漱石全集〈第1巻〉吾輩は猫である (1965年)
夏目漱石 著
『吾輩は猫である』
(『漱石全集第一巻』岩波書店、昭和40年12月)
※初出は『ホトヽギス』第8巻第4号(明治38年〔1905〕1月)、
(続篇)…第8巻第5号(同年2月)、
(三) … 第8巻第7号(同年4月)、
(四) … 第8巻第9号(同年6月)、
(五) … 第8巻第10号(同年7月)、
(六) … 第9巻第1号(同年10月)、
(七・八)…第9巻第4号(明治39年1月)、
(九) … 第9巻第6号(同年3月)
(十) … 第9巻第7号(同年4月)
(十一)… 第9巻第11号(同年8月)。
単行本は上巻(一から三)大倉書店・服部書店、明治38年10月。
中巻(四から七)大倉書店・服部書店、明治39年11月
下巻(八から十一)大倉書店・服部書店、明治40年5月。
4月はじめに、ブログで
漱石を読んでいきますと宣言してから、
6ヶ月もたってしまいました。
忘れていたわけではなく、
淡々と『吾輩は猫である』を読み進めておりました。
半年かかるとは思っていませんでしたが、
ようやく読み終わりました。
忙しかったこともありますが、
想定していたのより、倍くらい時間がかかりました。
面白くなかったのか、と問われれば、
いや、それなりに面白かった、と答えましょう。
ただし、全体を一気に読み通すだけの
魅力は欠いていたように思われます。
落語のマクラが
延々と続いていくような小説なので、
数頁読む分にはそれなりに楽しめるのですが、
オチのない話が、
取りとめもなくだらだらと続いていくだけなので、
しばらく読んでいると
飽きが来るのは避けがたいことでした。
時々休んでは、
また途中から読み進めることをくり返し、
ようやくおしまいまで辿りついた次第です。
ブログをつけていなかったら、
もういいやと放り出していた可能大です。
ブログに感謝です。
とはいえ、いざ読み終えてみると、
不思議な満足感があることも確かです。
所々飽きは来ましたが、
明治の独特の世相にひたり、
ほんわかゆったりとした世間話を、
それなりに楽しめたことも事実です。
一度あらすじがわかると、
次回はもっと読みやすくなると思いますので、
また機会があれば読み返してみたいです。
やっとこさ読み終えたレベルなので、
内容についてはまた次の機会に。
とりあえず次は、短編 『倫敦塔』に進みます。
※『吾輩は猫である』の書誌について、
Wikipedia 「吾輩は猫である」の項目も参照。
2012年9月27日木曜日
2012年9月26日水曜日
【読了】塩野七生 『ローマ人の物語12』
塩野七生著
『ローマ人の物語12 ユリウス・カエサル ルビコン以後[中]』
(新潮文庫、平成16年10月。単行本は新潮社、平成8年4月)
※第六章 壮年後期 Virilitas
紀元前四九年一月~前四四年三月
(カエサル五十歳 - 五十五歳)
6冊からなるユリウス・カエサル伝、
5冊目を読み終わりました。
夏期講習があったこともあって、
前のを読み終わってから、
3ヶ月かかってしまいました。
切れ切れの時間を使いながら、
少しずつ読み進めざるを得なかったのですが、
どこから読み始めても、
それなりに惹き込まれる叙述で、
塩野氏の筆力に、知力に感嘆しながら、
楽しみつつ、読み終えることが出来ました。
それにしても、
すごい男がいたものだと、
素直に思うことができました。
あと1冊残っていますが、
すでにカエサルが殺される所まで
行きついてしまいましたので、
カエサルの死に、
ローマ人がどう対処したのか、
興味深い6巻目となりそうです。
2012年9月25日火曜日
【読了】與謝野晶子 『全訳 源氏物語 五』
紫式部 著/與謝野晶子 訳
『全訳 源氏物語 五 新装版』
(角川物語、平成20年5月)
※初出は『新新訳 源氏物語』(金尾文淵堂、昭和14年刊)
※第5巻には、
「早蕨(さわらび)」
「宿り木(やどりぎ)」
「東屋(あずまや)」
「浮舟(うきふね)」
「蜻蛉(かげろう)」
「手習(てならい)」
「夢の浮橋(ゆめのうきはし)」
までの計7帖が収録されています。
第四巻を読み終えてから、
また三ヶ月ほど経ちました。
「東屋」あたりから、ようやく
前に読んだ記憶がよみがえって来て、
勢いがついて、一気に最後までたどりつきました。
昨年秋も深まるころから読み始め、
今年秋の風が漂い始めたころに、
読み終えることができました。
あんまり急いでも意味がないので、
ほどほどに時間をかけて、じっくり読むことができました。
完訳で読んだのは、
今回が初めてなので、
後半少し滞りがちでしたが、
最後まで読み終えると、やはり充実度が違います。
光源氏が亡くなるまでで、
いったん物語が完結した感があったのが、
よほど続編の要望が高かったのか、
試行錯誤しながら、
もう一つの新しい恋愛小説を書き上げていく様は、
それなりに興味深いものでした。
後半の筆者について、
いろいろと議論があるようですが、
それはもう少し先の楽しみに、取っておこうと思います。
これでもかと繰り広げられる男女の恋愛模様。
でも人が生きていく上で、
それこそ決して古くなりようがない関心事なわけで、
現代よりもむしろ繊細な
心と心の交流を感じることができ、
充実した時間を過ごすことができました。
