松原泰道(まつばらたいどう)著
『釈尊のことば 法句経入門』
(祥伝社新書、2010年3月。初出は1974年)より。
※印は栗木による。
※なぜ仏教かといえば、
私にとって一番近くにある宗教が、仏教(浄土宗)であるにもかかわらず、
仏教と向き合う機会がほとんどないまま今に至っているので、
その中身をよく知りたい、と思ったのがきっかけです。
日本人にとっての仏教、
私にとっての仏教とは何なのか、を考える場合、
松原泰道氏の一連の著作は外せないように思われました。
松原氏は臨済宗の方なので、
その点は考慮しつつ、
現代の日本人にとって分かりやすい言葉で、
仏教をどう理解したのか、真剣に受け止めてみたいと思っています。
「『法句経』とは、
パーリ語のダンマパダ(Dhammapada)を漢訳した経典の名で、
“真理のことば(法句)”の意味です。
パーリ語は、
釈尊が平素用いた古代インドの俗語の一つで、
釈尊の晩年には聖典要語となりました。
(中略)
釈尊が、
このパーリ語で語った四二三編の詩句を、
ダルマトゥラタ(二世紀におけるインドの仏教学者)が選集したのが、
いま読まれている法句経とされています。」3
一章 苦諦(くたい)-人生を苦しくする八つの原因
「『すべては無常なり』と
知恵にて観(み)る人は
よく苦をさとるべし
これ 安らぎにいたる道なり〔二七七〕」20
「『すべてのものは苦なり』と
よく知恵にて観(み)る人は
この苦をさとるべし
これ 安らぎにいたる道なり〔二七八〕」20
※苦しさ、というものから、
人はのがれることができません。
その現実を、ありのままに受け入れ、
どんなときに苦しさを感じるのか、
苦しさのもとになるものを、
少し突きはなしたところから、
考えなおしてみることが、
苦しさが少なく、安らぎの多い
豊かな心を手に入れる方法だということなのでしょうか。
四十が近づいて来て、何となくわかるようになって来ました。
〈八苦①〉生まれ、生きることの苦しみ-生苦(しょうく)
「人に生まるるは難(かた)し
いま 生命(いのち)あるは難し
世に ほとけあるは難し
ほとけの法(おしえ)を聞くは難し〔二八二〕」26
※生まれることが、
苦しみにつながることもあります。
願望からいえば、
生まれることは大きな喜びに包まれていてほしいのですが、
現実を直視すれば、生まれることが、
時に大きな苦しみに結びつくこともあります。
でもしかし、だからどうするのか。
救いがあれば幸いですが、
救いがないこともあります。
※ヘレン・ケラー女史の
「子は生まれてくるとき、親を選べない」
という言葉を受けて、
「親も子を選ぶ自由がない」
と述べられているところは考えさせられました(32頁)。
〈八苦②〉老いることの苦悩-老苦(ろうく)
「たとい 百歳の寿(いのち)を得るも
無上の法(おしえ)に 会うことなくば
この法(おしえ)に会いし人の
一日の生(しょう)にも 及ばず〔一一五〕」34
※年をとる苦悩。
ありがたいことに、
まだそれほど切実ではありません。
しかし、どんなものかは、
何となくわかるようになって来ました。
頭をつかうことが好きで、
頭をつかう仕事をしているからでしょうか、
肉体の衰えは徐々に感じはじめていますが、
頭はまだまだ大丈夫です。
頭をつかう部分で、
明らかな衰えが自覚できるようになって来ると、
それはかなりの苦痛になるでしょう。
〈八苦③〉病(やまい)にふせることの苦しみ-病苦
「この世はつねに
燃えさかるを
何の笑い 何のよろこびぞ
おん身は
いま幽冥(やみ)につつまれたるに
何ぞ光を求めざる〔一四六〕」39
「病気の持つ三功徳
一、生命力の自覚、
病気の抵抗力としての健康性や、
精神の抵抗力が自覚できる。
二、自然と人生に対する繊細な感情が磨かれる。
心を柔軟にする訓練の絶好機で、
もののあわれを知ることができる。
三、何ものかに祈ろう、
と思い立つ心が生じる。」40
(評論家の故亀井勝一郎氏)
※病院にかかりきりで、
まともに勉強できなかったり、
仕事できなかったりしたことはないので、
その点はありがたいのですが、
あちこちところどころガタが来て、
少しずつメンテナンスをする必要はでてきました。
ただ全体としてみれば、
病の苦しみについて迫真をもって語るには、
まだまだ元気だと思います。
元気に産んでくれた
両親に感謝します。
〈八苦④〉死の恐怖と苦しみ-死苦(しく)
「子たりとも
父たりとも
縁者たりとも
死に迫られしわれを
すくうこと
能(あた)わず〔二八八〕」44
『生(しょう)を明(あき)らめ、
死を明らむるは、
仏家一大事の因縁なり』44
(道元禅師)
※この平和に時代に生を得て、
死への恐怖も、
それほど切実なものではありません。
御先祖様に感謝です。
恐らくもう少し年をとって、
死の足音が近づいてくると、
切実になって来るのだと思います。
年老いて死ぬ以外では、
あまり死への恐怖を感じなくて住むのは、
たいへんありがたいことです。
感謝、感謝。
0 件のコメント:
コメントを投稿