2011年9月27日火曜日

【読了】Bisucuit シリーズ① 3冊(ICR My First)


Biscuit
1996年(132語 YL 0.4)



Biscuit Finds a Friend
1997年(130語 YL 0.4)



Bathtime for Biscuit
1998年(149語 YL 0.4)


by Alyssa Satin Capucilli
pictures by Pat Schories
(My First I Can Read Book)


英語の絵本。

I Can Read Book! (My First レベル)のBiscuit シリーズです。

もともとは小学校入学前の児童に、
やさしい本に親しんでもらう意図で出版されているようです。

表紙を見てもわかるとおり、
大変かわいらしい絵にひかれて購入しました。


内容は、ほんの少し助け舟を出せば、
英語をはじめて間もない中1・2の子でも読めるレベルだと思います。

大人が読んでもほのぼのとして、
それなりに楽しめます。1冊ではほとんど効果はないと思い、
他にもまとめて購入しましたので、追って紹介していきます。


文法的には主に、現在形と命令文を用いて書かれていますが、
 助動詞、現在進行形、過去形(不規則変化含む)、不定詞
も所々用いられています。

細かいことを言わなければ、
内容は自然とわかると思います。


※YL(読めみやすさレベル)については、
 古川昭夫 編『めざせ!100万語 読書記録手帳』
 (第6版、2010年4月)を参照しました。

2011年9月26日月曜日

【読了】Mark Twain, The Adventures of Huckleberry Finn (MMR Beginner)

やさしい英語の本、
MMRのシリーズ4冊目は、
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』を読みました。



Mark Twain
The Adventures of Huckleberry Finn

Retold by F.H. Cornish
(Macmillan Readers Beginner Level)


2000年刊(8,621語)


『トム・ソーヤの冒険』のときと違って、
事前に読んだことがなかったのですが、
とくに滞ることもなく、すらすら読み通すことができました。

若干知らない単語も出てきましたが、
1頁につき1,2語あるかないか、という感じだったので、
前後の関係で大体意味がつかめるレベルでした。

リトールド版は、
長くても1週間くらいで1冊読み終えることができるので、
原著を読む前に、大体のふんいきをつかめるのが良いところです。

邦訳をまだ手に入れていないので、
すぐに購入できるものを調べてみました。

 村岡花子 訳(新潮文庫、昭和34年3月。改版)
 吉田甲子太郎 訳(偕成社文庫、昭和51年11月。改訂版。上下巻)
 西田実 訳(岩波文庫、昭和52年8・12月。上下巻)
 滝平加根・斉藤健一 訳(講談社青い鳥文庫、平成8年9月。上下巻)
 大塚勇三 訳(福音館古典童話シリーズ、平成9年10月。上下巻)
 大久保博 訳(角川文庫、平成16年8月)

どれか読みやすそうなものを選んで、
読んでみようと思います。簡略版を読んでの感想は、
小中学生のときに『トムソーヤ』と合わせて読んでおきたかったなあ、と思いました。

冒険話にハラハラどきどきできるうちに出会えると、
アメリカという国が大好きになるのではないでしょうか。


※計4冊 34,404語

2011年9月22日木曜日

松原泰道『法句経入門』2章 集諦 (下)

松原泰道『釈尊のことば 法句経入門』
(祥伝社新書、平成22年3月。初出は昭和49年)

※正直なところ、第2章は、
 私(栗木)とって少し雑然としておりました。
 しばらく時間をおいてから、
 改めて読み返したいと思います。


第2章 集諦(じったい)―無常と執着を乗り超える

(承前)


若きとき
 身をつつしむ行ないを積まず
 財(たから)を貯(たくわ)えざれば
 彼は亡(ほろ)びゆくなり
 餌(え)のなき池をまもり
 老いゆく白鷺(しらさぎ)のごとくに
』(一五五)122

「若いとこに自分の心身の整備を怠ると、
 のちに自分自身を亡ぼすぞとの語りかけです。」124

「現代人は、持ち前の目先の賢さで、
 若いときからせっせと財産づくりに勤勉です。
 しかし『身をつつしむ行ない』を積むことには、
 すこぶる弱い。」124

「老境の生活の貧しさを保護する社会福祉の途はあっても、
 老いて心の貧困なのは救いようがありません。」124


不放逸(ふほういつ)は
 不死への道なり
 放逸(ほういつ)は
 死への路なり
 不放逸に 死はなく
 放逸は 死せるにひとし
』(二一)123

※放逸(ほういつ)とは、煩悩(ぼんのう)すなわち、
 私たちの心身を悩ませ乱す精神作用のままに行動すること。
 不注意な生き方。恐れるものを持たぬ木目の荒い生活態度。
 ただ外から刺激され誘われるままに、あちらこちらと転々し、
 あれこれとつまみぐいする散漫な生き方。
 (125・126頁を要約。)


