2011年9月6日火曜日
スマイルズ『向上心』第5章(上)
サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。
第5章 よい人間関係をつくる
Ⅰ
「人の立ち居ふるまいは、
ある程度その人の人格をあらわすものだ。
心の奥にひそむ本質を外の世界に向かって説明してみせるものであり、
その人がこれまで過ごしてきた社会的環境をはじめ、
趣味や感情、そして気性などがそれによってわかるのである。」167
※立ち居ふるまいに、
自分の人格がにじみ出て来る。
それだけ、外の世界に自分をさらすのは
怖いことです。
でもしかし、人に見られるのが嫌だから、
ひきこもってしまおう、という選択肢は
現実的でないわけですから、
ほどほどにその怖さを自覚しながら、
前を向いて、正直に、一歩ずつ生きていくしかないのでしょう。
「気品のある礼儀は、
洗練された精神には欠かすことのできない
感受性とでもいうようなものから導かれてくるものである。
この観点から見ると、
感受性は才能や学問に負けないほど大切なものであり、
人間の趣味や性格を決定するうえでは
その二つよりも影響力が強いとさえ言えるかもしれない。」168
※感受性を育てること。
よいセンスを身につけること。
それは一般に、流行に乗ることと言い換えても、
それほど間違いではないのでしょう。
世間にもまれながら生きていくほかないのが
人の定めである以上、ある種の社会の波をつかむことは、
生き残ろためにどうしても必要なのだと思います。
でもしかし、目指すのは、
軽薄に近づくことではありません。
自らの精神を瑞々しく保つため、
明るく朗らかな人生を自ら歩むため、
感受性、という観点は忘れないでいたい。
「思いやりの気持ちは、
他人の心を開く黄金の鍵である。
相手を思いやれば、
それが物腰の柔らかな礼儀正しさとなって自然に表われるだけではなく、
相手の心を見抜く洞察力を与え、
知恵をも広げてくれる。
思いやりの気持ちは
人間性の美しさの中でも最高のものと言っていいだろう。」168
※思いやりの心。やさしい心。
それは健康な心。
「礼儀正しさとは美しい行為以外の何ものでもない。
『美しい姿は美しい顔にまさり、
美しい行為は美しい姿にまさる。
美しい行為はすぐれた彫刻や肖像画よりもわれわれに感銘を与える。
すなわちそれは最高の芸術作品なのだ』
とは、よく言ったものである。」169
※かたちも大切。
かたちだけが大切、なのではないが、
かたちも、大切です。
「しかし、
美しさを超えた本当の礼儀正しさは
誠意から生まれる。
心の底からほとばしり出たものでなければ、
感動も薄い。
誠実さのない礼儀などはあり得ないのだ。」169
※心のこもっていない礼儀正しさは、
相手につたわらない。
かえって相手に失礼なことだと心得る。
「礼儀正しさは親切心である。
他人の幸せをいつも考え、
不愉快な思いをさせたりするような行いは
けっしてしないことである。
それは他人に対して親切であるばかりか、
自分も感謝の気持ちを忘れず、
やさしい行為を素直にありがたく思うことでもある。」170
※他人の幸せを願うこと。
自分ではなく、他人を。
自分ではない。
Ⅱ
「心くばりとは、主として他人の人格を尊重することである。」170
※自分を捨てなさい、という教えを、
学校では聞いた覚えがありません。
「『悪意とひねくれ根性の二つは、
人間が持っているぜいたく品の中でも
いちばん高くつくもの』である。」171
※悪い性格は、意志の力で治していきたい。
「育ちのよさと悪さがはっきりと表われるのは、
その人が人間関係を保っていくうえで、
いわゆる自己犠牲の精神をどれくらい発揮できるかによる
といっても過言ではない。」172
※ここまで具体的にいってもらえると
ありがたいです。
『すなわちおそらく無意識にであろうが、
彼は金持ちにも貧乏人にも、
召使であろうと客として招いた貴族であろうと、
まったく同じような思いやりのある明るい愛情のこもった態度で接した。
おかげで、どこへ行っても彼は人びとに幸せをもたらし、
自分も幸せになった。』
(宗教家キングスレーの語る、シドニー・スミス)174
※心配りのできる人が、周りに何をもたらすのか。
「財布の中に金がなくても礼儀を守ることはできる。
礼儀正しさはいつでもどこでも役立つ貴重品だが、
無料で買える。
生活必需品の中でもいちばん安い。」175
※本当はお金の問題ではないのだが、
お金より大切なものとして、
礼儀があることを忘れないでいたい。
日々の喧騒の中で、お金お金とならないように。
「礼儀作法を教える最初にして最高の学校は、
人格の場合と同じく家庭であり、
そこでは母親が先生である。
一般的意味における社会的マナーは、
よかれ悪しかれ家庭という集団でのマナーの反映にすぎない。」176
※やっぱり家庭が基本。
後からの修正も可能なことですが、
しなくてよい苦労、10倍増し、100倍増しの苦労を
背負わなくてはなりません。
気がついたら、りっぱな礼儀を身につけいていた、
というのがベストでしょう。
「われわれはみな、
ほとんど加工されていない宝石のようなものである。
宝石本来の美しさと輝きを引き出すには、
自分よりもすぐれた人たちとつき合って磨きをかけなければならない。」177
※賛成です。
『才能は力であり、
機転は特殊技術である。
才能はおもしであり、
機転ははずみである。
才能は何をなすべきかを知り、
機転はいかになすべきかを知る。
才能は尊敬に値する人間をつくり、
機転はただちに人びとの尊敬を集める。
才能は財産であり、
機転はすぐに使える小出しの金である。』
(ある評論家)178
※才能と機転。なるほど。
Ⅲ
「洗練された身のこなしを見せても、
心の中は腐り切っているかもしれないし、
一分の隙もない礼儀正しさも、
結局はにこやかなゼスチュアと美辞麗句を
並べ立てただけにすぎないかもしれない。
これとは反対に、
豊かな人間性を持ちながら礼儀を知らなかった人たちも、
時にはいたということを忘れてはならない。」179
※でもしかし、礼儀より大切なものがある。
内実を見落とさない、目を養いたい。
「気品のあるマナー、
礼儀正しい行為、
優雅な身のこなし、
そして人生を美しく楽しくしてくれるすべての芸術は
養成する価値はあるが、
誠実さ、実直さ、
正直などという、
人間としてはもっと基本的なものを差しおいてまで身につける必要はない。
美の根源は目に映るものではなく心の中になければならないし、
もし芸術が美しい人生を生み出さず人格を高揚させるものでもなければ、
あまり役に立っているとは言えない。
丁寧な礼儀作法は、
心のこもった動作を伴わなければ意味がない。」185
※結論。
「誠実な勇気は、
山ほどの優雅さにもまさる。
純粋さは気品にまさり、
心と身体の清潔さには
どんなすぐれた芸術品もかなわない。」185
※誠実さをつらぬくには、勇気がいる。
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