梟の森―天然記念物の動物たち
畑正憲著『梟の森 ―天然記念物の動物たち』
(角川書店、昭和53年6月。角川文庫、平成5年5月に再録)
※「白鳥の里」
「羚羊の丘Ⅰ・Ⅱ」
「丹頂の野Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」
「梟の森Ⅰ・Ⅱ」の4編8章を収録。
「白鳥の里」の1章は、
新潟県阿賀野市水原地区にある
「瓢湖(ひょうこ)に飛来するハクチョウ」についてのルポです。
瓢湖は江戸時代初期、
寛永16年(1639)に完成した人造湖です。
昭和29年(1954)に、
吉川重三郎氏が
全国で初めてハクチョウの餌付けに成功したことから、
同年3月に
「水原のハクチョウ渡来地」として、
国の天然記念物に指定されました。
吉川重三郎氏の長男、
吉川繁男氏への取材を基軸とし、
昭和50年代(1970-)はじめの、
瓢湖におけるハクチョウと日本人との関わりの様子が描写されています。
吉川繁男著『瓢湖 白鳥物語』
(三省堂、昭和50年)が引用されていましたので、
近々読んでみたいと思います。
何だか切なくなる感じの文章ですが、
昭和50年代の世相を反映しているのかもしれません。
「羚羊の丘Ⅰ・Ⅱ」の3章は、
昭和9年(1934)に国の天然記念物、
昭和30年(1955)に特別天然記念物に指定された
「ニホンカモシカ」についてのルポです。
昭和26年(1951)に設立された
長野県大町市立
「大町山岳博物館」で、
昭和32年(1957)に保護されて以来、
日本のカモシカ飼育生存最長記録を更新し続けていた
岳子(たけこ)について、
博物館で飼育を担当していた
千葉彬司(ちばはんじ)氏への取材を基軸として、
ニホンカモシカと日本人との関わりが描かれています。
取材年月日を明記していませんが、
取材後一ヶ月と経たぬうちに、
5月14日付けの毎日新聞で、
岳子の死を知った旨記されていますので、
昭和52年4月の取材であったと推定できます。
千葉氏の著書として、
『カモシカ日記』(毎日新聞社、昭和47年)を紹介されていました。
他にも、
『カモシカ物語』(中公新書、昭和56年4月)
『北アルプス動物物語 ―山岳博物館長とウンコロジーと』(山と渓谷社、平成5年11月)
があるようなので、近々どれか読んでみようと思います。
※岳子の死亡日時については、
インターネット上に公開されている、
『大町市統計要覧2005』所収の市史年表を参照しました。
「丹頂の野Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」の3章は、
昭和10年(1935)に繁殖地も含めて国の天然記念物に、
昭和27年(1952)に「釧路のタンチョウ」として特別天然記念物に、
昭和42年(1967)に(地域を定めずに)種として特別天然記念物に指定された
「タンチョウ」についてのルポです。
北海道釧路市で
昭和33年(1958)にできた
「釧路市丹頂鶴自然公園」で、
丹頂鶴の研究に携わり、
捕獲された野性の鶴の飼育、繁殖、
野性の雛の飼育を行い、
昭和46年(1971)に人工孵化と人工育雛を成功させていた
高橋良治氏への取材をもとに描かれています。
のちに出版された高橋氏の著書として、
『鶴になったおじさん』(偕成社、昭和63年12月)
『鶴になった老人 ―丹頂鶴の恩返し』(角川書店、平成22年5月)
があるようなので、近々手に入れ読んでみたいと思います。
「梟の森Ⅰ・Ⅱ」の2章は、
昭和46年(1971)に国の天然記念物に指定された
「シマフクロウ(指定名はエゾシマフクロウ)」についてのルポです。
翼を広げると180センチにもなる
日本最大のフクロウと言われると興味がわいてきますが、
本書の執筆時(昭和50年代)には、
姿を目にすることがかなり困難であったようです。
他人の目撃談、自身の失敗談をおりまぜながら、
根室市を流れる別当賀川河口での、
ご自身の目撃の記録を基軸に描かれています。
本書が執筆されてから、
もう30年以上過ぎていますが、
今も絶滅こそしていないものの、
実際にめったに目撃されない状況は続いているようです。
どの章も興味深く、楽しみながら読み進めることができました。
お次は
『馬の岬 ―天然記念物の動物たち』(昭和54年)
に進みます。
※Wikipediaの「天然記念物」
「鳥類天然記念物一覧」「哺乳類天然記念物一覧」
「瓢湖」「オオハクチョウ」「ニホンカモシカ」
「タンチョウ」「シマフクロウ」の各項目を参照。