與謝野氏の全訳は、
勢いのある訳文で、
現代の小説を読むのとほとんど同じように
読み進めることができました。
その分、細部にこだわりがある場合は、
割り切りすぎに感じるところもあるかもしれませんが、
まず全体像を知りたいときには、
今なお第一に、お薦めできる訳だと思います。
そうはいいつつも、近い将来ぜひ
原文で楽しめるようになりたいと思っているので、
つぎはより原文に忠実と定評のある
谷崎潤一郎訳に挑戦しようと思っております。
以前は、むつかしすぎる感じがあったのですが、
最近少しだけ読んでみて、しみじみと心に響いてくるものがありました。
2012年9月22日土曜日
【読了】L.Frank Baum, The Wizard of Oz (OBW 1)
やさしい英語の本、通算29冊目、
Oxford Bookworms の Stage 1 の 2冊目、
アメリカの作家
ライマン・フランク・ボーム(1856 - 1919)の
代表作『オズの魔法使い』(1900)を読みました。
Lyman Frank Baum
The Wizard of Oz
Retold by Rosemary Border
(Oxford Bookworms Stage1)
1998年刊(5,440語)
子どものころは、
どちらかというと冒険物に興味があり、
ファンタジー系の本はほとんど読まなかったので、
『オズ』は初めて読みました。
『オズの魔法使い』とは、
ライマン・フランク・ボームが1900年、
44歳のときに書いたファンタジーの名作です。
アメリカですぐに爆発的な人気を得、
ボームが亡くなるまで計14冊も続くシリーズとなり、
アメリカの児童書の画期ともなった作品だそうです。
今回、リトールド版であらすじを辿ってみて、
なるほど夢のある楽しい作品だと思いました。
ボーム本人の序文に、
「道徳」的な側面は置いておいて、
子どもたちを喜ばせるためだけに書かれたとありますが、
それは、
心痛と悪夢によって教訓をひきだすようなことはしない、
という意味なので、
楽しく読み進めていくうちに、
道徳的にも前向きな、良い影響を与える作品だと感じました。
シリーズは、
佐藤高子氏の訳で、
すべて翻訳されています。
1.『オズの魔法使い』The Wonderful Wizard of Oz(1900)
(ハヤカワ文庫、昭和49年11月)
2.『オズの虹の国』The Marvelous Land of Oz(1904)
(ハヤカワ文庫、昭和50年6月)
3.『オズのオズマ姫』Ozma of Oz(1907)
(ハヤカワ文庫、昭和50年11月)
4.『オズと不思議な地下の国』Dorothy and the Wizard in Oz(1908)
(ハヤカワ文庫、昭和60年4月)
5.『オズへつづく道』The Road to Oz(1909)
(ハヤカワ文庫、昭和61年9月)
6.『オズのエメラルドの都』The Emerald City of Oz(1910)
(ハヤカワ文庫、昭和51年12月)
7.『オズのつぎはぎ娘』The Patchwork Girl of Oz(1913)
(ハヤカワ文庫、昭和52年12月)
8.『オズのチクタク』Tik-Tok of Oz(1914)
(ハヤカワ文庫、昭和56年2月)
9.『オズのかかし』The Scarecrow of Oz(1915)
(ハヤカワ文庫、昭和57年12月)
10.『オズのリンキティンク』Rinkitink in Oz(1916)
(ハヤカワ文庫、昭和63年3月)
11.『オズの消えたプリンセス』The Lost Princess of Oz(1917)
(ハヤカワ文庫、平成2年6月)
12.『オズのブリキの木樵り』The Tin Woodman of Oz(1918)
(ハヤカワ文庫、昭和59年1月)
13.『オズの魔法くらべ』The Magic of Oz(1919)
(ハヤカワ文庫、平成4年1月)
14.『オズのグリンダ』Glinda of Oz(1920)
(ハヤカワ文庫、平成6年5月)
このうち『オズの魔法使い』のみ手に入れましたが、
よくこなれた美しい日本語の翻訳だと思います。
ただし、総ルビ付きではなく、
言い回しにも若干古さを感じさせるところがありましたので、
大人が読むのに適した翻訳といえるのかもしれません。
また現在、
復刊ドットコムからの新刊(!)として、
宮坂宏美・ないとうふみこ・田中亜希子の3氏によって、
オズ・シリーズの完訳が進行中です。
1. 宮坂宏美 訳『完訳 オズの魔法使い』
(復刊ドットコム、平成23年9月)
2. 宮坂宏美 訳『完訳 オズのふしぎな国』
(復刊ドットコム、平成23年10月)
※佐藤訳『オズの虹の国』
3. ないとうふみこ 訳『完訳 オズのオズマ姫』
(復刊ドットコム、平成23年12月)
4. 田中亜希子 訳『完訳 オズとドロシー』
(復刊ドットコム、平成24年1月)
※佐藤訳『オズと不思議な地下の国』
5. 宮坂宏美 訳『完訳 オズへの道』
(復刊ドットコム、平成24年3月)
※佐藤訳『オズへつづく道』
6. ないとうふみこ 訳『完訳 オズのエメラルドの都』
(復刊ドットコム、平成24年5月)
7. 田中亜希子 訳『完訳 オズのパッチワーク娘』