※不放逸(ふほういつ)とは、注意深い生き方。
 目に見えぬ存在を畏れ敬う木目の細かい生活態度。
 身も口も意も慎む上にも畏れ慎んで歩くこと。
 (126・127頁を要約。)


「赤ん坊を抱くときのあの綿密さで、
 雑然としたわが心を看まもれ」127



心は
 光のゆらぐごとく動き
 持(たも)ちがたく 調(ととの)えがたし
 賢(かしこ)き人は
 よく自(みずか)らを正す
 匠(たくみ)の箭(や)をよく
 直(なお)くするがごとし
』(三三)128


※心は環境のまにまに、ころころと転じつづける。
 心の転じてゆく、好ましくない行き先は6ヵ所ある。

 それは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六道(六趣)である。


 憎しみや怒りが盛んになるのが「地獄」であり、
 それは自己愛から生まれる。

 欲深く、けち臭くなり、嫉んだり妬いたりするのが「餓鬼」であり、
 それは我欲から生まれる。


 弱肉強食。適者生存。
 そのためには他を殺すことすら平気となるのが「畜生」であり、
 それは本能から生まれる。

 争いが生活の一部となるのが「修羅」であり、
 それは闘争心から生まれる。


 心の暴走がふと止まったとき、
 息をのんで現場にたたずみ、
 苦しみ、悲しみにくれる瞬間が「人間」である。
 平常心。それは一瞬の静寂である。

 苦を苦と自覚しないで、
 エゴ的な、かりそめの安楽を求め、
 空想にただようのが「天上」である。
 

 天上で、我愛のままにふるまうことで、
 他と争い、憎しみあって、ふたたび地獄に戻る。
 これが「六道輪廻」である。

 これらすべては人間の自主的に営む「業」
 すなわち、私たちの身体と口と意が行う善悪の行為、
 によって生まれる。運命・天命は関係ない。

(以上、129~132頁要約)

2011年9月18日日曜日

【読了】Mark Twain, The Adventures of Tom Sawyer (MMR Beginner)

やさしい英語の本、通算3冊目、
Macmillan Readers の Beginner Level 3冊目は、

アメリカの小説家
マーク・トウェイン(1835生 1910没)の
名作『トムソーヤの冒険』(1876)を読みました。




Mark Twain
The Adventures of Tom Sawyer

Retold by F.H.Cornish
(Macmillan Readers Beginner Level)

1997年刊(7,682語)

日本人にも良く知られたアメリカ文学の傑作。

ただし私の記憶をたどれば、
アニメの記憶がうっすら残っているものの、
実際にこの作品を読み通した記憶がありません。

時折、読んでみようと思い立ち、
訳本を買ってきて読んでみて、
途中で挫折することのくり返しでした。

今回はさすがに
手短にやさしくまとめられていますので、
あっという間に読み終えていました。

それなりに楽しく、
ああそういえば、こんなあらすじだったな、
と昔を思い出しました。

美しい表紙の写真も印象的でした。

邦訳は数えきれないくらい出ていますが、
私の教室には、

飯島淳秀 訳(講談社青い鳥文庫、平成元年7月)

が置いてあります。

本屋でいくつか読み比べた上で、
一番しっくり来たのが飯島さんの訳だったのと、
青い鳥文庫のシリーズは、総ルビになっていて、
小学生にも読みやすいと思ったからです。

楽しい作品には違いないので、
いずれは原著を読めるように、訳本にも親しんでおきたいと思います。


※計3冊 25,783語。

2011年9月17日土曜日

【読了】中川八洋『地政学の論理』

読み終えました。



中川八洋『地政学の論理―拡大するハートランドと日本の戦略』
(徳間書店、平成21年5月)


これは、かなり重厚な内容で、
仕事が忙しいときには読みきれなかったので、
「積ん読」状態になっていた1冊です。

第1・2章で、
英国の地理学者ハルフォード・マッキンダー卿(1861-1947)と、
オランダ系米国人の国際政治学者ニコラス・スパイクマン教授(1893-1943)
に代表される英米系の地政学の流れを読み解きます。

