西童話新選 文の巻』(中文館書店、1930年9月のなかに「十五少年漂流記」と題して収録された。同冊にはそのほか「クオレ物語」「トムソーヤ物語」「なるほど物語」「オルレアンの少女」「指輪の持主」「小公子」「ダンテ物語」の7話(計8話)が収録された。巻頭の「はしがき」に、「此の本のお話は最初『学習室文庫』のものとして書いたのですが、その本は日本の多くのお子供様方から歓迎され既に一万部を売り尽したのです。そして更に装幀の立派なものが欲しいといふ要求がありますので、前記のごとく同文庫中から選抜したものです」と、出版の経緯が記されている。

2024年1月3日水曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (2)

◆森田思軒訳『十五少年』の成立

 フランスの小説家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-1905)が1888年に執筆した小説Deux Ans de Vacances  (二年間の休暇)は、雑誌『Le Magasin d’éducation et de récréation (教育娯楽雑誌)』の第553~576号(1888-1/1~12/15)に掲載されたのち、単行本はJ・へッツェル社(J.Hetzel )から、1888年6月18日と11月8日に2分冊(351+342頁)の普及版が、同年11月19日に1冊(469頁)の豪華版(挿絵92枚)が刊行された。

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森田思軒(もりたしけん、1861~1897)「〈冒険奇談〉十五少年」(『少年世界』博文館、第2巻5~19号、1896年3~10月)。単行本は十五少年』(博文館、1896年12月◇292頁)として刊行。
 本邦初訳は、森田思軒(もりたしけん、1861~1897)氏によって行われた。森田氏は1896年に雑誌『少年世界』第2巻5~19号(博文館、1896年3~10月)に〈冒険奇談〉十五少年と題して15回に分けて連載したのち、同年12月に十五少年と題した単行本を刊行した(博文館、1896年12月◇292頁)。雑誌掲載時の表題と巻号、発行年月日を整理しておく。

  「〈冒険奇談〉十五少年/思軒居士/第一回」(第2巻5号、1896-3/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/思軒居士/第二回」(同巻6号、同-3/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第三回」(同巻7号、同-4/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第四回」(同巻8号、同-4/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第五回」(同巻9号、同-5/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第六回」(同巻10号、同-5/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第七回」(同巻11号、同-6/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第八回」(同巻12号、同-6/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第九回」(同巻13号、同-7/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十回」(同巻14号、同-7/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十一回」(同巻15号、同-8/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十二回」(同巻16号、同-8/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十三回」(同巻17号、同-9/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十四回」(同巻18号、同-9/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十五回」(同巻19号、同-10/1)

 単行本『十五少年』への例言に「是篇は仏国ジユウールスヴエルヌの著はす所『二個年間の学校休暇』を、英訳に由りて、重訳したるなり」とあるところから、森田訳がフランス語原本ではなく英訳本からの重訳であったことは初めから知られていた。しかし英訳本テキストについての細かい情報を欠いていたため、森田氏がどの英訳本を見たのかは長らく不明とされた。半世紀以上をへた1950年、波多野完治(はたのかんじ、1945-2001)氏によって、森田訳の英訳本テキストが確定された。森田氏が用いたのは、フランス語原本の刊行から3ヶ月後、1889年2月16日に、A Two Years Vacation  (二年間の休暇)と題し、アメリカの 「George Munro」 社から「Seaside Library Pocket Edition 」 の1冊として刊行された英訳本である(全1冊260頁)。
 
★思軒訳『十五少年』は、戦前において『現代日本文学全集33 少年文学集』(改造社、1928年3月◇566頁)、『明治大正文学全集8 黒岩涙香・森田思軒』(春陽堂、1929年3月◇756頁)に再録された他、岩波文庫(1938年10月)にも収録された。戦後においては『明治文学全集95明治少年文学集』(筑摩書房、1970年2月◇472頁)、『日本児童文学大系2 若松賤子集・森田思軒集・桜井鴎村集』(ほるぷ出版、1977年11月◇510頁)、長山靖生(ながやまやすお)編『少年小説大系13 森田思軒・村井弦斎集』(三一書房、1996年2月◇641頁)等に再録された。


