2011年10月10日月曜日
スマイルズ 『向上心』 第6章(上)
サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。
※印は、栗木によるコメント。
第6章 人を動かす
Ⅰ
「われわれは勇気ある人たちに負うところが大きい。」214
「ここでとり上げる勇気とは、
真理と義務を重んじるために
あらゆる困難と苦しみに自らすすんで立ち向かう、
内に秘めた静かな努力と忍耐力のことである。」214
※ただ勇気は大切だ、というよりも、
もう一歩踏み込んで、
「真理と義務を重んじるために」
とあることに注意したいです。
無鉄砲につきすすんでいくことが、
勇気なのではありません。
「人間社会において最高の秩序を特徴づけるのは、
真理を求めてそれを発表する勇気、
公平な判断を下す勇気、
誠実であろうとする勇気、
誘惑を退ける勇気、
そして義務を遂行する勇気などに代表される
精神的な勇気である。
このような勇気がまず備わっていなければ、
他の美徳を身につけることはおぼつかない。」214
※さまざまな美徳の土台となるのが
精神的な勇気です。
言われてみると気がつきますが、その通りだと思います。
真理を追求しそれを発表するのにも、
公平に判断を下すのにも、
誠実であり続けるのにも、
誘惑を退けるのにも、
義務をやり遂げるのにも、
すべて勇気が必要です。
自分と自分のまわりにいる人びとを
良い方向にみちびく勇気を持てるようにしたいです。
Ⅱ
「成功は努力に対する当然の報酬であるが、
かすかな成功の見込みすらないのに、
こつこつと根気よく努力し続けなければならないことがよくある。
先の見通しがまったく立たない暗闇の中で種を蒔き、
やがてそれが芽を吹いて根を広げ、
見事な実を結ぶのを夢見ながら、
自分の勇気だけを頼りに生きなければならない。」219
※たった一人で、
先の見通しが立たない中で、
延々と根気強く、努力をし続けるのは、
誰にでもできることではありません。
また、せいぜい七、八十年の人生の中で、
たった一人の努力を、百年も、二百年も続けていくことは、
生物学的に不可能ともいえます。
だからある程度、限度はありますが、
五年、十年くらいはふつうに、
できれば二、三十年くらいの不遇の時期でも、
自分ひとりの勇気を支えに、
乗り切れるようになれるといい。
でもそれを、誰でもが
できて当然だとは思いません。
そんなには強くなれないのがふつうでしょう。
「生きていくうえで必要な勇気の大半は
英雄的な勇気ではない。
歴史に残る勇気に負けない勇気は、
日常生活でも発揮されるものだ。
たとえば誠実さを支える勇気、
誘惑を退ける勇気、
真実を語る勇気、
にせものではない自分自身を貫き通す勇気、
不当に他人の財力を頼らず、
自分の収入だけでつつましく暮らす勇気などである。」220
※歴史上の英雄が示した勇気、
だけが勇気ではない、というのも大切な考え方です。
目の前のさまざまな日常の出来事を
つつがなく乗り切るためにも、
小さなたくさんの勇気が必要になります。
一歩一歩、
目の前の自分の壁をのりこえて行くことも、
その人なりの勇気がなければ
できることではありません。
「この世に存在する不幸と悪のほとんどは、
優柔不断なためか目的意識が薄弱なために生じる。
言葉を変えれば、勇気がないからである。
人はみな、何が正しいのかよく承知している。
それでいて正しいことをする勇気に欠けている場合が多い。
自分が果たすべき義務をよくわきまえていながら、
それを実行に移すためになくてはならぬ
決断力を奮い起こすことをしない。」220
※決断するには勇気がいる。
決断できないのは勇気がないからである。
決断できなくても、
目の前の日々の生活をとりあえず
続けていくことはできるでしょう。
変える必要がないときに、
無理して変える必要はありません。
ただ、明らかに
近々変えないといけないことがわかっていながら、