(復刊ドットコム、平成24年7月)
※佐藤訳『オズのつぎはぎ娘』
8. 宮坂宏美 訳『完訳 オズのチクタク』
(復刊ドットコム、平成24年9月予定)
9. ないとうふみこ 訳『完訳 オズのかかし』
(復刊ドットコム、平成24年11月予定)
10. 田中亜希子 訳『完訳 オズのリンキティンク』
(復刊ドットコム、平成25年1月予定)
11. 宮坂宏美『完訳 オズの消えた姫』
(復刊ドットコム、平成25年3月予定)
※佐藤訳『オズの消えたプリンセス』
12. ないとうふみこ訳『完訳 オズのブリキのきこり』
(復刊ドットコム、平成25年5月予定)
※佐藤訳『オズのブリキの木樵り』
13. 田中亜希子 訳『完訳 オズの魔法』
(復刊ドットコム、平成25年7月予定)
※佐藤訳『オズの魔法くらべ』
14. 宮坂宏美 訳『完訳 オズのグリンダ』
(復刊ドットコム、平成25年9月予定)
15. 宮坂宏美・ないとうふみこ・田中亜希子 訳
『完訳 オズの小さな物語』
(復刊ドットコム、平成25年11月予定)
※邦訳初出版。短編集。
単独訳ではありませんが、
2、3年の間に全訳を仕上げようと思えば、
それは仕方のないことでしょう。
Amazonの「なか見!検索」で拝見する限り、
総ルビ付きの読みやすい日本語に仕上がっています。
まず最初に選ぶべき翻訳かもしれません。
問題があるとすれば、
1冊1,890円とかなり高価なことでしょう。
とりあえず近々1冊購入して、次を買うか考えようと思っています。
※計29冊 計238,897語。
Oxford Bookworms の Stage 1 の 2冊目、
アメリカの作家
ライマン・フランク・ボーム(1856 - 1919)の
代表作『オズの魔法使い』(1900)を読みました。
Lyman Frank Baum
The Wizard of Oz
Retold by Rosemary Border
(Oxford Bookworms Stage1)
1998年刊(5,440語)
子どものころは、
どちらかというと冒険物に興味があり、
ファンタジー系の本はほとんど読まなかったので、
『オズ』は初めて読みました。
『オズの魔法使い』とは、
ライマン・フランク・ボームが1900年、
44歳のときに書いたファンタジーの名作です。
アメリカですぐに爆発的な人気を得、
ボームが亡くなるまで計14冊も続くシリーズとなり、
アメリカの児童書の画期ともなった作品だそうです。
今回、リトールド版であらすじを辿ってみて、
なるほど夢のある楽しい作品だと思いました。
ボーム本人の序文に、
「道徳」的な側面は置いておいて、
子どもたちを喜ばせるためだけに書かれたとありますが、
それは、
心痛と悪夢によって教訓をひきだすようなことはしない、
という意味なので、
楽しく読み進めていくうちに、
道徳的にも前向きな、良い影響を与える作品だと感じました。
シリーズは、
佐藤高子氏の訳で、
すべて翻訳されています。
1.『オズの魔法使い』The Wonderful Wizard of Oz(1900)
(ハヤカワ文庫、昭和49年11月)
2.『オズの虹の国』The Marvelous Land of Oz(1904)
(ハヤカワ文庫、昭和50年6月)
3.『オズのオズマ姫』Ozma of Oz(1907)
(ハヤカワ文庫、昭和50年11月)
4.『オズと不思議な地下の国』Dorothy and the Wizard in Oz(1908)
(ハヤカワ文庫、昭和60年4月)
5.『オズへつづく道』The Road to Oz(1909)
(ハヤカワ文庫、昭和61年9月)
6.『オズのエメラルドの都』The Emerald City of Oz(1910)
(ハヤカワ文庫、昭和51年12月)
7.『オズのつぎはぎ娘』The Patchwork Girl of Oz(1913)
(ハヤカワ文庫、昭和52年12月)
8.『オズのチクタク』Tik-Tok of Oz(1914)
(ハヤカワ文庫、昭和56年2月)
9.『オズのかかし』The Scarecrow of Oz(1915)
(ハヤカワ文庫、昭和57年12月)
10.『オズのリンキティンク』Rinkitink in Oz(1916)
(ハヤカワ文庫、昭和63年3月)
11.『オズの消えたプリンセス』The Lost Princess of Oz(1917)
(ハヤカワ文庫、平成2年6月)
12.『オズのブリキの木樵り』The Tin Woodman of Oz(1918)
(ハヤカワ文庫、昭和59年1月)
13.『オズの魔法くらべ』The Magic of Oz(1919)
(ハヤカワ文庫、平成4年1月)
14.『オズのグリンダ』Glinda of Oz(1920)
(ハヤカワ文庫、平成6年5月)
このうち『オズの魔法使い』のみ手に入れましたが、
よくこなれた美しい日本語の翻訳だと思います。
ただし、総ルビ付きではなく、
言い回しにも若干古さを感じさせるところがありましたので、
大人が読むのに適した翻訳といえるのかもしれません。
また現在、
復刊ドットコムからの新刊(!)として、
宮坂宏美・ないとうふみこ・田中亜希子の3氏によって、
オズ・シリーズの完訳が進行中です。