第3章で、
世界的な海軍史家アルフレッド・セイヤー・マハン(1940-1914)の
日本にとって有用な読み方を提示し、

第4章で、
カール・ハウスホーファー(1869-1946)に代表される、
独系地政学の問題点を整理し、日本への悪影響を論じます。

第5・6章で、核抑止の問題から、
第2次世界大戦後にアメリカがとった核戦略の流れを論じます。
ジョージ・ケナン、キッシンジャーへの批判が有用です。

そしてここまでの分析をもとに、

第7・8章で、
英米系地政学を是とする立場から、
日本の近代外交史を批判的に振り返っていきます。

日本にとって、
なぜ親露・親中国の路線が危険であり、
親英米の路線を選択せざるをえないのかが、

地政学の側面から、説得力をもって語られており、
非常に勉強になりました。


豊富な参考文献も非常に勉強になるので、整理してみたら、
この手の一般書では考えられないくらい充実したものになりそうです。
うまく整理できたらアップします。

ぜひマッキンダーとスパイクマンの主著を読んでおきたい、
と思ったものの、邦訳が簡単に手に入るのは、

 ハルフォード・ジョン・マッキンダー著、曽村保信 訳
 『マッキンダーの地政学 ― デモクラシーの理想と現実』
  (原書房、平成20年9月。曽村訳の初出は昭和60年2月)

 ニコラス・J・スパイクマン著、奥山真司 訳
 『平和の地政学―アメリカ世界戦略の原点』
  (芙蓉書房出版、平成20年5月)

の2点のみでした。しかもスパイクマンのほうは、
没後に秘書がソ連寄りに改ざんした上で出版した可能性の高いもので、
素人には扱いのむつかしい1冊です。

スパイクマンの主著
『世界政治における米国の戦略 ( America's Strategy in World Politics)』
は未邦訳です。

それならば、ぜひ原著で読めるだけの英語力を磨き上げたいと思っております。

今回も、非常に勉強するところの多い1冊でした。
やはり、中川さんの知力は半端ではありません。

知らない本がわんさか出てきましたので、
手に入るものは自分でも手に入れて、勉強していきたいと思います。

2011年9月16日金曜日

【紹介】バーネット 『秘密の花園』(土屋京子 訳)

光文社古典新訳文庫には、
他にもいくつか面白かった本があるので、
紹介していきます。



フランシス・ホジソン・バーネット著、土屋京子 訳
『秘密の花園』(光文社古典新訳文庫、平成19年5月)

バーネットは、
1849年にイギリスで生まれ、
アメリカで活躍した小説家です。

『小公子』(1886)
『小公女』(1905)
『秘密の花園』(1909)

がよく知られていますが、
私はこれまで読んだことがなかったので、
新鮮な感動とともに読み終えることができました。

傷つき、ひねくれ、
後ろ向きに考える習慣が染みついた状態から、
人はどのように復活しうるのか、

土とのふれあい、
植物、動物とのふれあいから、
人の心がどのように癒され、
明るく前向きな生き方を取り戻しうるのか、

自然の描写もたいへん美しく、
とても感動させられました。

邦訳は、他に入りやすいものを探してみると、

 瀧口直太郎 訳(新潮文庫、昭和29年1月)
 茅野美ど里 訳(偕成社文庫、平成元年10月。上下2冊)
 猪熊葉子 訳(福音館文庫、平成15年6月。初出は昭和54年10月)
 山内玲子 訳(岩波少年文庫、平成17年3月。上下2冊)

などがあるので、また機会があれば、
読みなおしてみたいと思います。

いずれ英語の原文でも楽しみたい、と思っています。

2011年9月15日木曜日

【読了】Thomas Hardy, The Trumpet-Major (MMR Beginner)

やさしい英語の本、
MMRのシリーズ、
2冊目はこれを読みました。



Thomas Hardy
The Trumpet-Major

Retold by John Escott
(Macmillan Readers Beginner Level)
1999年刊(9,412語 YL1.6)


邦訳はないものと思っていたのですが、
あとで調べてみると、入手困難ですが、

トーマス・ハーディ著、藤井繁・川島光子訳、
『らっぱ隊長
― ジョン・ラブデイ、ナポレオン戦争の一将兵と弟のロバート、商船一等航海士』
(千城、昭和54年10月。496頁)