◆思軒訳『十五少年』現代語訳の時代(その一、1910年代)

  ②葛原【凵+茲】女屋秀彦『〈絶島探検〉十五少年』(1916)
    →葛原【凵+茲】『十五少年絶島探検』(1923)
  ③富士川海人「十五少年の漂流」(1918?-1921? )
      ※「〈十五少年〉漂流記」の初見

 1896年に思軒訳『十五少年』が刊行されてから1950年代に入るまでは、ヴェルヌが執筆したフランス語原本が入手困難であったばかりか、思軒が参照した英訳本も所在不明になっていたため、時代に合わせた新訳を提供しようとすると、漢文調の思軒訳をもとに現代語に訳しなおすしかなかった。よってこれからしばらく、「思軒訳『十五少年』現代語訳の時代」と称し、各年代ごとに今回確認できた範囲の現代語訳を紹介していきたい。

 1910年代に確認されたのは、②③の2点である
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②葛原【凵+茲】(くずはらしげる。1886-1961)女屋秀彦(おなやひでひこ)『〈絶島探検〉十五少年物語』(博文館、1916年9月◇458頁)。のちに葛原【凵+茲】『十五少年絶島探検』(博文館、1923年3月◇458頁)として再刊。
 思軒訳にもとづく最初の現代語訳は、葛原【凵+茲】(くずはらしげる)女屋秀彦(おなやひでひこ)『〈絶島探検〉十五少年物語』(博文館、1916年9月)である。同書はその後『十五少年絶島探検』(博文館、1923年3月)と改題し、葛原一人の単著として再刊された。この再刊版のほうは国立国会図書館デジタルコレクションに公開されている。そちらを参照すると、再刊版には、葛原氏の自序「『十五少年絶島探検』新訳偶感」と、再刊に寄せた一文「嬉しい事です」が添えられている。後文の冒頭には「七年前に此の本を訳した頃と、今とをくらべて」と、また末尾には「尚、この本を出すについて、女屋秀彦君の御好意を感謝致します」とある。1916年に刊行された共著版のことは、再刊版の巻頭に言及がある以外、他書への引用も見当たらず、各種検索にもなかなか出て来なかったが、坪谷善四郎編『博文館五十年史 年表』(博文館、1937年6月)の大正5年9月の項に「〈絶島探検〉十五少年物語葛原【凵+茲】・女屋秀彦」、大正12年3月の項に「十五少年 絶島探検葛原【凵+茲】」とあるのを確認した。そのほか2023年現在、北海道立図書館と大阪府立中央図書館〈国際児童文学館〉に所蔵されているのも確認できた。
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富士川海人「十五少年の漂流」(『海国少年』海国少年社、第4巻8号〔1920年10月〕、第5巻10・11号〔1921年10・11月〕等)※未完。
 1910年代でもう一つ興味深い作品として、富士川海人「十五少年の漂流」というものがある。1917年から1922年にかけて海国少年社から発行された雑誌『海国少年』に、「シユール・ベルヌ作/富士川海人訳」の「十五少年の漂流」という作品が連載されている〔★〕。富士川海人の作品は「十五少年の漂流」以外まったく確認できない。雑誌『海国少年』の大半は所在不明であるが、国立国会図書館デジタルコレクションに5冊分の情報が公開され、そのうち3冊に「十五少年の漂流」が掲載されている。

    ◯第4巻8号(1920年10月)
     「69 有用な植物の発見」「70 深夜に猛獣の来襲」
    ◯第5巻8号(1921年8月)※掲載なし。
    ◯第5巻9号(1921年9月)※掲載なし。
    ◯第5巻10号(1921年10月)
     「87 新太守」「88 湖上のスケート」
    ◯第5巻11号(1921年11月)
     「〈十五少年〉漂流記の漂流(※予定の原稿を落とすことへの釈明文。)