1. 宮坂宏美 訳『完訳 オズの魔法使い』
(復刊ドットコム、平成23年9月)
2. 宮坂宏美 訳『完訳 オズのふしぎな国』
(復刊ドットコム、平成23年10月)
※佐藤訳『オズの虹の国』
3. ないとうふみこ 訳『完訳 オズのオズマ姫』
(復刊ドットコム、平成23年12月)
4. 田中亜希子 訳『完訳 オズとドロシー』
(復刊ドットコム、平成24年1月)
※佐藤訳『オズと不思議な地下の国』
5. 宮坂宏美 訳『完訳 オズへの道』
(復刊ドットコム、平成24年3月)
※佐藤訳『オズへつづく道』
6. ないとうふみこ 訳『完訳 オズのエメラルドの都』
(復刊ドットコム、平成24年5月)
7. 田中亜希子 訳『完訳 オズのパッチワーク娘』
(復刊ドットコム、平成24年7月)
※佐藤訳『オズのつぎはぎ娘』
8. 宮坂宏美 訳『完訳 オズのチクタク』
(復刊ドットコム、平成24年9月予定)
9. ないとうふみこ 訳『完訳 オズのかかし』
(復刊ドットコム、平成24年11月予定)
10. 田中亜希子 訳『完訳 オズのリンキティンク』
(復刊ドットコム、平成25年1月予定)
11. 宮坂宏美『完訳 オズの消えた姫』
(復刊ドットコム、平成25年3月予定)
※佐藤訳『オズの消えたプリンセス』
12. ないとうふみこ訳『完訳 オズのブリキのきこり』
(復刊ドットコム、平成25年5月予定)
※佐藤訳『オズのブリキの木樵り』
13. 田中亜希子 訳『完訳 オズの魔法』
(復刊ドットコム、平成25年7月予定)
※佐藤訳『オズの魔法くらべ』
14. 宮坂宏美 訳『完訳 オズのグリンダ』
(復刊ドットコム、平成25年9月予定)
15. 宮坂宏美・ないとうふみこ・田中亜希子 訳
『完訳 オズの小さな物語』
(復刊ドットコム、平成25年11月予定)
※邦訳初出版。短編集。
単独訳ではありませんが、
2、3年の間に全訳を仕上げようと思えば、
それは仕方のないことでしょう。
Amazonの「なか見!検索」で拝見する限り、
総ルビ付きの読みやすい日本語に仕上がっています。
まず最初に選ぶべき翻訳かもしれません。
問題があるとすれば、
1冊1,890円とかなり高価なことでしょう。
とりあえず近々1冊購入して、次を買うか考えようと思っています。
※計29冊 計238,897語。
2012年9月20日木曜日
【紹介】広瀬和生 『この落語家を聴け!』
落語の入門書をもう1冊。
広瀬和生 著
『この落語家を聴け!』
(集英社文庫、平成22年10月。初出は(株)アスペクト、平成20年7月)
2007年の時点で、
実際に活躍していた「素晴らしき噺家達」51名を取り上げ、
その現在進行形の姿を描いた評論です。
単行本で出た時に偶然手にし、
一気に読了し、その後の落語の聴き方に、
強い影響を受けました。
氏の評価に偏りがあるのかどうかは、
私には何とも判断しかねるのですが、
明らかなのは広瀬氏の筆力で、
私の聴いたこともない落語家さんについて、
ぜひ聴いてみたいな、と思わせられる魅力を伝える
勢いのある文章で、
乗せられて(CDで)聴いてみた噺家は少なからず。
そのままハマってしまったのが、
柳家小三治と、柳家喬太郎です。
実力に驚いて、波長も合って、
今後じっくり聴いていきたいと思っているのが、
柳家さん喬と、立川談春と、瀧川鯉昇です。
逆に、
聴いてみて、
実力の凄さは感じ取れたものの、
今のところ私の感性と距離があるのは、
立川談志と、立川志の輔と、柳亭市馬です。
談志さんは、
言葉が聴き取りにくいのは
やはり落語家にとって致命的なことだと感じるのと、
噺の間の取り方が、せかせかしていて苦手です。
その他、
聴いてみたものの、
良さがわからなかったのは、
春風亭昇太と、柳家花緑です。
まだこれからの方なのかもしれません。
もう一人、
まだほとんど見聴きする機会がないのですが、
笑福亭鶴瓶の、落語家としての魅力に気がつかせてくれた点にも感謝しております。
まだまだ知らないことばかりですので、
ただ無知なだけなのかもしれませんが、
クラシック音楽と比べると、
落語には、読ませる評論家がほとんどいないように感じます。
落語家さん本人による著述は
それなりに出版されていると思うのですが、
第三者の立場から、
落語を評論することは、
それほど盛んでないように感じています。
広瀬和生氏の評論は、
私にとって今のところ、
一つの基準となっております。
なお、
現在手にしやすいのは、
文庫版の方だと思いますが、
段組の関係か、加筆、再編集の関係か、
若干読み難くなっているように感じました。
古本などで安く手に入るようでしたら、
もとの単行本の方をお薦めします。
広瀬和生 著
『この落語家を聴け!』
(集英社文庫、平成22年10月。初出は(株)アスペクト、平成20年7月)
2007年の時点で、
実際に活躍していた「素晴らしき噺家達」51名を取り上げ、
その現在進行形の姿を描いた評論です。
単行本で出た時に偶然手にし、
一気に読了し、その後の落語の聴き方に、
強い影響を受けました。
氏の評価に偏りがあるのかどうかは、
私には何とも判断しかねるのですが、
明らかなのは広瀬氏の筆力で、
私の聴いたこともない落語家さんについて、
ぜひ聴いてみたいな、と思わせられる魅力を伝える
勢いのある文章で、