というものがありました。

さらに現在、全16巻(19冊)からなる
トーマス・ハーディ全集(大阪教育図書)が企画されていて、
『らっぱ隊長』の新訳(玉井章さん)が2012年秋に配本予定となっています。

「イギリスの国民的大小説家・大詩人」と銘打たれていて、
イギリス文学を専門にされている方にとっては周知の作家であるようです。

こういう事実を知ると、
また別に興味がわいてくるものですが、

正直に告白すれば、
やさしく書き直してあるからかもしれませんが、

イギリス版の昼ドラを見ているようで、
作品の内容そのものよりは、そこに描かれている
19世紀初めのイギリス社会の雰囲気が興味深かったです。

はじめに著者の小伝と作品のあらすじもまとめてあり、
読みやすい1冊でした。

ちなみにハーディは、
1849年6月20日に生まれ、1928年1月11日に亡くなったそうです。


※YL(読みやすさレベル)については、
 古川昭夫 編『めざせ!100万語 読書記録手帳』
 (第6版、2010年4月)を参照しました。

※計2冊 18,102語。

2011年9月13日火曜日

【紹介】ブロンテ 『ジェイン・エア』(小尾芙佐 訳)

数年前に、
少し時間の余裕ができたときに、
本屋で偶然手にとって読んでみたところ、

思いのほか面白くて、最後まで一気に読み終えていました。





シャーロット・ブロンテ著、小尾芙佐 訳
『ジェイン・エア(上・下)』(光文社古典新訳文庫、平成18年11月)


ジェイン・エアの半生を描いた作品ですが、
シャーロット・ブロンテの自伝的小説でもあるそうです。

女性の内面的な心理を細かく描写してあり、
所々で意外な場面展開も用意してあって、
今読んでもとても新鮮な、作品だと思います。

恋愛小説でもありますが、
退廃的なところはなく、あくまで前向きな、
強い女性の生き方が描かれており、
かなり共感を持って、読み終えることが出来ました。

邦訳には、かねてから定評のある邦訳として、
大久保康雄 訳(新潮文庫、初出は昭和24年)があり、
他にも多数出ているようなので、また暇があれば、
読んでみようと思います。

映画化も何度かされていて、
一番はじめのもの(昭和19年)を観ましたが、
さすがに少し時代がかった感じで、私には今ひとつでした。

シャーロットの妹、
エミリー・ブロンテも作家で、
有名な『嵐ヶ丘』を書いています。

白黒の映画(昭和14年)を観て、
こちらはまずまず感動できたのですが、
小説の方はまだ読んでいません。

どちらも英語で書かれているので、
いずれは原文で、と考えると、英語の勉強も楽しくなります。

2011年9月12日月曜日

【読了】Charlotte Brontё, Jane Eyre (MMR Beginner)

MMRのシリーズ、
1冊目です。

4、5日で読み終えました。



Charlotte Brontё
Jane Eyre

Retold by Florence Bell
(Macmillan Readers Beginner Level)

1998年刊(8,690語 YL1.6)


シャーロット・ブロンテさんの
名作『ジェーン・エア』(1847年)をやさしい英語で描き直したものです。

恐らく公立高校の1、2年生のお子さんで、
英語を苦手にしていなければ、ふつうに読み通せるレベルだと思います。

はじめにブロンテさんの小伝と、
作品の大まかな紹介もついていて、読書の助けになります。

この小説、
私は30半ばを過ぎるまで知らなかったのですが、
光文社古典新訳文庫から新訳がでたときに読んで、
強い感銘を受けたことを覚えています。

イギリスの恋愛小説の古典的な存在のようです。
色々と驚かされる仕掛けもあって、やさしく書き直されていますが、
それなりに楽しめました。


※YL(読みやすさレベル)については、
 古川昭夫 編『めざせ!100万語 読書記録手帳』
 (第6版、2010年4月)を参照しました。

【紹介】古川昭夫『英語多読法』



古川昭夫『英語多読法』
(小学館101新書、平成22年6月)


