2012年10月8日月曜日

【読了】小川榮太郎 『約束の日 ― 安倍晋三試論』


小川榮太郎 著
『約束の日 ― 安倍晋三試論』(幻冬舎、平成24年9月)

総裁選前に書き終える予定だったのですが、
先に、自民党総裁への復帰が決まりました。

今から5年前、
短命に終わった安倍政権の1年を、
安倍元総理を擁護する立場から、
勢いのある筆致で振り返る、
時宜をえた評論の試みです。

章立ては、

 Ⅰ 安倍晋三内閣発足
 Ⅱ 組閣
 Ⅲ 教育基本法改正
 Ⅳ スキャンダル暴き
 Ⅴ 正面突破の「戦う政治」
 Ⅵ 大臣の死
 Ⅶ 年金記録問題「炎上」
 Ⅷ 孤独な続投宣言
 Ⅸ 健康問題と靖国
 Ⅹ 辞任

となっております。


辞め方が
あまりに不甲斐ないものであったため、
しばらく正当な評価は難しかったと思いますが、

近年の、政治の不甲斐なさとともに、
与党(民主党)の失政をロクに批判しない
マスコミの偏向ぶりをみていると、

安倍元総理が、5年前に、
マスコミの不当に過ぎる激しいバッシングの中で、

どれだけのことを成し遂げていたのか、
改めて考えなおしたいと思っておりました。

本書は良いきっかけとなりました。


   ***

小川氏の判断の基準は、
どちらかの党派に立つというよりも、
人としての「常識」に基づくもので、
早坂茂三氏の田中角栄論に相通じるものを感じました。

小川氏は、安倍元総理の秘書でなく、
長年寄り添って来られたわけでもないので、
まだまだ見方が浅いかな、と思わせられる所もありますが、

嘘によって相手を貶め、傷をつけ、
引きずり下ろさんとする悪意に満ちた
安倍評とは一線を画しており、

特に内政面、教育基本法改正への正当な評価や、
マスコミによる不当に過ぎるバッシングを
わかりやすく整理されている点は、
たいへん参考になりました。



問題があるとすれば、
小川氏が論じられなかった点でしょうか。

内政面への記述の充実ぶりに比べて、
外交面については、
それほど評価すべき成果がなく、
むしろ明らかな失政が目立っていたからか、
記述が弱いように思われました。


安倍元総理を擁護する著述の意図からして
仕方のないことかもしれませんが、

安倍政権の失政についても、
より的確に論じられていたらなお良かったと思います。


一点取り上げておくと、

小川氏は、安倍政権のスローガン
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を高く評価されていますが、

私はこのスローガンは、
意味不明瞭で誤解を招きやすく、
失政の最たるものであったと考えています。



以下その理由


安倍元総理は、
かつて政権のスローガンとして
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を唱えられました。

しかしこのスローガンは、わかりにくい上に、
非常に誤解を招きやすいものであったと思われます。


なぜなら、
 日本の「戦後」=「自由主義体制」
 「戦前・戦中」=「全体主義体制」
という一般的な図式からいえば、

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」

とは、ごくふつうに、

 「戦後体制(=自由主義体制)からの脱却」を意味し、
 「戦前・戦中体制(=全体主義体制)への回帰」を意図する、

極右の扇動的なスローガンだと解釈できるからです。


   ***

戦後の日本が、
総じて「自由主義体制」のもとで、
飛躍的な発展を遂げてきたことは、

一部で、
全体主義的な政策が実施されてきたにしても、
大勢として間違いないでしょう。


同様に、
戦前・戦中の日本が、
総じて「全体主義体制」への強いあこがれのもと、
国家破滅への道を突き進んでいたことは、

ギリギリまで、
自由主義的な体制が生き残っていたにしても、
大勢として誤りないと思います。


つまりごく一般的な、
 日本の「戦後」=「自由主義体制」
 「戦前・戦中」=「全体主義体制」
という見方からすれば、

安倍政権のスローガン
「戦後レジーム(体制)からの脱却」とは、

戦後体制(=自由主義体制)から離脱し、
戦前・戦中体制(=全体主義体制)に回帰することを志す、

極右のスローガンだと見なすのが、
ごく穏当な解釈ということになってしまうのです。



これが明らかな誤解ならまだ良いのですが、
必ずしもそうとも言い切れないのは、

安倍元総理が、総理就任後間もなく、

 自由主義国家・米国から一定の距離を置き、
 全体主義国家・中国におもねる態度を取ることで、

心ある日本国民の大きな失望をまねいた事実を思い出すからです。


前任の小泉元首相が、

 全体主義国家・中国から一定の距離を置き、
 自由主義国家・米国との友好を大いに深めたのと、

真逆の外交を行ったのは、
他ならぬ安倍元総理であったことを忘れてはならないでしょう。


こうした不審な振る舞いも、
戦後体制(=自由主義体制)から脱却し、
戦前・戦中体制(=全体主義体制)へと回帰せんとする、

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を実践したまでだと考えれば、
ふつうに合点がいくのです。