乗せられて(CDで)聴いてみた噺家は少なからず。
そのままハマってしまったのが、
柳家小三治と、柳家喬太郎です。
実力に驚いて、波長も合って、
今後じっくり聴いていきたいと思っているのが、
柳家さん喬と、立川談春と、瀧川鯉昇です。
逆に、
聴いてみて、
実力の凄さは感じ取れたものの、
今のところ私の感性と距離があるのは、
立川談志と、立川志の輔と、柳亭市馬です。
談志さんは、
言葉が聴き取りにくいのは
やはり落語家にとって致命的なことだと感じるのと、
噺の間の取り方が、せかせかしていて苦手です。
その他、
聴いてみたものの、
良さがわからなかったのは、
春風亭昇太と、柳家花緑です。
まだこれからの方なのかもしれません。
もう一人、
まだほとんど見聴きする機会がないのですが、
笑福亭鶴瓶の、落語家としての魅力に気がつかせてくれた点にも感謝しております。
まだまだ知らないことばかりですので、
ただ無知なだけなのかもしれませんが、
クラシック音楽と比べると、
落語には、読ませる評論家がほとんどいないように感じます。
落語家さん本人による著述は
それなりに出版されていると思うのですが、
第三者の立場から、
落語を評論することは、
それほど盛んでないように感じています。
広瀬和生氏の評論は、
私にとって今のところ、
一つの基準となっております。
なお、
現在手にしやすいのは、
文庫版の方だと思いますが、
段組の関係か、加筆、再編集の関係か、
若干読み難くなっているように感じました。
古本などで安く手に入るようでしたら、
もとの単行本の方をお薦めします。
2012年9月13日木曜日
【読了】James Fenimore Cooper, Hawk-eye, the Pathfinder (MMR Beginner)
やさしい英語の本、通算28冊目、
Macmillan Readers の Beginner Level 18冊目は、
アメリカの小説家
ジェイムズ・フェニモア・クーパー(1789 - 1851)の
小説『道を開く者』(1840)を読みました。
今年5月に、
同じシリーズで読んだ
『ラスト・オブ・モヒカン』の続編です。
James Fenimore Cooper
Hawk-eye, the Pathfinder
Retold by T.P.Yatt
(Macmillan Readers Beginner Level)
1998年刊(9,237語)
本書は、5部からなる大作
『レザーストッキング物語 (革脚絆物語 The Leather Stoching Tales)』
のうちの1冊です。
5部作は、刊行順に並べると、
『開拓者 (The Pioneers)』(1823)
『モヒカン族の最後 (The Last of the Mohicans)』(1826)
『大草原 (The Prairie)』(1827)
『道を開く者 (The Pathfinder)』(1840)
『鹿殺し (The Deerslayer)』(1841)
となります。
これを内容の年代順に並べなおすと、
1.『鹿殺し (The Deerslayer)』
2.『モヒカン族の最後 (The Last of the Mohicans)』
3.『道を開く者 (The Pathfinder)』
4.『開拓者 (The Pioneers)』
5.『大草原 (The Prairie)』
となります。(犬飼和雄「訳者あとがき」『モヒカン族の最後』下、ハヤカワ文庫参照)
つまり本書は、内容上
『モヒカン族の最後』の続編ということになりますが、
各部とも、それほど密接には結びついていないので、
独立した物語として楽しむことができました。
残念ながら、邦訳は出ていませんが、
『モヒカン』で大体の雰囲気をつかんでいたからか、
スラスラ読み進めることができました。
完訳が出たら読みたいか、といわれれば、
それほど惹かれる内容ではありませんでしたが、
アメリカ国民にとっては重要な大衆小説家であろうと感じました。
日本でいえば、
山岡荘八さんのような方でしょうか。
アメリカ文学を語る上では、
避けて通れない方のようなので、
また機会があれば、読んでみたいと思います。
※計28冊 計233,457語。
2012年9月11日火曜日
【読了】林健太郎 『世界の歩み 上巻』
林健太郎氏(大正2〔1913〕生 平成16〔2004〕没)の
西洋近世史 概説 『世界の歩み 上巻』を読みました。
世界の歩み 上巻 (岩波新書 青版 15)
林健太郎 著『世界の歩み 上巻』
(岩波新書、昭和24年9月。改版、昭和39年5月)
※章立ては次の通り。
第一章 国家と社会
第二章 「太陽の沈まぬ国」の変遷
第三章 胡椒と銀と羅紗
第四章 国王と人民(一)
第五章 国王と人民(二)
第六章 思想の力
第七章 自由の国の建設
第八章 嵐の三色旗
第九章 鋼鉄のリヴァイアサン
第十章 精神の王国
第十一章 混乱と悩み
第十二章 新しい始まり
林健太郎氏は、
名前のみ良く知っていたものの、熟読する機会もなく、
今に至りました。
最近になって、中川八洋氏が、
林氏のことを高く評価していることを知り、
一度きちんと読んでみようと思いました。
(『民主党大不況』363頁。『「名著」の解読学』15~20頁など参照。)