これから月に何冊かずつ、
子ども向けの洋書を読んで、良かったものを紹介していきます。

きっかけとなったのはこの1冊です。

古川さんのこの本は、
昨年出版されてすぐに読んで、
かなり大きな影響を受けつつあります。

英語の本は、
子ども向けのものから段階を追って読んでいけば、
自然に、難しいレベルにまで到達できる、

という提言。なるほどなあ、と思いました。
そして、

インターネットが発達したことで、
日本にいながらにして、簡単に、
子ども向けレベルの洋書を購入できる、

という指摘にも、目を見開かされました。

昨年のうちに
「英語多読研究会」のホームページを介して、
いくつか洋書のセットを購入してみましたが、

個人で購入するには少し値段が高いのと、
自分ではあまり興味がない本も混じっていることから、
続きませんでした。

本を読むのが大好きな私ですが、
本ならば何でも良いわけではなく、
むしろ自分なりのこだわりは大きい方なので、

古川さんのホームページに頼りつつ、
自分でAmazonなどの情報を調べつつ、
これはというものを1冊ずつ読んでいくことにしました。


1,2ヶ月で終わってしまわないように、
読み終わったものから、このブログで紹介していきます。

2011年9月6日火曜日

スマイルズ『向上心』第5章(上)



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。

第5章 よい人間関係をつくる


人の立ち居ふるまいは、
 ある程度その人の人格をあらわすものだ。
 心の奥にひそむ本質を外の世界に向かって説明してみせるものであり、
 その人がこれまで過ごしてきた社会的環境をはじめ、
 趣味や感情、そして気性などがそれによってわかるのである。
」167

※立ち居ふるまいに、
 自分の人格がにじみ出て来る。
 それだけ、外の世界に自分をさらすのは
 怖いことです。
 でもしかし、人に見られるのが嫌だから、
 ひきこもってしまおう、という選択肢は
 現実的でないわけですから、
 ほどほどにその怖さを自覚しながら、
 前を向いて、正直に、一歩ずつ生きていくしかないのでしょう。


気品のある礼儀は、
 洗練された精神には欠かすことのできない
 感受性とでもいうようなものから導かれてくるものである。

 この観点から見ると、
 感受性は才能や学問に負けないほど大切なものであり、
 人間の趣味や性格を決定するうえでは
 その二つよりも影響力が強いとさえ言えるかもしれない。
」168

※感受性を育てること。
 よいセンスを身につけること。
 それは一般に、流行に乗ることと言い換えても、
 それほど間違いではないのでしょう。

 世間にもまれながら生きていくほかないのが
 人の定めである以上、ある種の社会の波をつかむことは、
 生き残ろためにどうしても必要なのだと思います。

 でもしかし、目指すのは、
 軽薄に近づくことではありません。

 自らの精神を瑞々しく保つため、
 明るく朗らかな人生を自ら歩むため、
 感受性、という観点は忘れないでいたい。 


思いやりの気持ちは、
 他人の心を開く黄金の鍵である。
 相手を思いやれば、
 それが物腰の柔らかな礼儀正しさとなって自然に表われるだけではなく、
 相手の心を見抜く洞察力を与え、
 知恵をも広げてくれる。
 思いやりの気持ちは
 人間性の美しさの中でも最高のものと言っていいだろう。
」168

※思いやりの心。やさしい心。
 それは健康な心。


礼儀正しさとは美しい行為以外の何ものでもない。
 『美しい姿は美しい顔にまさり、
  美しい行為は美しい姿にまさる。
  美しい行為はすぐれた彫刻や肖像画よりもわれわれに感銘を与える。
  すなわちそれは最高の芸術作品なのだ』
 とは、よく言ったものである。
」169

※かたちも大切。
 かたちだけが大切、なのではないが、
 かたちも、大切です。


しかし、
 美しさを超えた本当の礼儀正しさは
 誠意から生まれる。
 心の底からほとばしり出たものでなければ、
 感動も薄い。
 誠実さのない礼儀などはあり得ないのだ。
」169

※心のこもっていない礼儀正しさは、
 相手につたわらない。
 かえって相手に失礼なことだと心得る。


礼儀正しさは親切心である。
 他人の幸せをいつも考え、
 不愉快な思いをさせたりするような行いは
 けっしてしないことである。
 それは他人に対して親切であるばかりか、
 自分も感謝の気持ちを忘れず、
 やさしい行為を素直にありがたく思うことでもある。
」170

※他人の幸せを願うこと。
 自分ではなく、他人を。
 自分ではない。



心くばりとは、主として他人の人格を尊重することである。」170

※自分を捨てなさい、という教えを、
 学校では聞いた覚えがありません。


『悪意とひねくれ根性の二つは、
 人間が持っているぜいたく品の中でも
 いちばん高くつくもの』である。
」171

※悪い性格は、意志の力で治していきたい。


育ちのよさと悪さがはっきりと表われるのは、
 その人が人間関係を保っていくうえで、
 いわゆる自己犠牲の精神をどれくらい発揮できるかによる
 といっても過言ではない。
」172