リスクを怖がって、少しの非難をあびることを怖がって、
二の足を踏みつづけることは、
立場が上になればなるほど、
害は大きなものになるでしょう。
「決断力は自分の立場を固持する力を与える。
もしたとえわずかでも屈すれば、
破滅につながる下り坂に一歩
足を踏み出すことになるだろう。
決断を下すのに、
他人の力をあてにするのは
無意味というよりもっとひどい。
緊急の事態において
われわれは自分の力を信じ、
勇気を持ってことにあたる習慣を
身につけなければならない。」221
※決断力は、
組織の上のほうにいて、
リーダーとして歩いていく人間には
不可欠なものといえるでしょう。
逆にいえば、
組織の下のほうで、
組織の歯車として生きる人間にとって、
自分なりの創意工夫にもとづく決断は、
むしろ上から煙たがられて足をすくわれる
要因になりかねません。
独立して一人で歩いてゆく勇気がないのであれば、
わたしの決断力によって、
所属する組織における立場を危うくすることもある、
と知っておきたい。
「見事に練り上げられてはいるが言葉だけで終わってしまうような目的、
かけ声ばかりで実行されない行為、
いつまで経っても手がつけられない計画 ―
これらはいずれも、
ほんのちょっとした勇気ある決断がなされないのが原因である。
口ばかりで何もしないなら、
黙っているほうがましというものだ。」222
※口先だけなのは、
自分を信じてついてきてくれた方々にも
多大な迷惑がかかってしまう。
それを気にしないのは不誠実である。
有言実行がほんとうは理想であるが、
なかなかそういうわけにもいかないものだ。
私は少なくとも、
無言実行ではあるように心がけています。
五、六十代になって、どこかで
有言実行に切り替えられるときが来るとよいのですが、
このまま黙々と、
目の前のできることを精一杯やり続けて、
老後を迎える、というのでも、
たぶんそれほど悔いは残らないでしょう。
「われわれは自分を貫く勇気を持つべきである。
他人の影であったり、こだまであったりしてはならない。
自分の力を試し、自分の頭で考え、
自分の意見を発表すべきなのだ。
自分自身の考えを練り上げて、
自分だけの信念を築かなければならない。」227
※みんながみんなそうあることは無理であろう。
でも人の上に立つ可能性のある人には、
こうした勇気が不可欠である。
私はたまたま、
そうした人間に生まれたようで、
いくつかの組織の下でうまく生きていくことは、
難しかったようです。
自分で考えて、
自分の足で一歩一歩歩いていくことは、
私にとって、当たり前の基本スタイルです。
でもそれゆえ、あまりこれが
他の人にとっても当たり前のことだと思い込まないように、
気をつけています。
「昔から、
あえて自分の意見をまとめようとしないのは卑怯者、
やろうと思えばできるのにそうしないのは怠け者、
そして自分の意見が何もないのは愚か者だと言われている。」227
※なるほど!
しかし仮に新入社員が
この通りに自分の意見をもって実践しようとしたら、
周りの総スカンを食うでしょう。
逆にもし、
自分で起業しようとするなら、
それはむしろ当たり前のことで、
できなければすぐに廃業するでしょう。
「勇敢に行動するのだが、
一歩歩むごとに勇気が外に漏れてしまう。
決断力と勇気と忍耐力が不足しているのだ。
先の危険を計算し、
チャンスをはかりにかけているうちに
二度とめぐって来ない大事な機会を見逃してしまうのである。」228
※こうならないためには、
若い頃からの、失敗も含めたいくつかの現場の経験が必要でしょう。
いきなり、完璧なリーダーにはなれません。
決断するには勇気が必要だ。
やり遂げるには忍耐力が必要だ。
それなり大変ですが、
そんな生き方が私はとても好きです。
それがすべてではありませんが、
決断する仕事、
責任を背負う仕事が、
私には向いているようです。
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