近代ドイツ史の専門家としての業績は
『林健太郎著作集』全4巻(山川出版、平成5年)にまとめられていますが、
一般国民に向けて書かれた概説書、
エッセイ等にも優れたものがたくさんあります。
私にとって重要なのは、
概説書、エッセイの方なので、
古書で少しずつ購入しながら、読んでいこうと思います。
恐らく、世界史を勉強しようと思えば、
高校の教科書を丁寧に読んでいくのが、
一番手っ取り早いのでしょうが、
昔から、教科書の歴史を
すなおには楽しめない質で、
信頼できる一人の著者が執筆した概説書があれば、
それを熟読するようにしたいと思っております。
『世界の歩み』は、
林氏が36歳のときに書かれた西洋近世・近代史の概説書です。
書名はよく知っていたのですが、
岩波新書から出ていたので、勝手に
左翼の公式に従った概説書だろうと思い込んで、
遠ざけておりました。
今回、上巻を読んでみて、
ごく穏当な、高校生以上、大人が読むにふさわしい、
教養としての西洋近世史になっていると思いました。
さすがに、
ソ連が冷戦の敗者になるとは、
思いもよらなかった時代の書物ですので、
フランス革命や、
社会主義、共産主義に対しての
辛辣な批判は見られませんが、
盲目的に称賛するような記述はなく、
いずれも長所短所をよく考えて、
穏当なところが記述されていると思いました。
一章につき
大学の授業1,2コマ程度の分量ですので、
大学で、林氏から直接「西洋近世史概説」の講義を
受けているような感じで、楽しむことができました。
コンパクトにまとまっている所もありがたく、
一人の筆者が取り組んだ
穏当な西洋近世史の概説として
お薦めできる1冊(2冊!)です。
西洋近世史 概説 『世界の歩み 上巻』を読みました。
世界の歩み 上巻 (岩波新書 青版 15)
林健太郎 著『世界の歩み 上巻』
(岩波新書、昭和24年9月。改版、昭和39年5月)
※章立ては次の通り。
第一章 国家と社会
第二章 「太陽の沈まぬ国」の変遷
第三章 胡椒と銀と羅紗
第四章 国王と人民(一)
第五章 国王と人民(二)
第六章 思想の力
第七章 自由の国の建設
第八章 嵐の三色旗
第九章 鋼鉄のリヴァイアサン
第十章 精神の王国
第十一章 混乱と悩み
第十二章 新しい始まり
林健太郎氏は、
名前のみ良く知っていたものの、熟読する機会もなく、
今に至りました。
最近になって、中川八洋氏が、
林氏のことを高く評価していることを知り、
一度きちんと読んでみようと思いました。
(『民主党大不況』363頁。『「名著」の解読学』15~20頁など参照。)
近代ドイツ史の専門家としての業績は
『林健太郎著作集』全4巻(山川出版、平成5年)にまとめられていますが、
一般国民に向けて書かれた概説書、
エッセイ等にも優れたものがたくさんあります。
私にとって重要なのは、
概説書、エッセイの方なので、
古書で少しずつ購入しながら、読んでいこうと思います。
恐らく、世界史を勉強しようと思えば、
高校の教科書を丁寧に読んでいくのが、
一番手っ取り早いのでしょうが、
昔から、教科書の歴史を
すなおには楽しめない質で、
信頼できる一人の著者が執筆した概説書があれば、
それを熟読するようにしたいと思っております。
『世界の歩み』は、
林氏が36歳のときに書かれた西洋近世・近代史の概説書です。
書名はよく知っていたのですが、
岩波新書から出ていたので、勝手に
左翼の公式に従った概説書だろうと思い込んで、
遠ざけておりました。
今回、上巻を読んでみて、
ごく穏当な、高校生以上、大人が読むにふさわしい、
教養としての西洋近世史になっていると思いました。
さすがに、
ソ連が冷戦の敗者になるとは、
思いもよらなかった時代の書物ですので、
フランス革命や、
社会主義、共産主義に対しての
辛辣な批判は見られませんが、
盲目的に称賛するような記述はなく、
いずれも長所短所をよく考えて、
穏当なところが記述されていると思いました。
一章につき
大学の授業1,2コマ程度の分量ですので、
大学で、林氏から直接「西洋近世史概説」の講義を
受けているような感じで、楽しむことができました。
コンパクトにまとまっている所もありがたく、
一人の筆者が取り組んだ
穏当な西洋近世史の概説として
お薦めできる1冊(2冊!)です。
2012年9月3日月曜日
鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』 4章
久しぶりに、
鈴木鎮一氏の 『愛に生きる』の続きを読みました。
鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』
(講談社現代新書、昭和41年8月)
※印は、栗木によるコメントです。
◆4章 運命〈わたしの歩みⅠ〉
「わたしは父から、
物心両面にわたって、
たくさんのことを教えられました。
ものごとへのたゆみない研究心ということのほかに、
ひとは“誠実”でなければならない、
ということの実行の教訓です。」116
※そう言ってもらえるような
父親に私はなれるだろうか。
教師としての私もまた、
知識を伝えるより前に、
「誠実さ」が伝わるような存在であれたらいいなと思います。
『わたしはすべての責任者だ。
会社も、わたしの財産も、