4巻8号(1920年10月)に69・70章、5巻10号(1921年10月)に87・88章が掲載されている。5巻8・9号と連続して掲載がなく、10号で再開されたと思ったら第11号に至って「〈十五少年〉漂流記の漂流」と題する原稿を落とす(漂流させる)ことへの釈明文を掲載している。このあと再開して最終章までたどりついたのか、88章までで中断されたのか気になるところであるが、現存する『海国少年』の詳しい調査をしていないので、今後の課題としたい。一点付け加えるなら、メアリ書房(福井県福井市)の目録に、
 「海国少年 大正7年12月号 第2巻12号 十五少年の漂流/富士川海人」
とあることから、1918年12月までに連載が始まっていたのは確実である。

 なお『海国少年』第5巻11号(1921年11月)に「「〈十五少年〉漂流記の漂流」とあるのが、この作品のことを「十五少年漂流記」と呼んだ初見であることにも注意しておきたい。ただし本来のタイトル(十五少年の漂流)を変更しようとしたというよりは、原稿を落とすことを「漂流」と言いたいがために、「十五少年の漂流の漂流」では意味がわからなくなるので、便宜的に「記」の字を補っただけであろうから、こちらは(一定の留保つきの)初見例としておきたい。
★『海国少年』の出版年については、田中久徳「旧帝国図書館時代の児童書―歴史と課題―」『参考書士研究』48号(1997年10月)の表8「戦前期の代表的児童雑誌の所蔵状況」を参照した。なお現存する本文の冒頭には、「十五少年の漂流/富士川海人」とあるのみなので、富士川氏単独の編著として発表されたようにも見えるが、『海国少年』5巻10号(1921年10月)裏表紙の目次に「十五少年の漂流(海洋小説)/シユールベルヌ作/富士川海人訳」とあることから、初めからベルヌ作品の翻訳として発表されていたことがわかる。今後「十五少年の漂流」初回発表分が発見されれば、森田思軒訳との関係など、より明確な編集意図がわかる可能性もあるので、気長に調査を続けたい。

 

2024年1月1日月曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (1)

原著(フランス語)の成立と、最初期の英語訳

 フランスの小説家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-2/8~1905-3/24)が、60歳のときに執筆した小説二年間の休暇 Deux Ans de Vacancesは、フランスの編集者ピエール=ジュール・エッツェル(Pierre-Jules Hetzel, 1814~1886)が1864年に創刊した文学雑誌『教育娯楽雑誌 Le Magasin d’éducation et de récréation 』の第47巻553号~48巻576号(1888-1/1~12/15)に24回に分けて掲載された。単行本は、同(1888)年6月18日と11月8日に2分冊(351+342頁)の普及版が、同年11月19日に1冊(469頁)の豪華版(挿絵92枚)が、J・へッツェル社(J.Hetzel )から刊行された。挿絵はフランスの画家 レオン・ベネット(Léon Benett, 1839~1916)が担当した。