安倍元総理の外交面でのセンスの無さは、
当然批判の対象にされるべきだと思います。

今後、仮に政権奪取が実現しても、再び安易に
「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱えるようであれば、

私には期待よりむしろ、
不安の面が大きくなることを告白しておきます。


   ***

おそらく好意的に解釈すれば、

安倍元総理がいう「戦後体制」とは、
主に、占領体制下において部分的に実施された
全体主義的政策のことをさすのだろう、
と推測されるのですが、

「戦後レジーム(体制)」と聞いて、ただちに
「占領下における全体主義的政策」のことが思い浮かぶのは、
ごく少数だと思います。


また仮に、限定的に、

「戦後レジーム(体制)」
 =「占領体制下で部分的に実施された全体主義的政策」

と定義するにしても、それでは、

・全体主義的政策が、
 すでに戦前・戦中において、
 日本主導で数多く計画、実施されていた事実、

・占領下の全体主義的政策も、
 戦中から日本主導で準備、計画されていたものが少なくない事実、

から目を背けることになり、
やはり適切な定義ではないと考えられます。


つまり「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げて、

現代日本の発展を阻害している全体主義的政策が、
すべて占領制下に実施されたかのように理解することは、

戦前・戦中の日本が、
すでにどっぷりと全体主義的な政策に染まり、
敗戦間際には「共産革命」前夜ともいえる惨状にあった事実から
目を背けることにもなりかねません。

日本自らの責任を棚に上げて、不都合な現実はすべて、
アメリカが主導した占領体制のせいだと思い込むのは
事実に反しており、不誠実です。


   ***

もし安倍元総理が、

 (戦後の)自由主義体制からの脱却、
 (戦前・戦中の)全体主義体制への回帰

ではなく、

 (戦後の)自由主義体制の堅持

は当然のこととして、より限定的に、

 占領体制下において、
 部分的に実施された全体主義的政策からの脱却

を意図していたのであれば、より正確に、

 独立回復後の日本に残された
 「戦時レジーム(戦時体制=全体主義的政策)からの脱却」

とするのが正しいスローガンであったと思われます。


あくまで「自由主義体制」の堅持を明確にした上で、

戦前・戦中・占領下をふくめて、
日本で計画、立案、実施されてきた「全体主義的政策」を、
洗いざらい見直すのだ、と言われれば、
どこにも異論の余地はありません。


独立回復後の日本において、色濃く残された
 「戦時体制(=全体主義的政策)からの脱却」

と言われれば、

戦後日本の繁栄の礎となった
「自由主義体制」から離脱していくかのような誤解は、
間違っても受けなかったと思われます。



以上をまとめると

安倍元総理が用いた
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
というスローガンは、

 戦後体制(=自由主義体制)から離脱し、
 戦前・戦中体制(=全体主義体制)に回帰することを志す、

極右のスローガンと解釈しうるので、
不適切だったと思われます。


戦後の「自由主義体制の堅持」は当然のこととして、

戦前・戦中・占領下をふくめ、
日本で計画、実施されてきた「全体主義的政策」を、
洗いざらい見直すという意味で、

 「戦時体制(=全体主義的政策)からの脱却」

というスローガンであれば、
誤解はなかったと考えます。



※安倍元総理への正当な批判としては、
 中川八洋「“堕落と転落”の自民党二十年史」
 (『民主党大不況』清流出版、平成22年)284~290・314頁を参照。

※本稿にいう「自由主義」とは、
 歴史と伝統にもとづく自生的秩序(ハイエク)が
 保守、尊重されることを前提とした「自由主義」であり、
 弱肉強食を当然とする「自由放任主義」のことではありません。

※安倍元総理の政治的なスローガンとしては、
 新総裁就任時に述べられた
  「強い日本、豊かな日本」
 の方がわかりやすく、訴えかけてくる力があり、秀逸だと思いました。

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