2011年6月20日月曜日

森信三『運命を創る』1



森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。

森信三さんのことを知ったのは、
致知出版の一連の書籍を通じてです。

正しく生きるとはどういうことなのか、
より深く考えたいときに、とても参考になります。
※印は栗木によるコメントです。

1 人間と生まれて

われわれ人間にとって、
 人生の根本目標は、
 結局は人として生をこの世に受けたことの真の意義を自覚して、
 これを実現する以外にない
」13

※人として生を受けて、
 何かしら人として、人のお役に立つことができて、
 次の世代に伝えて行くことができたら本望だ、
 という視点。

 そんなことを考える間もなく、
 日々の生活をがんばってやりくりしていくのが、
 大方の人で、
 別にそれが悪いわけではない。

 しかしとくに若い時期に、
 こうした話を聞いて、自分は何のためにこの世に生きてきたのだろう、
 と考えをめぐらしておくことは、
 大切なことだと思います。


そもそもいかなる力によってわれわれは、
 かく人間として
 その生をうけることができたのであるか。
」13

※先に、自分があるわけではない。
 でも気がつくと、人間としてこの世に生を受けている。
 何がしかの大きな力の存在に気がつけるといい。


われわれがこの世に生をうけたのは、
 自分の努力などとは全然関わりのない事柄であって、
 まったく自己を超えた大いなる力に催されてのことであります。
」15

※生かされている自分を意識する。
 自分の意志によって、生きているのだ、
 と考えるのは傲慢だと思いたい。

 大きな力によって
 生かされているうちは、
 上手くいかないことばかりでも、
 生き続ける義務がある。


われわれ人間は、
 ひとり自己の生年月日や、
 生まれた場所を知らないのみならず、
 おむつのとれる年頃までも、
 自分の存在については、
 ほとんど知る所がない
」16

※自分とは、あとから獲得されるもの。
 何も知らない状態のところに
 ポンと生まれてきて、
 すべての事柄は、
 あとから獲得されるのである。

 自分のことがある程度わかってくるのは
 かなり年月がたってからで、

 なんかわからないうちに
 生まれていて、なんかわからないうちに
 がんばって毎日を生きて、
 大きくなっていたのが私です。


われわれ人間は自分がここに人間として生をうけたことに対して、
 多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
 真に人生を生きるものと言いがたい
」17

※自分が出しゃばるな。
 自分をここまでしてくれた親兄弟、先生、友人たちに感謝。
 自分をここまで生かしてくれた奇跡に感謝。

 私はそれほどできた人間ではなかったので、
 このことがわかって来たのは、
 だいぶ年をとってからです。


人生そのものの意義を知らなければ、
 人の形をして生まれて来たとはいえ、
 人間として真に生き甲斐のある生き方はできない
」18

※人として生きる。

 自分は何のために生きてきたのかも、
 後から、ある程度の年齢まで一生懸命に生きてきて、
 あるときにふと、気がつくものかもしれません。

 はじめからわかるということはない。
 どうすればわかるのかもわからない。

 わからないままの人も大勢いる。
 それでものすごく不幸になるわけでもない。

 それでも、できることなら、
 自分の人生の意義を自覚した生き方をしたい。


人生の意義を知るには、
 何よりもまずこのわが身自身が、
 今日ここに人間として生を与えられていることに対して、
 感謝の念が起こらねばならぬ
」18

※一日の感謝。
 ありがとうございます。
 ありがとうございます。
 と自然に手を合わせられるか。

 もし、ありがとうの言葉が出てこなくても、
 毎日、お祈りする習慣をつけると、
 自然に、ありがとうございます、
 の言葉が心から出てくるようになってきます。

 お祈りは大切です。
 お祈りをしながら、誰かのことを非難したり、
 恨みつらみを述べたりすることはないでしょう。
 お祈りは感謝の気持ちを呼び起こします。


人身をうけたことに対する感謝の念は、
 昔の人が言った『人身うけがたし』
 という深い感懐から初めて発して来るものと思う
」19

※なにかの縁で、
 人として生まれてくることができた、
 感謝の気持ちを持てるか。

 何かの大きな力が、
 人としての私を生み出した、
 そこに感謝できるかどうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