※ここまで具体的にいってもらえると
 ありがたいです。


すなわちおそらく無意識にであろうが、
 彼は金持ちにも貧乏人にも、
 召使であろうと客として招いた貴族であろうと、
 まったく同じような思いやりのある明るい愛情のこもった態度で接した。
 おかげで、どこへ行っても彼は人びとに幸せをもたらし、
 自分も幸せになった。

 (宗教家キングスレーの語る、シドニー・スミス)174

※心配りのできる人が、周りに何をもたらすのか。


財布の中に金がなくても礼儀を守ることはできる。
 礼儀正しさはいつでもどこでも役立つ貴重品だが、
 無料で買える。
 生活必需品の中でもいちばん安い。
」175

※本当はお金の問題ではないのだが、
 お金より大切なものとして、
 礼儀があることを忘れないでいたい。
 日々の喧騒の中で、お金お金とならないように。


礼儀作法を教える最初にして最高の学校は、
 人格の場合と同じく家庭であり、
 そこでは母親が先生である。
 一般的意味における社会的マナーは、
 よかれ悪しかれ家庭という集団でのマナーの反映にすぎない。
」176

※やっぱり家庭が基本。
 後からの修正も可能なことですが、
 しなくてよい苦労、10倍増し、100倍増しの苦労を
 背負わなくてはなりません。
 気がついたら、りっぱな礼儀を身につけいていた、
 というのがベストでしょう。


われわれはみな、
 ほとんど加工されていない宝石のようなものである。
 宝石本来の美しさと輝きを引き出すには、
 自分よりもすぐれた人たちとつき合って磨きをかけなければならない。
」177

※賛成です。


才能は力であり、
  機転は特殊技術である。
 才能はおもしであり、
  機転ははずみである。
 才能は何をなすべきかを知り、
  機転はいかになすべきかを知る。
 才能は尊敬に値する人間をつくり、
  機転はただちに人びとの尊敬を集める。
 才能は財産であり、
  機転はすぐに使える小出しの金である。

  (ある評論家)178

※才能と機転。なるほど。



洗練された身のこなしを見せても、
 心の中は腐り切っているかもしれないし、
 一分の隙もない礼儀正しさも、
 結局はにこやかなゼスチュアと美辞麗句を
 並べ立てただけにすぎないかもしれない。

 これとは反対に、
 豊かな人間性を持ちながら礼儀を知らなかった人たちも、
 時にはいたということを忘れてはならない。
」179

※でもしかし、礼儀より大切なものがある。
 内実を見落とさない、目を養いたい。


気品のあるマナー、
 礼儀正しい行為、
 優雅な身のこなし、
 そして人生を美しく楽しくしてくれるすべての芸術は
 養成する価値はあるが、
 誠実さ、実直さ、
 正直などという、
 人間としてはもっと基本的なものを差しおいてまで身につける必要はない。

 美の根源は目に映るものではなく心の中になければならないし、
 もし芸術が美しい人生を生み出さず人格を高揚させるものでもなければ、
 あまり役に立っているとは言えない。
 丁寧な礼儀作法は、
 心のこもった動作を伴わなければ意味がない。
」185

※結論。


誠実な勇気は、
 山ほどの優雅さにもまさる。
 純粋さは気品にまさり、
 心と身体の清潔さには
 どんなすぐれた芸術品もかなわない。
」185

※誠実さをつらぬくには、勇気がいる。

2011年9月1日木曜日

松原泰道『法句経入門』2章 集諦 (中)

松原泰道『釈尊のことば 法句経入門』
(祥伝社新書、平成22年3月。初出は昭和49年)


第2章 集諦(じったい)―無常と執着を乗り超える


(承前)



愚人は
 いたずらに利益と名誉を追う
 家(うち)にあっては
 みずから 嫉みを起こし
 外にあっては
 奉仕を求めて やまず』(七三)102


お金がすべて、序列がすべて
 という生き方では、組織のなかで、
 嫉妬の鬼となって、自滅への道を歩みがちです。


 組織の外に出ても、
 自分がエライかのように思い上がって、
 みずから争いの種を作りがちです。


 大切なのは、
 私もただの愚人であることを、
 深く知ることだと思います。


人間の悪しき心を描いたのが、地獄の思想。
 源信の労作『往生要集』に詳しく描かれています。
 (以上、松原氏の本文を要約)




