2011年7月26日火曜日

鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』 3章

鈴木鎮一『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』
(講談社現代新書、1966年8月)
※印は栗木によるコメントです。

◆3章 非凡への道

非才を嘆くは愚」76

※非才を何とも思わず、
 あっさり諦めてしまうよりは、
 まずは大いに嘆いたほうがよい。


なんというみじめなことだ。
 才能もないのに、毎日努力をしている。
 さきの見えているこんな努力が、
 いったいなんの価値があるのか。
 自分には、内部からわき出る才能がないのだ。
 この辺で投げ出してしまうのが、
 おのれを知ることではないか。
』77

※時にはそう思うこともある。

 みな自分なりの壁につき当たって、
 もがき苦しんで、
 どのようにして、
 その壁を乗りこえていくのかに、
 その人の真価が問われているのだと思います。
 
 苦しみに対して、
 直視しないで、
 かわして、かわして、
 生きていく生き方もあります。

 時にはやはり、
 そうしなければ
 とても生きていられないほどに
 苦しいこともあるわけで、

 正解がどこにあるのかは、
 一概に言えないはずですが、

 私はどちらかと言えば、
 壁を乗りこえようと努力する、
 その過程を大切にする生き方を
 選んで生きていると思います。


才能はあるものではない。
 才能はつくるものだ。
』77

※学力もそう。
 学力がはじめからそこにある人などいない。
 学力は作るものです。


たとえ自分に才能がなくても、
 一個の人間として、
 自分の内面的な生活を築くために、
 その歩みはおそかろうと、
 一歩一歩自分を育てていかなければならない。
 その努力を捨てることはできない。
」78

※結果も大切だが、
 努力の過程はもっと大事だと、
 思えるようになると、

 自分なりの努力が
 わりと長続きするようになると
 思います。

 結果はとても大切ですが、
 一番大切なのは
 結果に至るまでの過程を
 自分がどのように努力したのかです。

 結果には、運もあります。
 でも、努力するかしないかは、
 私自身の問題です。

 そう考えられるようになってから、
 時々の不運に、
 あまり嘆かなくなりました。

 評価の座標は、
 あくまで私自身の心にあるからです。


わたしは急がなかった。
 しかし、わたしは休まなかった。
 休みなく努力を続けた。
 そしてそれが、
 貼り合いと静かな心とを与えてくれました。
」78

※努力をし続ける日々は、
 それだけで結構楽しいものです。

 少しずつでいいから、
 絶え間なく、

 時には休んでも、
 いいでしょう。

 ああ、これじゃだめだな、
 と思い直して、また、努力をはじめる。
 
 そんな生活は、楽しいものです。


科学は、
 わからないことはわからないとするものでした。
 それならば、
 科学を口にするほどのひとは、
 わかりもしない”生まれつき”などという、
 人間の才能に関する考え方はやめなければならないはずです。
」79

※「生まれつき」勉強が出来ないんだ、
 と諦めてしまっては、何も始まらない。
 その人なりの努力を続けて、
 その人なりの結果をひとつずつ積み上げたい。

 でも、
 自分で諦めている人の心に火を灯すことは、
 とてもむつかしいことです。

 こちらも諦めない、
 何が何でも諦めない、

 君なら出来るんだ、というメッセージを
 くり返しくり返しくり返し
 伝え続ける。

 それしかないのかなあ、
 と思っています。


子どもの短所を“生まれつき”として放置せず、
 これを訓練して逆に長所とすることも、
 十年計画ならばできる。
 十年、そのことをめざして怠らないならば、
 だれでもその能力を開発できる。
 わたしはそう信じます。

 いや、一年でも、
 それをめざしてやり続けることができるならば、
 短所は変じて長所となるでしょう。
 十年続ければ非凡のひととなる。
 そこには、自分の生命に対して、
 その大きな活動力を発揮させる訓練が行なわれるからです。
」85

※先を見つめて、努力を続けよう。

 今の私は、短所はほどほどに修正し、
 長所は際限なく伸ばしていけたらいいな。
 と思っています。

 しかも十年計画で、となると、
 十年にわたって、
 親から自分の短所を指摘され続けることは、
 精神衛生上あまりよろしいことではないでしょう。

 私は、
 生徒の短所が目につく時は、
 まず長所が見つかるまで待って、
 それからその長所をほめる余裕が出てきてから、
 どうしても必要であれば、
 短所にもう一度目を向けるようにしています。