 初出雑誌の掲載巻号、発行年月日と対応する章及び挿絵の枚数は以下の通り。

  ①第47巻553号(1888-01/01発行)⇒第1章〔挿絵4枚〕
  ②第47巻554号(1888-01/15発行)⇒第2章〔2枚〕
  ③第47巻555号(1888-02/01発行)⇒第3章〔3枚〕
  ④第47巻556号(1888-02/15発行)⇒第4章〔3枚〕
  ⑤第47巻557号(1888-03/01発行)⇒第5章〔3枚〕
  ⑥第47巻558号(1888-03/15発行)⇒第6・7章〔3・3枚〕
  ⑦第47巻559号(1888-04/01発行)⇒第8章〔3枚〕
  ⑧第47巻560号(1888-04/15発行)⇒第9・10章〔1・4枚〕
  ⑨第47巻561号(1888-05/01発行)⇒第11章〔3枚〕
  ⑩第47巻562号(1888-05/15発行)⇒第12章〔4枚/地図1枚〕
  ⑪第47巻563号(1888-06/01発行)⇒第13・14章〔3・0枚〕
  ⑫第47巻564号(1888-06/15発行)⇒第14(承前)・15章〔3・2枚〕
  ⑬第48巻565号(1888-07/01発行)⇒第16章〔5枚〕
  ⑭第48巻566号(1888-07/15発行)⇒第17章〔4枚〕
  ⑮第48巻567号(1888-08/01発行)⇒第18章〔3枚〕
  ⑯第48巻568号(1888-08/15発行)⇒第19章〔4枚〕
  ⑰第48巻569号(1888-09/01発行)⇒第20・21章〔1・3枚〕
  ⑱第48巻570号(1888-09/15発行)⇒第22章〔4枚〕
  ⑲第48巻571号(1888-10/01発行)⇒第23・24章〔3・3枚〕
  ⑳第48巻572号(1888-10/15発行)⇒第25章〔3枚〕
  ㉑第48巻573号(1888-11/01発行)⇒第26章〔3枚〕
  ㉒第48巻574号(1888-11/15発行)⇒第27章〔3枚〕
  ㉓第48巻575号(1888-12/01発行)⇒第28章〔2枚〕
  ㉔第48巻576号(1888-12/15発行)⇒第29・30章〔2・1枚〕

挿絵は合計88枚。同年11月19日に刊行された単行本〔豪華版〕の挿絵は91枚という表示があるが、実物を未見のため、具体的な異同は今後の課題としたい。

★雑誌『Le Magasin d’éducation et de récréation 』 についてはインターネット上の【HathiTrust DIgital Library】上に公開されている画像を参照した(ミネソタ大学所蔵本、第47・48巻)。ただし雑誌を半年分ごとに1冊にまとめる際に、もとの各号の表紙、目次などを削除しているため、これらの画像から、各号の刊行日時を確かめることはできなかった。各号の刊行日時については、【Andreas Fehrmann’s Collectopn Jules Verne】上の研究成果[Pierre-Jules Hetzel: MAGASIN D’ÉDUCATION ET DE RECREATION - Übersicht / Résumé / Summary ]を参照した。このページの存在は、【The Internet Speculative Fiction Database】の項目「Jules Verne][Deux ans de vacances]への引用文献によって知った。単行本についての詳しい書誌も、【The Internet Speculative Fiction Database】の情報を参照した。

 フランス語の小説であるが、日本語訳との関連からいえば、森田思軒(もりたしけん)の手になる本邦初訳十五少年(1896年刊行)が、英訳版からの重訳であったことから、最初期の英訳本についての情報も重要である。

 英語訳は、1888年10月から翌89年6月にかけて、太平洋での漂流 ― 男子学生乗組員たちの奇妙な冒険 Adrift in the Pacific ; or, the strange adventures of a schoolboy crew 』という題で、イギリスの宗教叢書協会(Religious Tract Society)が1879年に創刊した児童雑誌『ボーイズ・オウン・ペーパー The Boy’s Own Paper 』の第11巻508号~543号(1888-10/6~89-6/8)に36回に分けて掲載されたのが初出である。英語への翻訳者は不明。ヴェルヌによる原雑誌への掲載が終了する(88-12/15)2ヶ月前に、すでに英訳が開始されていたことは注目に値する。