『いま歩いている道が、
 そのまま地獄に通じる道であり、
 あるいはそのまま地獄に変わる、
 そういった現象がうかがわれる』
 (石田瑞麿『悲しき者の救い』)105


「私は、人間は誰しも地獄の中に生きるとともに、
 誰もが地獄を自分の身に持っていると思います。」105


「地獄界は『憎しみや他を審(さば)く
 身・口・意の三業(略して業)の営みの成果』で、 
 憎しみをもととして他を審(さば)く生き方をするかぎり、
 私たちは地獄以外に行く先はないのです。」106


「地獄を、
 未来にだけ考える必要はないのです。
 むしろ現在の自分の生きざまに、
 自分の誕生前歴を読みとるべきです。
 地獄で象徴される人間の底にひそむ、
 どす黒い強烈な生命欲(無明という)が、
 現実の人間を苦しめるのです。
 地獄は結果であるとともに、
 原因となるものです。」108


地獄について学ぶことは、
 自分の心にひそんでいる悪の数々を学ぶことに等しい。
 この示唆はたいへん勉強になりました。
 『往生要集』は前から気になる書物なので、
 今後、手元に置いて、味読したいと思っています。





悪を
 ふたたびなすなかれ
 悪の中に
 楽しみを持つなかれ
 悪の蓄積は
 堪(た)えがたき苦痛と
 なればなり』(一一七)109


小悪を
 軽んずるなかれ
 水の滴(したた)り微(び)なりとも
 ついによく
 水瓶(かめ)をみたすべし』(一二一)109


悪を遠ざける、知恵をもつ。
 まず小悪を軽んじないこと。


「私たちは、
 盗みとか殺しとかいう身体でする悪業(あくごう)には、
 深い悔いを持ちますが、
 口でする悪には、
 それほど痛みを感じません。
 実はそれだけに過ちを重ねやすいのです。」110




『わたしは若いころからこわいものばかりでした。
 地震・雷・火事・親爺といいますが、
 まだまだほかにも恐ろしいものがたくさんあります。
 しかし、このこわいものや恐ろしいものがあるから、
 今日まで正しく生きてこれたのです。
 こわいものがあるのは、しあわせです。
 今のお方には、こわいものが何もないのがお気の毒です。』
 (小泉信三先生の、ご友人の言葉)111


こわいものがあると、
 悪から遠ざかりやすくなる。
 なるほどなあ、と思います。
 若いころのわたしには、
 あまり怖いものがなかったように思います。
 でも意図して、こわいもの、
 畏怖すべきものをもつように心がけてからのほうが、
 心穏やかな生活を送れるようになって来たように思います。


「地獄の図絵は、
 私たちの心に秘められている未発の多くの悪を、
 あらゆる角度から展示しているのです。
 今はそうではないが、
 いつかはこれらの悪が爆発するに違いないと、
 自分自らに予言して、
 事実とならぬようにつつしむのです。」113


『道を求むるものには“後で”ということはない。
 気のついたらそのときに清めることだ。』
 (京都の東福寺に住した高層・鼎州〔ていじゅう〕)113





心 恣(ほしい)ままなる人には
 愛欲の枝葉(えだは)は
 日増しに茂らん
 林中(りんちゅう)に果実(このみ)をむさぼる
 猿(ましら)のごとく
 情念は
 猛(たけ)りおどらん』(三三四)114


※源信の設定する第三の地獄「衆合地獄」が頭に浮かぶ(松原)。


愛欲がときに罪に結びつくことは、よくわかります。
 愛欲がなければ、生命をつむいでいくこともないわけですが、
 ときに、苦しみに結びつくこともまた事実です。


「ただ機会がないだけで、
 いつ暴発するか予測できない愛欲の不発弾を持つのが、
 人間であることを学ぶべきです。
 これらの地獄で示される人間感情が、
 苦の原因です。」117





手に傷なくば
 毒を持つべし
 傷なきものを
 毒は害(そこな)わず
 悪心なきものを
 邪悪は 犯(おか)し得ざるなり』(一二四)118


「手に傷がなければ、
 手は冒されません。」118


しかし、手に傷があるのは、
 現実の世界に生きている限り、
 避けることができません。


「私たちの周囲は病毒と害悪でいっぱいです。
 つねに毒にさわり、
 悪に触れなければ生きられません。
 それに私たち自体が、
 心身ともに傷だらけです。」119


「毒に侵されぬ無傷の手を持つものはない」120


人は皆、
 生きているかぎり、
 手に傷を作り、
 その傷から毒がまわって、
 苦しむことは避けられない、


 じゃあ、どうするべきか。
 解決は容易でありません。
 でも、容易でないことを知ることが、
 まずは大切です。

松原泰道『法句経入門』2章 集諦 (上)

