2011年10月31日月曜日
スマイルズ 『向上心』 第6章(中)
サミュエル・スマイルズ著、竹内均 訳
『向上心』
(三笠書房、知的生きかた文庫。改訂新版、平成23年。初出は昭和62年)
第6章 人を動かす
(承前)
Ⅲ
「どうしても自分の意見を発表して、
対立する立場をとらなければならない場合がある。
同調することが意志の弱さを示すのではなく、
むしろ罪になる時だ。
悪徳には抵抗すべきである。
邪悪なものには泣き寝入りをせず、
打ちのめさなければならない。」228
※自分の意見というものは、
組織の中にいるうちは、
極力おもてに出さないほうが、
まず間違いなく賢い生き方である。
しかるべき時期というものは、
十年に一度も来ない、と心得て、
ふだんは絶対に
本心を明らかにしないことが肝要である。
しかしながら、
たとえ時期を得ないにしても、
反論を唱えてよいときがある。
それは自分が無言の了解を与えることによって、
組織が犯罪に加担する可能性があるときである。
こう読んでみました。
とてもわかりやすい、重要な指摘だと思います。
「世界を正しい方向にリードし、
支配するには、
志操堅固で勇気ある人である。
意志薄弱な人間は何の功績も残さない。
まっすぐな精神を持ったエネルギッシュな人の一生は、
世界を照らす光の軌跡にも似ている。」229
※元気がある、
ということは重要ですね。
私は残念ながら、
それほど元気あふれる人間ではないのですが、
しっかり健康管理をして、
いつもほどほどに元気な私を
見せられるように心がけています。
人さまにできるだけ
よい影響を与えられるように
なれるように心がけてはいます。
「ごく人並みの力しかない平凡な人でも、
活力にあふれた目的意識に刺激されると、
思いよらぬ結果を生むことがあるのだ。」232
※生徒を教えるときの、
とても大切な観点だと思います。
その子のやる気をどうひきだすか。
自分からやる気になるにはどうしたらいいか。
基本は、信じて待つことでしょうか。
北風と太陽の、北風になってはいけません。
とはいえ、できるわけないさ、
と思って、黙って待っていても、
まず上手くいきません。
きっとできる、と本気で信じて、
小さな成功を大げさに褒めて、
何度失敗しても励まし続けて、
一緒に努力していくことが、
教育の基本だと思います。
『世間が与えてくれる保証など、
その多くは空しい一時の夢にすぎない。
自分の力を信じて
価値のある人間になるのが
何よりも安全な道だと、
自分にもわかりかけてきた』
(ミケランジェロ)232
※自分の評価は
自分ですれば良い。
案外、わが子のことを、
その子の目の前で、
ひどく見下げた言い方をする親が多いものです。
親にすら信じてもらえないと、
なかなか自分に自身はもてません。
そんな不安定な状態で、
社会に投げ出されると、
周りの評価に一喜一憂して、
なかなか自分をうまく保てなくなります。
自分の中にちゃんとした価値が定まっていて、
周りが何といっても、
私はこれでいいんだ、
という所に、落ち着けるといいな。
「勇気とやさしさは矛盾するものではない。
それどころか勇気ある行動をとる人は、
男であっても女に負けないほどの
やさしさと繊細な神経を持ち合わせているものだ。
勇気ある人間は、同時にまた寛大な人間にもなり得る。
いや、むしろ自然にそうなってしまう。」233
※勇気が粗暴と結びつかないように。
勇気は常にやさしさに結びついているように。
やさしさが優柔不断と結びつかないように。
やさしさは常に勇気と結びついているように。
勇気とやさしさが隣り合わせになっていることは、
しだいに気がついて来るものですが、
はじめからそう教えておいてもらえると、
粗暴さや、優柔不断に傾くことから、
距離を置けるかもしれません。
Ⅳ
『度量の大きな人間は、
幸運にめぐり合っても不幸にあっても
極端な行動はとらないものだ。
成功したからといって有頂天にならず、
失敗したからといって
立ち直れないほど悲嘆にくれたりもしない。
危険は避けないが好んで求めもしない。
心にかかることがほとんどないからである。
口数は少なくしゃべり方もゆっくりしているが、
必要とあれば思ったことを包み隠さず大胆に発表する。
自分の実力を信じているから
他人の長所をすぐに認める。
侮辱を受けても無視する。
自分や他人についてとやかく語ったりしない。
自分がほめられたり
他人が傷つけられたりするのを好まないからである。
つまらぬことですぐにわめき散らしたりせず、
人の助けを求めたりもしないのだ。』
(アリストテレス)235
※こんな私に、なれたらなと思う。
こうして読むと、二千年前から、
大人の理想像はそんなに変わらないんだな、
と思う。
正直、
江戸時代の武士の心構えですよ、
といわれたら、
その通りだと思ってしまいます。
西洋にせよ、東洋にせよ、
高い価値を置く出来事に、
大きな違いはないように感じる、
とまで言ったら、言いすぎでしょうか。
違いに着目すれば、
違う国で、違う歴史を背負って生きてきたわけですから、
いくらでも違いは見つかるでしょう。
でもこういった道徳的な側面、
何を敬って、何を尊いと考えるのかについて、
人間が共通な価値観を持つことについて、
もっと着目すべきなのかもしれません。
国家の歴史において、
責任ある立場にいる人たちが、
いかなる価値を貴いと考えてきたのか、
じっくる考えなおしてみたい、
と思います。
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