工場のみんなが協力してくれたからできた。
これだけの仕事をさせてくれたのは
みんなの力だ。
全財産がなくなるまで、
ひとりの工員もやめさせない。
お返しをするのだ。』117
※工場の経営が苦しくなったときの、
責任者(父)の覚悟。
ここまで潔い生き方は、なかなかできません。
景気の好いとき、
すべての物事が上向きに進んでいるときに、
格好のいいことを言うことは出来るでしょう。
しかし不景気の波に飲み込まれ、
努力の甲斐なく業績が悪化し、
負け戦がこんできたときに、
誠実に負けられる人は、
なかなかいないでしょう。
父親の潔い、誠実な負けを、
子どものころに経験できたことは、
鈴木氏にとってこの上ない
大きな財産になったのだろうな、
と思います。
「打算を捨ててひたむきに、
― これはわたしが無意識のうちに
父から教えられたことです。」118
※生きていれば、時には、
打算に逃げたくなるようなこともあるでしょう。
一生に一度というような、
とんでもない苦境に陥っているときに、
打算を捨てて生きることができるかどうか。
私にはそこまでの自信はありません。
父親が、
自らの生き方によって、
その範を示すことができたなら、
それはそれは、大きな財産となるでしょう。
「目前の利益・効果が上がらなくても、
こんなことをやってなにになるか、
などという利口な考え方をしない。
人間の将来への夢をもち、だから、
いつ死んでも自分は悔いないと思っている。
そして、すぐやめたりしないで、
気ながに、ひたむきに、
一歩一歩仕事をしていく。
そうすれば、
なんでもたいていのことはできる。
― こうした精神も、
いつか父に植えつけられたように思います。」118
※生き方の基本でしょうか。
利益が出なければ、
すぐにも潰れるのが会社ですから、
その会社を担う人々が、
目前の利益や効果を、
大切にするのは当然のことです。
利益(お金)は大切です。
でもしかし、
目先の利益だけ、
では続かないことも、また確かでしょう。
つねに少し先の未来を見すえて、
何かしら人さまのために、
わずかながらもお役に立てないかと思いつつ、
目前の努力を続けている私がいます。
利益には、
自分の力ではどうにもならない所があるので、
それだけにはしないこと。
ほかの誰でもなく、
自分自身の心のなかに、
自分が生きていく、心のよりどころが、
何かしら見つけられたら、
幸せだと思います。
『虫のいいことをいうのはやめなさい。
毎日お参りをするなら、
ありがとうございますだけでいいじゃないか。
きょう一日のお礼を申し上げれば、
それでじゅうぶんじゃないか。』124
※お参りのときに何を祈るのか、父の答え。
若いころは、そもそも
お参りをすることがほとんどなかったので、
あまりピンとこなかったのですが、
母が亡くなり、
仏壇で手を合わせ、
ご先祖様にお祈りする
日々を送るようになったとき、
お祈りは、
ありがとうございます、
が基本なんだな、
と実感することができました。
「むろん、事故とか死とか不測のことが
待ちうけているかもしれません。
どういう“運”がその後も待ちうけているかもしれません。
しかし、それに対しては、わたしは思うのです。
『それは“あちらがわ”のつごうである。
びくびくし、よけいな心配をしてなにになろう。
同じことだ。
“こちらがわ”は、つねに希望をもって、
せいいっぱいに生きるだけだ。』」124
※「運」は、確かにあるでしょう。
長い人生の中で、
不運なことが続いて、
人生に嫌気がさして、
ひねくれた心情、苦々しい思いに、
囚われてしまうことも多々あるでしょう。
ただし、いつも一生懸命、
出来るだけのことを精一杯して生きていると、
避けられなかった不運に対しては、
それほど動じなくなる自分がいるようです。
どうしようもない所までがんばったのであれば、
そこから先の勝ち負けは
「あちらがわ」の都合だと。
打ちひしがれたところで、
人生はまだまだ続きます。
それなら次に向けて、
前向きにがんばるのが一番です。
「ほんとうに自分を欺かない
ひとを信じてすこしも疑わない
愛することだけを知って憎むことを知らない
正義を愛し、ルールを絶対に守る
喜びを求め、明るく生き生きと生きている
不安を知らず、つねに安心のなかに生きている」129
※美しい心とは何か。
まずは自分を信じ、愛すること、
ついで他人を信じ、愛すること、
疑わないこと、憎まないこと。
正義を愛し、ルールを守ること。
喜びを求め、明るく前向きに生きること、
不安を遠ざけ、つねに安心の中に生きること。
それだけで生きられないことは勿論ですが、
美しい心で生きていくことへのこだわりは、
捨てないようにしたいものです。
あらゆる「もの」を手に入れたとしても、
心の平穏を失っているのであれば、
自分は幸せではない、と思います。
鈴木鎮一氏の 『愛に生きる』の続きを読みました。
鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』
(講談社現代新書、昭和41年8月)
※印は、栗木によるコメントです。
◆4章 運命〈わたしの歩みⅠ〉
「わたしは父から、
物心両面にわたって、
たくさんのことを教えられました。
ものごとへのたゆみない研究心ということのほかに、