 長所と短所とはコインの裏表で
 つながっていることも多いので、
 長所を伸ばしているうちに、
 いつの間にか短所が目立たなくなっていることも
 多いです。


短所は限りなくあります。
 わたしたちの一生は、死ぬまで、
 自分の短所を長所に転じる努力の期間ともいえましょう。
 しかしこれはおもしろい仕事です。
」86

※短所に悲観することなかれ。

 自分の短所を他人につつかれて、
 うれしく思う人はいないでしょう。

 でもその短所とじっくり向き合って、
 変えていくことは、実際問題として難しいでしょう。
 変えられないから短所なんだ、と。

 わたしは短所と長所はつながっているんだ、
 と考えて、
 長所をひたすら伸ばしていくことに、
 心を砕いています。

 長所がますますのびて、
 自分に自信がついて来ると、
 短所はいつの間にか、
 とても小さなものになっているものです。

 長所をのばすのは、
 楽しいことなので、
 長続きするのも良いところです。
 人間、いやなことの努力は続きにくいものです。


くり返し、くり返せ」86

※勉強の基本。
 いや、人生の基本かもしれません。


自分の能力を育てるのはだれか。
 生まれつきで能力は育っていくのではない。
 それは自分だ。
 みんな、自分が自分を育てるのだ。

 自分の能力をつくろうとしないで、
 能力がないと嘆くのをやめよ。
」88

※自分でがんばる。
 自分の能力を悲観しない。
 そんな暇があったら、
 日々の努力を怠らず、
 自分なりの能力を一歩一歩高めていけばよい。

 たとえ自分なりでも、
 自分の能力が少しずつ身についていると
 実感できれば、
 だんだんと他人のことは気にならなくなるものです。


いかなる能力も、
 生まれつきで発揮されることはない。
 自分で育てる努力をするとき、
 能力はつくられていく。
 つくるものは自分自身だ。
」89

※生まれつきではない。
 どんなに素質のある子でも、
 生まれた後の、
 気が遠くなるような努力の積み重ねがあってはじめて、
 その素質が発揮されるのである。
 自分で、自分の能力を育てていくのだ。


身につく―
 それは、身につくまで努力し、
 くり返していくことによって達成できる―。
」89

※くり返し、くり返し。
 身につくまで諦めないこと。
 その努力ができる子に育てること。

 学校に上がるまでと、
 小学校まで、が一番の勝負どころだと思います。

 生きる姿勢として基本だと思います。


やり抜こう―
 そう決心するひとはたくさんいます。
 だれでも決心することはできる。
 しかし、ほんとうにやり抜くひとは実に少ない。

 決心はしたがやらない。
 やっても、まもなくやめてしまう。
 それこそ、多くの人が経験して、
 よく知っていることです。
 どんなことでも、
 成功する道、ことの成否は、結局、
 やり抜くかどうかだけにかかっているともいえるでしょう。
」92

※やらなければ、できません。
 決めたとおりに進んでいかないのは
 ふつうにあることなので、
 決心は、必ずしも必要ないのかもしれません。

 間違っているかどうかは、
 とりあえず少し始めてみてからわかることなので、
 あまりたいそうな決心をしてしまうと、
 引込みがつかなくなることもあるでしょう。

 とりあえず少しだけ始めてみて、
 これはできる、と思ったら、
 やり抜く決心して、
 結果が出るまでしつこく
 くり返していく覚悟が必要になるのでしょう。


急ぐべからず、休むべからず」94

※急ぐと何ごともうまくいきません。
 休むとせっかく努力して身につけた能力が、
 流れさってしまいます。

 急がず休まずは、
 能力を身につけるときの基本だと思います。


決心し行動することは希望をもって生きることです。
 高く大きな山を望むことです。
 困難はありましょう。
 しかし失望はありません。
 だれも、一足飛びにすぐ頂上には達せられない。
 そして、登るからには一歩一歩近よらなければなりません。

 急ぐべからず、これが原則です。
 急いで倒れてしまってはなんにもなりません。
 休むべからず。これも原則です。
 だれがなんといおうとも、
 休まず急がず黙々と歩を運んでいれば、
 必ず行き着いてしまいます。
」94

※自分の能力を少しずつ高めつつ生きることは、
 大人になっても楽しいものです。

 子どものうちに、
 それなりの小高い山のいただきを目指して、
 急がず、休まず一歩一歩近づいていく生き方を、
 身につけられるといいな。

 学校での勉強が終わってから役に立つのは、
 むしろそういった生き方の智恵だと思います。

 自ら学ぶ楽しさを伝えられたらいいな。

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