  ①第11巻508号(1888-10/06発行) ⇒第01章〔挿絵2枚〕
  ②第11巻509号(1888-10/13発行) ⇒第01章(承前)〔1枚〕
  ③第11巻510号(1888-10/20発行) ⇒第02章〔1枚〕
  ④第11巻511号(1888-10/27発行) ⇒第02章(承前)〔2枚〕
  ⑤第11巻512号(1888-11/03発行) ⇒第03章〔3枚〕
  ⑥第11巻513号(1888-11/10発行) ⇒第04章〔3枚〕
  ⑦第11巻514号(1888-11/17発行) ⇒第05章〔3枚〕
  ⑧第11巻515号(1888-11/24発行) ⇒第06章〔4枚〕
  ⑨第11巻516号(1888-12/01発行) ⇒第07章〔3枚〕
  ⑩第11巻517号(1888-12/08発行) ⇒第08章〔3枚〕
  ⑪第11巻518号(1888-12/15発行) ⇒第09章〔1枚〕
  ⑫第11巻519号(1888-12/22発行) ⇒第10章〔4枚〕
  ⑬第11巻520号(1888-12/29発行) ⇒第11章〔2枚〕
  ⑭第11巻521号(1889-01/05発行) ⇒第12章〔3枚〕
  ⑮第11巻522号(1889-01/12発行) ⇒第12章(承前)〔2枚〕
  ⑯第11巻523号(1889-01/19発行) ⇒第13章〔3枚〕
  ⑰第11巻524号(1889-01/26発行) ⇒第14章〔3枚〕
  ⑱第11巻525号(1889-02/02発行) ⇒第15章〔2枚〕
  ⑲第11巻526号(1889-02/09発行) ⇒第16章〔4枚〕
  ⑳第11巻527号(1889-02/16発行) ⇒第17章〔4枚〕
  ㉑第11巻528号(1889-02/23発行) ⇒第18章〔4枚〕
  ㉒第11巻529号(1889-03/02発行) ⇒第19章〔3枚〕
  ㉓第11巻530号(1889-03/09発行) ⇒第20章〔1枚〕
  ㉔第11巻531号(1889-03/16発行) ⇒第21章〔2枚〕
  ㉕第11巻532号(1889-03/23発行) ⇒第22章〔2枚〕
  ㉖第11巻533号(1889-03/30発行) ⇒第23章〔2枚〕
  ㉗第11巻534号(1889-04/06発行) ⇒第24章〔2枚〕
  ㉘第11巻535号(1889-04/13発行) ⇒第24章(承前)〔2枚〕
  ㉙第11巻536号(1889-04/20発行) ⇒第25章〔4枚〕
  ㉚第11巻537号(1889-04/27発行) ⇒第26章〔3枚〕
  ㉛第11巻538号(1889-05/04発行) ⇒第27章〔2枚〕
  ㉜第11巻539号(1889-05/11発行) ⇒第27章(承前)〔2枚〕
  ㉝第11巻540号(1889-05/18発行) ⇒第28章〔1枚〕
  ㉞第11巻541号(1889-05/25発行) ⇒第28章(承前)〔1枚〕
  ㉟第11巻542号(1889-06/01発行) ⇒第29章〔2枚〕
  ㊱第11巻543号(1889-06/08発行) ⇒第29章(承前)〔2枚〕

最終章のほかは原著と同じ章立てで、原著と同じくレオン・ベネットの挿絵を同じ数(88枚)収録してある。おおむね原著の構成を忠実に伝えているが、後半をこえたあたりから文章の省略が目立つようになり、最終29章は原著の29+30章を一章に圧縮してある。編集方針に一貫性を欠くところがあり、完訳とはいえない。ただその後の英訳版(単行本)と比べると、情報量は最も多いようである(単行本をまだ手元に置けていないので、ほぼ頁数による推測。詳細な校合は今後の課題とする)。

★雑誌『The Boy’s Own Paper 』については、インターネット上の【HathiTrust DIgital Library】に公開されている画像を参照した(カリフォルニア大学所蔵本、第11巻)。1年分の雑誌を1冊にまとめて刊行する際に 『 The Buy’s Own Annual 』と改題されている。

