サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル
(Sir Winston Leonard Spencer - Churchill 1874.11-1965.1)の
『第二次世界大戦』(河出文庫)第1巻を読みました。
W・S・チャーチル著/佐藤亮一 訳
『第二次世界大戦1』
(河出文庫、昭和58年12月。新装版、平成13年7月)
本書は、
1948年から1953年にかけて全6冊で刊行された
『第二次世界大戦 The Second World War 』の、
要約版(1959年 全1冊)の翻訳です。
要約版(全1冊)も大著なので、
第1部 不幸への一里塚(1919年-1940年5月10日)
第2部 単独(1940年5月10日-1941年6月22日)
第3部 大同盟(1941年12月7日 以降)
第4部 勝利と悲劇(1943年-1945年)
の4部に分かれています。
この第1部に当たるのが河出文庫版の第1巻です。
原書全6冊版のほうは、
毎日新聞社(昭和24年5月-昭和30年10月)から
全24巻で刊行されていたようですが、
まだ見たことはありません。
近現代史はそれなりに勉強しているつもりだったのですが、
イギリスの立場からみると知らないことばかりで、
読み通すのは多少骨が折れました。
とはいえ、
第二次世界大戦の現場をあずかった
イギリスの首相チャーチルの著書ですから、
知らないなりに一度読み通しておくのは有益でしょう。
第1巻の感想です。
個々の歴史的事実についてすら
初めて知ることがたくさんあったので、
何も語る資格はないのですが、
第一次大戦後のイギリスが、
「平和主義」=絶対善、
「戦争」=絶対悪とする空気につつまれていて、
独裁政権への対応が後手後手にまわっていた状況、
そしてもうこれ以上は、
イギリスそのものの存立が危なくなるまで、
チャーチルを権力の中枢から遠ざけていた状況は、
日本の現状と似たところもあり、
興味深かったです。
国民が、
現実を無視した「平和主義」に毒されやすく、
政治家もその意向を無視しえないのは、
日本に限ったことではないことを学びました。
しかしイギリスの場合、
一時は「平和主義」に流されたにせよ、
ここぞという場面で、チャーチルが再登板しうる下地は残されていたわけですから、
そこは日本との違いとしてよく認識しておきたいと思いました。
国家の安全保障に対する
チャーチルの考え方が示された文章を、
三つほど抜き出してみます。
▽1
「それでは、一体「安全保障」はどこにあったであろうか?
安全保障なくしては、かち得たものすべては無価値に思われ、
生活そのものさえも、勝利の喜びのただなかにありながら、
ほとんど耐えがたいものであった。
いかなる犠牲を払っても、いかなる手段をつくしても、
そしてそれがいかにきびしく過酷であろうとも、
絶対的に必要なものこそ「安全保障」であった。」
(「第1章 勝者の愚行 1919~1929」16頁より)
※「安全保障」についての、基本的な考え方。
ごく当たり前のことを言っているに過ぎないのですが、
今の日本で、政治家が国会でこのような発言をしたら、
とんでもない右翼政治家だ、とレッテルを貼られてしまうはずなので、
この一節は心に残りました。
▽2
「政府は嵐に直面しなければなりません。
政府はあらゆる不当な攻撃に遭遇しなければならないでありましょう。
動機は誤り伝えられるでありましょう。
また誹謗も受け、戦争屋と呼ばれるでありましょう。
あらゆる種類の攻撃が、この国の多くの強力な、
そして極端に騒ぎ立てる勢力によって浴びせられるでありましょう。
政府はどちらにしても、それを受けることになりましょう。
それならば、
なぜわれわれに安全を与えるもののために
戦わないのでありましょうか?
それなら、
なぜ空軍のための用意が十分でなければならないことを
主張しないのでありますか?
もしそれを断固として主張するならば、
たとえいかに批判がきびしく、
またいかにうるさい罵倒に直面しなければならないとしても、
少なくとも次のような満足な結果が得られるでありましょう
―すなわち、イギリス政府はこれによって、
あらゆる問題の中で、政府の最高の責任に対する、
義務を果たしたということを感じることができるでありましょう。」
(「第6章 崩れた空軍の均衡 1934~1935」108頁より)
※マスコミからの不当な攻撃は、
どこの国でもありうることのようです。
でもその中で、政府が「安全保障」の立場から、
正論を断固として主張することがいかに大切なのかが、
よく伝わる文章だと思います。
国家の安全保障の問題は、
政府がになうべき最高の義務であって、
その責任を果たす立場にいるものが、
あらゆる不当な攻撃、誹謗中傷に耐えなければならないのは、
当然だとする気構えは、さすがチャーチルだと思いました。
ただしこの言葉が、
当時のイギリス国民、政府に受け入れられたわけでないことも、
注意しておくべきだと思います。
日本に限らず、
正論はなかなか受け入れられないようです。
▽3
「もし流血を見ずして容易に勝ち得るときに
正義のために戦わないならば、
もし勝利が確実で
余りにも犠牲が多くないときに戦わないならば、
すべてが不利で生存も危いときにのみ
戦わなければならない羽目に追い込まれるかもしれないのだ。
あるいはそれ以上に悪い場合さえあるかもしれないのだ。
しかし、勝利の希望がないときでも、
戦わねばならないときがあるかもしれない。
それは、奴隷として生き長らえるより、
むしろ死を選ぶことがましなときである。」
(「第15章 プラハ、アルバニアとポーランドの保障」247頁より)
※先が見通せたチャーチルにとって、
すべてが不利な状況に追い込まれたあとで、
戦わなければならなかったのは、
ある意味不本意でもあったでしょう。
最後の「勝利の希望がないときでも、
戦わねばならないときがある」との言は、
武士道の志となんら変わる所がないようにも感じました。
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