2011年7月23日土曜日
マザー・テレサ『日々のことば』10月より
ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より。
※印は栗木によるコメントです。
◆10月3日
「今日、
世界のあらゆる苦しみは、
家庭から始まるということが、
ますますよくわかります。
今日、わたしたちは、家庭がお互いに顔を合わせたり、
話し合ったり、楽しむ時間すらないありさまです。
ましてや子どもたちが、期待していること、
夫が妻から、妻が夫から期待していることを与えるためには、
ほとんど時間がないのです。
ですから、ますます家庭から離れていき、
ますますお互い同士のふれあいが少なくなっていくのです。」316
※家庭が第一。
家庭あっての仕事。
そう考えたい。
ふつうは仕事をしていなければ
食べていくことができないわけで、
仕事第一に考えてしまいがちですが、
支え合う家族がいての仕事なので、
家庭が第一であることは
忘れないように肝に命じておきたいです。
人はひとりでは生きていけないわけですから、
一番守るべき存在が家庭であることは、
絶対的に肯定したいと思います。
◆10月4日
「富やお金は、わたしたちを豊かにはしません。
わたしたちを豊かにするのは、
わたしたちのそれらに対する態度なのです。
神はわたしたちに、分かち合うために、
物を与えてくださいます。
取って置くために、与えてくださるのではありません。
わたしたちが、分かち合うことを身につければつけるほど、
互いにもっとわかり合うようになり、
愛し合うようになります。
そして、もし、わたしたちが互いに愛し合うようになれば、
わたしたちが持っている喜びをこそ、
分かち合うことができるようになるでしょう。」317
※お金を得る喜び、
物を得る喜び、だけで終わることなく、
私がこれまで得てきた何がしかのことを
誰かにおすそ分けすることで、
少しでも人さまのお役に立てたら、いいなと思います。
起業の第一歩も、
誰かのために、何の役に立つのか、
考えるところから始めたい。
お金もうけが先に来ると、
大切なものをいろいろ見落とすことになりがちです。
お金を得ることは、
それ自体決して悪ではありません。
お金を得ることで、
衣食住、必要なものを買い、
日常の生活を成り立たせることができるわけですから、
正しい使い方さえできるなら、
お金を嫌い、遠ざける必要はまったくないのです。
◆10月7日
「喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛、
神は、喜んで与える人を愛されます。
わたしたちが、
神と人々に感謝の心を表すいちばんよい方法は、
どんなことでも喜んで受け入れることです。」320
※日々朗らかでいることは、
自分の気の持ちようで、できることです。
なれるまでは簡単でないことかもしれませんが、
なれてしまえば、そんなに難しいことではありません。
日々ほんわかと明るい気分で生きられたら、
とりあえず毎日がほどほどに幸せです。
それでまあ十分かな、と思って生きています。
お金を得ることそれ自体より、
自分の気持がどうなのかが大切です。
◆10月8日
「わたしたちの贈り物に、
どれだけ愛を注いでいるでしょうか?
たとえ、どんなにお金持ちであっても、
愛を与え、愛を受け入れることのできない人は、
貧しい人の中でも、もっとも貧しい人です。」321
※人さまと、福を分け合う心。
まずは家族に愛を注ぐことから。
それは当然のことですが、
長い年月過ごしていると、
家庭から愛情という側面が消え失せているのに、
気がつかないことがあります。
まずは自分の家庭から。
そして自分の心に余裕がある範囲で、
外へ外へと愛の対象を広げていけたらいい。
あくまで自然に。
無理をして、義務にかられて、
というのはかえって良くないと思います。
◆10月17日
「沈黙は、神と、そしてお互いとを結びつける根っこです。
沈黙の中でこそ、わたしたちは、
すべてのことを喜んで行うのを可能にする
神ご自身のエネルギーで満たされるのです。
沈黙の祈りの中で、
そのエネルギーを受ければ受けるほど、
活動的な生活の中で、
もっと人々に与えることができるのです。」330
※沈黙の効用。
癒しの効果。
私はどちらかといえば、
しゃべらない人間ですが、
ここでいう沈黙とは、無口で、
という意味ではないでしょう。
しゃべらなくても、
頭の中でぐるぐる言葉がうごめいて、
思索にふけっているのでは
沈黙の効用はありません。
頭の中で言葉がめぐるのを一切止めて、
ひたすら何も考えないで
祈りを捧げているような状態、
が沈黙です。
瞑想の効用は、
やってみるとわかります。
わりと神経が疲れる仕事をされている場合は、
取り入れられると強いです。
◆10月18日
「親切で間違いを犯すほうが、
不親切で奇跡を行うより、ずっとよいことです。
自分自身に優しく、
バランスを保って、
自分自身をコントロールすることは、
とても重要なことです。
もしも、わたしたちがお互いに、
穏やかで調和のとれた生活をしていたいなら、
言葉に気をつけなくてはなりません。
特に、貧しい人たちと接するときは、
彼らと話すことについて、
十分気をつけていなければなりません。」331
※まず親切に。
それには相手の立場にたって、
言葉に気をつける。
実践するのは難しいことですが、
日々の目標として取り入れられるようにしたいです。
そして、間違うことを極端に恐れない。
前向きに努力していれば、
どうしても間違いがおきます。
それを日々反省して、
明日に向かっていける
元気な日常を送りたい。
◆10月31日
「謙虚さはすべての徳、純潔さ、慈愛、忠実の母です。
謙虚のうちに、
愛は本物で、献身的で、熱烈なものになるのです。
もし、あなたが謙虚ならば、
ほめ言葉も不評も、あなたを害するものはありません。
あなたは自分が何者なのかを知っているからです。
もし、あなたが避難されても、失望することはありません。
もし、あなたが聖人と呼ばれたとしても、
いい気になることはないでしょう。」344
※謙虚に生きること。
そのように見えるかどうか。
自分はそのように生きているつもりでも、
意外にまわりの人びとには傲慢にうつっていることは、
少なくありません。
私のようなものを、
生かしていただける奇跡に感謝して、
謙虚に、謙虚に、
と日々お祈りすることを忘れずにいたいです。
謙虚に、謙虚に。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