 英語訳の単行本は、1889年2月16日に、アメリカの「George Munro」社から「Seaside Library Pocket Edition」の1冊(260頁)として二年間の休暇 A Two Years Vacation と題して刊行されたのが初出である。英語への翻訳者は不明。原題に近い書名を採用し、上記の雑誌(英訳版)の掲載終了を待たずに(全36回中20回まで掲載中)刊行されていることから、イギリス版とはまったく別に企画された翻訳出版と推測される。ついで1889年11月に、イギリスの「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington」社から太平洋での漂流 Adrift in the Pacificと題して刊行された1冊(293頁)が続く。こちらも英語への翻訳者は不明。この版は、雑誌(英訳版)の掲載終了後、5ヶ月をへて刊行された同じ題名の1冊であり、雑誌原稿を単行本としてまとめ直した可能性が高いが、単行本を未見のため、詳しい検討は今後の課題としたい。このイギリス版は、1892年に「Sampson Low, Marston, & Company」社から2冊(151+142頁)に分けて再刊されている他、何度か再刊されているようであるが、詳しくはこちらも調査中である。
★初期の英語訳の単行本は、カナダのヴェルヌ収集家Andrew Nash 氏のホームページ【julesverne.ca】において、表紙の写真を確認した。刊行日時についての情報は、【The Internet Speculative Fiction Database】の項目「Jules Verne][Deux ans de vacances]を参照したが、こちらの典拠は、Stephen Michaluk, Jr. & Brian Taves 両氏編『ジュール・ベルヌ百科事典 The Jules Verne Encyclopedia 』(Scarecrow Press、1996年5月)による。

 一つ気になるのは、【Internet Archive】上に、1889年に 「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 」社から刊行されたという 『Adrift in the Pacific 』 の写真版(ニューヨーク公共図書館所蔵)がアップされていることである(2013年6月公開)。これが上記の1889年11月刊行版と同一のものであれば、研究上大変便利だったのであるが、実際の映像をみると、確かに 『Adrift in the Pacific 』 とはあるが、刊行年の表記はなく、出版社も1889年版を刊行した 「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 」 ではなく「Sampson Low, Marston, & Company 」 とあり、これは1892年版刊行時の出版社名に等しい。何より本文176頁で全19章(1~9章〔101頁〕/10~19章〔75頁〕)に圧縮されていることからして、この写真版は、1892年以降に「Sampson Low, Marston, & Company」から刊行された1889年版(293頁)のさらなる簡略版である可能性が高いように思われる。


  以上をまとめると、最初期の英訳本として確認できるのは、
(A) Adrift in the Pacific ; or, the strange adventures of a schoolboy crew  〔太平洋での漂流 ― 男子学生乗組員たちの奇妙な冒険〕(雑誌The Boy’s Own Paper 』第11巻508~543号、1888年10月~1889年6月)  
(B)A Two Years Vacation  〔二年間の休暇〕(George Munro 社、Seaside Library Pocket Edition、1889年2月) 
(C)Adrift in the Pacific  〔太平洋での漂流〕(Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 社、1889年11月)

の3種である。同じ書名を採用していることから(A)をもとに(C)が刊行されたと推測されるが、(A)と(C)では出版社が異なっているので、一応別物と判断しておく。今回残念ながら単行本(B)(C)の本文を参照することができなかったので、今後精査したいと考えている。

 本邦初訳を行った森田思軒が見た英訳本は、単行本『十五少年』の例言で、本書の原題が二個年間の学校休暇であることを指摘していたことから、(B)A Two Years Vacation  〔二年間の休暇であった可能性が高い。このことは波多野完治(はたのかんじ)が、1950年に発表した論文十五少年漂流記の原本(『ニュー・エイジ』〔毎日新聞社〕第2巻7号、1950年7月、71・72頁)において初めて確認された。同論文は翌51年に刊行された波多野完治訳『十五少年漂流記(新潮文庫、1951年11月)の解説の一部に取り入れられているので、誰でも容易に参照できる(現行本〔66刷改版、1990年5月〕では、278~280頁)。

★なお波多野氏は新潮文庫版への解説において、小出正吾(こいでしょうご)氏が、戦後間もなく『十五少年漂流記』の英訳原本の問題について提起されていたことに触れられている。具体的な論文名を挙げていなかったので調べてみると、小出正吾著『十五少年』について(『日本児童文学』第2号、1946年12月、20・21頁)という論文が見つかった。この論文の内容は、小出正吾編『十五少年漂流記(実業之日本社、1948年10月)の「あとがき」(294・295頁)の一部に取り入れられている。同書は「国立国会図書館デジタルコレクション」に映像が公開されているので、容易に参照可能である。