ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より抜粋。
※印は栗木によるコメント。
◆8月3日
「もっとも自然なことは、家庭の生活です。
何が、家族をいっしょにするのでしょう。
何が、いっしょに過ごす家族を育てるのでしょう。
それは、お互いに譲り合うこと、忠実であること、
そして、お互いに受け入れ合うことです。」244
※お互い様。
お互い様で譲りあって、
いたわりあう生き方は、
家族の中でこそ、大切なんだと思います。
でもわりとありがちなのは、
外でがまんしていい顔をし過ぎて、
大切な家族に当たり散らしてしまうことです。
そんな状況になってしまったら、
たとえ仕事を辞めてでも、
家族を取り戻す方をとれるだろうか。
そこから先の生活のことを考えると、
なかなかそれもできない。
まずはお互いに話し合って、
意思疎通を忘れないようにしたいです。
◆8月4日
「もし父親と母親に、
お互いの忠実さと譲り合う心がないなら、
自分の子供たちに忠実を要求するのは、
かなり勇気が要ることでしょう。
今日、わたしたちが抱えている家庭生活の多くの問題は、
ここから出ていると思います。」245
※信じ合い。
何ごとも、自分のことを置いておいて、
きれいごとを話しても、
それは伝わらないはず、
と心得ておきたいです。
むつかしいことかもしれませんが、
まず家庭、まず夫婦を
心がけたいと思います。
◆8月7日
「沈黙は、祈りの美しい実です。
言葉の沈黙だけではなく、
心の沈黙、目の沈黙、耳の沈黙、精神の沈黙、
私が五つの沈黙と呼んでいる、
これらの沈黙を身につけなくてはなりません。
さあ、あなたの五本の指を使って言ってみて、
そして覚えてください。」248
※沈黙がもつ、無限の広がりに。
しゃべりすぎは体に毒です。
これはもともとの自分に戻せばいいことなので、
わたしにはありがたい言葉です。
しずかに、しずかにいることで、
自分を取り戻して、
自分を思い出して、
心身ともに、
笑顔になれるようにしたいです。
◆8月19日
「与えるために、
どれだけ持っているかが問題なのではなく、
わたしたちがどれだけ空っぽであるか、
ということが大切なのです。
空っぽなので、 日々、十分にいただくことができるのです。
自分自身をみつめることをやめ、
何も持っていないこと、
何者でもないこと、
何もできないことを喜びましょう。
あなたの無があなたを脅かすときはいつでも、
イエスさまに、大きなほほえみをささげましょう。」261
※空っぽの私=元気な私
◆8月29日
「死は、自分の家に帰ることですが、
人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
そこには良心の問題もあります。
〈もっとよくやるべきだったのに〉と。
私たちは生きたように死ぬものです。
死とは人生の続きであり、 また、人生を完成させるだけでなく、
体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
死なないのです。」272
※魂を意識する。
◆8月30日
「ご両親へ
子供たちが、自分たちのお父さんとお母さんから、
どのように互いに愛し合うのかを学ぶことは、
とても大切な事です。
学校でではなく、先生からでもなく、あなたがたから。
あなたがたが、
子どもたちと、ほほえみを交わす喜びを共有することも、
とても大切です。
意見の相違はあるでしょう。
どんな家庭にも、辛いときや苦しいときがあります。
そんなときは必ず、まずほほえんでゆるすこと。
いつも朗らかで、幸せでありますように。」273
※朗らかな私。まずほほえもう。
0 件のコメント:
コメントを投稿