ひとは“誠実”でなければならない、
ということの実行の教訓です。」116
※そう言ってもらえるような
父親に私はなれるだろうか。
教師としての私もまた、
知識を伝えるより前に、
「誠実さ」が伝わるような存在であれたらいいなと思います。
『わたしはすべての責任者だ。
会社も、わたしの財産も、
工場のみんなが協力してくれたからできた。
これだけの仕事をさせてくれたのは
みんなの力だ。
全財産がなくなるまで、
ひとりの工員もやめさせない。
お返しをするのだ。』117
※工場の経営が苦しくなったときの、
責任者(父)の覚悟。
ここまで潔い生き方は、なかなかできません。
景気の好いとき、
すべての物事が上向きに進んでいるときに、
格好のいいことを言うことは出来るでしょう。
しかし不景気の波に飲み込まれ、
努力の甲斐なく業績が悪化し、
負け戦がこんできたときに、
誠実に負けられる人は、
なかなかいないでしょう。
父親の潔い、誠実な負けを、
子どものころに経験できたことは、
鈴木氏にとってこの上ない
大きな財産になったのだろうな、
と思います。
「打算を捨ててひたむきに、
― これはわたしが無意識のうちに
父から教えられたことです。」118
※生きていれば、時には、
打算に逃げたくなるようなこともあるでしょう。
一生に一度というような、
とんでもない苦境に陥っているときに、
打算を捨てて生きることができるかどうか。
私にはそこまでの自信はありません。
父親が、
自らの生き方によって、
その範を示すことができたなら、
それはそれは、大きな財産となるでしょう。
「目前の利益・効果が上がらなくても、
こんなことをやってなにになるか、
などという利口な考え方をしない。
人間の将来への夢をもち、だから、
いつ死んでも自分は悔いないと思っている。
そして、すぐやめたりしないで、
気ながに、ひたむきに、
一歩一歩仕事をしていく。
そうすれば、
なんでもたいていのことはできる。
― こうした精神も、
いつか父に植えつけられたように思います。」118
※生き方の基本でしょうか。
利益が出なければ、
すぐにも潰れるのが会社ですから、
その会社を担う人々が、
目前の利益や効果を、
大切にするのは当然のことです。
利益(お金)は大切です。
でもしかし、
目先の利益だけ、
では続かないことも、また確かでしょう。
つねに少し先の未来を見すえて、
何かしら人さまのために、
わずかながらもお役に立てないかと思いつつ、
目前の努力を続けている私がいます。
利益には、
自分の力ではどうにもならない所があるので、
それだけにはしないこと。
ほかの誰でもなく、
自分自身の心のなかに、
自分が生きていく、心のよりどころが、
何かしら見つけられたら、
幸せだと思います。
『虫のいいことをいうのはやめなさい。
毎日お参りをするなら、
ありがとうございますだけでいいじゃないか。
きょう一日のお礼を申し上げれば、
それでじゅうぶんじゃないか。』124
※お参りのときに何を祈るのか、父の答え。
若いころは、そもそも
お参りをすることがほとんどなかったので、
あまりピンとこなかったのですが、
母が亡くなり、
仏壇で手を合わせ、
ご先祖様にお祈りする
日々を送るようになったとき、
お祈りは、
ありがとうございます、
が基本なんだな、
と実感することができました。
「むろん、事故とか死とか不測のことが
待ちうけているかもしれません。
どういう“運”がその後も待ちうけているかもしれません。
しかし、それに対しては、わたしは思うのです。
『それは“あちらがわ”のつごうである。
びくびくし、よけいな心配をしてなにになろう。
同じことだ。
“こちらがわ”は、つねに希望をもって、
せいいっぱいに生きるだけだ。』」124
※「運」は、確かにあるでしょう。
長い人生の中で、
不運なことが続いて、
人生に嫌気がさして、
ひねくれた心情、苦々しい思いに、
囚われてしまうことも多々あるでしょう。
ただし、いつも一生懸命、
出来るだけのことを精一杯して生きていると、
避けられなかった不運に対しては、
それほど動じなくなる自分がいるようです。
どうしようもない所までがんばったのであれば、
そこから先の勝ち負けは
「あちらがわ」の都合だと。
打ちひしがれたところで、
人生はまだまだ続きます。
それなら次に向けて、
前向きにがんばるのが一番です。
「ほんとうに自分を欺かない
ひとを信じてすこしも疑わない
愛することだけを知って憎むことを知らない
正義を愛し、ルールを絶対に守る
喜びを求め、明るく生き生きと生きている
不安を知らず、つねに安心のなかに生きている」129
※美しい心とは何か。
まずは自分を信じ、愛すること、
ついで他人を信じ、愛すること、
疑わないこと、憎まないこと。
正義を愛し、ルールを守ること。
喜びを求め、明るく前向きに生きること、
不安を遠ざけ、つねに安心の中に生きること。
それだけで生きられないことは勿論ですが、
美しい心で生きていくことへのこだわりは、
捨てないようにしたいものです。
あらゆる「もの」を手に入れたとしても、
心の平穏を失っているのであれば、
自分は幸せではない、と思います。
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