2011年6月27日月曜日
森信三『運命を創る』2
森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。
※印は栗木によるコメントです。
※原著『修身教授録』は、
森信三さんが「天王寺師範学校の専任講師として
修身科の授業を担当していた、昭和十二年~十四年の
講義内容を師範学校生徒によって口述筆記させたもの」
がもとになっています。
昭和十五年に同志同行社より『修身教授録』五巻セット
として刊行されたのち、昭和四十五年に『森信三全集』
の中に収録されました。
その後、平成元年に致知出版社から単行本として世に出され、
爾来ロングセラーを続けているものです。
(森迪彦さんによるまえがき参照)
2 志学
「志学 というは、
この自分という一箇の生命を、
七十年の生涯をかけて練りにねり、
磨きにみがいていって、
ついには天下国家をも、
道によって治めるところまで
いかずんば已まぬという一大決心だ」29
※人生の目標を立てる、
ただ立てれば良いわけではない。
ただそうは言っても、
若ければ若いほど、
知らないことばかりで、
先のこともよくわからない状況なので、
なかなか本人にとって
一生の支えとなるような目標は立てられないものです。
おそらくすぐれた先生か、
すぐれた書物の導きがなければ、
立派な人生の目標を立てるところまではいかないうちに、
どんどん年月が過ぎて、いつのまにか
学校で勉強する時期を終了していることの方が多いのではないでしょうか。
それだけに、
若くして、これはといえる
人生の目標が立てられた人は強いと思います。
よい先生は、人との縁で、
そうした出会いに恵まれないことは
あるかもしれません。
でも書物は、少しお金をかければ、
よい書物を家にそろえておくことは出来ると思います。
「永続きしないものは決して
真の力となるものではありません。」31
※確かに、
長く取り組むということは、
根気のいることですが、大切だと思います。
また、何をするにしても、
三日坊主は論外として、
数週間や数カ月ちょっとかじっただけて、
身につく、というものではないでしょう。
何をするにしても、
ある程度身について来るのに
数年はかかるでしょうし、
それなりに結果が出てくるには、
十年くらいは必要でしょう。
そして五年、十年と続いてきたものであれば、
おそらく一生、何だかんだと続いて、
自分の大きな財産になっているでしょう。
「人間の決心覚悟というものは、
どうしても持続するものでないと本物ではなく、
真に世のため人のためには、
なり得ないのであります。」31
※数カ月でやめました、
ということでは、
何ごともかたちになりません。
若い時分に、
そうした経験を二つ三つ持つことは、
仕方がないのかもしれません。
しかしすべてにおいて、
途中で投げ出す癖がつかないようにしたいものです。
「いやしくも人間と 生まれて、
多少とも生き甲斐のあるような人生を送るには、
自分が天からうけた力の一切を出し尽くして、
たとえささやかなりとも、
国家社会のために貢献するところがなくてはならぬ」32
※自分のために、
自分の志を立てる、
それだけでは足りないのではないか。
人さまのために、
世の中のために、
自分は何ができるのか、
それを考えるところに、
本当の始まりがある。
人さまのお役に立つ、
という考え方は、とても大切です。
「自分が天からうけた力の一切を、
生涯かけて出し切るところに、初めて、
小は小なりに、大は大なりに、
国家社会のお役にも立ち得るわけで、
人生の意義といっても、
結局この外にはない」33
※力を出し惜しみして、
何ごとかを成し遂げるのは
無理でしょう。
いつも精一杯のところで勝負して、
力を出し尽くして、ようやく
上手くいくこともある。
ただ、いざ死期をむかえて、
やっぱりああしておけば、
と後悔しても、仕方がありません。
死んだら終わりなので、
日々の生活を精一杯、
後悔しないようにがんばるのみです。
「一方では際限があるようでありながら、
しかも実際には限りのないのが、
人が天からうけた力というものですから、
そこでとことんまで出し切るには、
一体どうしたらよいか」35
※どこかに限界はあるのでしょうが、
事前に自分の限界がわかることはありえません。
限界については、
考えないようにしています。
まずは自分の限界を考えないで、
がむしゃらにやってみるしかないでしょう。
おそらく肉体的な限界は、
割合早めに感じることになるのでしょうが、
精神的な部分は、
日々使い続けている限り、
肉体の2、3倍は長く、
成長を続けていくのではないでしょうか。
とりあえず40が近づいている現状は、
今まででいちばん頭脳は明晰に動いている感じです。
できたら死ぬ直前まで、
どんどんいろんな知的発見を楽しめる人生を送りたいです。
「そのためには、
一体いかなることから着手したらよいかというに、
それには何と言ってもまず偉人の伝記を読むがよいでしょう。」35
※先人の知恵に学ぶ、
という態度は、より強く、
持ち続けたほうが良いのでしょう。
いろいろ読書はしてきましたが、
伝記はそれほどたくさんは読んで来なかったかもしれません。
人への興味を呼び起こし、
自分の人生への足がかりを得るためにも、
伝記は有用だなあ、
と今更ながらに思います。
おそらくあと2,30年は生かしてもらえると思いますので、
まだ遅くない、と思って勉強を続けます。
「偉人の書物を繰り返して読むということは、
ちょうど井戸水を、
繰り返し繰り返し、
汲み上げるにも似ている」35
※これはよくわかります。
良書は、くりかえし読むごとに、
違った味わいで、よい響きを返してくれます。
若い時分に気をつけることは、
悪書も数限りなくある、
というか、悪書のほうが多い、
といえないこともないので、
それなりに選びながら、
良書を読んでいくことです。
「真に教育者の名に値するような人々は、
超凡の大志を抱きながら、
色々と世間的な事情によって、
それを実現するによしない立場に立たされた人傑が、
現実的にはそれを断念すると共に、
どうしても自分の志を、
門弟子を通して達成せしめずにはおかぬ、
という一大願を起こすとこに、
初めて生まれるもののようであります。
孔子しかり、
プラトンしかり、
わが松陰先生またしかりです。」37
※大きな志を恐れてはいけない。
それは多く、壁に突き当たって、
断念せざるを得なくなることが多い。
でも大切なのはそこから、
いかに努力して、現実に適応しながらなお、
志を失わずにがんばり通すか、なので、
壁に当たりそうだから、
無理そうだから、といって、
やってみたいな、と思う志は、
ぜひ捨てないで続けていくようにしたい。
当然そこまでは至らないのですが、
若い一時期、歴史上の偉人に自分を重ね合わせるようなときは、
あってもいいと思います。
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