松原泰道『釈尊のことば 法句経入門』
(祥伝社新書、平成22年3月。初出は昭和49年)

第2章 集諦(じったい)―無常と執着を乗り超える

前章において、
 『人生の様相は苦が実情である』と、
 その実態を知りました。
 その苦も感覚に止まらず、
 苦が人生の事実であることが明らかになりました。
 すなわち『苦諦(くたい)』を学びました。
」89

ここでは『人生の苦の原因』を学ぶことになります。
 苦が起きる原因の真理を『集諦(じったい)』といいます。
 『集』は『ものが集まり起こるための原因』です。

 この原因は、
 大きく渇愛(かつあい)と無常に分けられる
」89

 ※苦は現にそこにあるもの。
  避けがたく、また受け入れる他ないものです。
  なぜ人が苦しむのか、
  考えたから、苦しみがなくなるわけではありません。
  しかし、その原因がわかることによって、
  苦しみが少し軽くなるのも事実です。

  渇愛と無常、の二つの心のもちようが、
  苦をもたらす大きな要因になっていることについて、
  考えを深める一章です。


強欲(ごうよく)にたとうべき烈しき
 火はなく
 怒りにくらぶべき強き
 握力(あくりょく)はなく
 愚痴(ぐち)になぞらうべき細かき
 網(あみ)はなく
 愛欲にまさる疾(はや)き
 流れはなし
』(二五一)88

渇愛というのは、
 私たちがいたるところで、
 悦楽を欲求してやまぬ心の渇(かわ)きの現象です。
 その渇きの現われの一つが強欲(貪り むさぼり)で
」す。

心が渇いているから、
 火は燃えさかるばかりです。
 あらゆるものを焼きつくします。
」89

渇愛は、満たされないと憎しみに反転します。
 憎しみはさらに怒りとなって爆発します。
」89

渇愛は、また愚痴(妄想 もうそう)に変身します。
 『妄想』とは、真実でないものを真実と誤認すること。
 すべてを誤解で包んでしまう。
」89

 ※渇愛とは「心の渇き」です。
  心の渇きが、
   強欲、憎しみ、怒り、愚痴、妄想、愛欲
  に転じるとき、大きな苦の要因となるわけです。
  しかし心が渇くのは、
  我々がふつうに生きているあかしでもありますので、
  解決は容易でないことがわかると思います。


平生は、みんなが善人なんです。
 少なくとも、みな普通の人間です。
 それが、いざというまぎわに変わるんだから、
 恐ろしいんです―
』(夏目漱石『こころ』)91

“善人”のどこかに、
 どす黒い渇愛がひそんでいるのです。
 それが、ときとして火を呼び水を招き、
 死を求めて止まないのです。
 自分をも他人をも、
 苦しめずにはおかないのです。
」91

 ※誰でもの心に、
  渇愛がひそんでいる。
  これはよくわかることではないでしょうか。



よき師に
 終身(しゅうしん)学びて
 学ばざるあり
 匙(さじ)の汁(しる)に浸(ひた)って
 風味(あじ)を知らざるに似たり
』(六四)92

われ以外は、みなわが師なり』(吉川英治氏)94

人間は傲慢になると、
 自分の周囲の師が見えないのです。
 会っていながら会っていない
」94

人間をよく凡夫といいます。
 『凡夫』は無知の人ではありません。
 何もかもよく承知しながら、
 なお愛着に迷うのが、凡夫であり人間です。
 そこに、知識とは別に、
 知恵を覚ましてくれる師や教えが求められるのです。
」95

 ※良き師に出会うこと。
  いわゆる学校の先生だけを思い描いていると、
  それはごくまれにしかないことのように思われます。

  しかしもう少し視野を広げて、
  人間とは限らない、動物、植物、大自然をも
  わが師である、と考えると、

  様々な自分の苦しみを解き放ってくれる
  わが師はどこにでもいることがわかります。

  またそうした師を多くもつことは、
  とかく傲慢に陥りがちな自分の心を修正していく上で、
  とても大切なことのように思われます。


人間をじんかんと読むとき
六道(りくどう)の中の
 地獄・餓鬼・畜生・修羅と天の『間』に『人』が置かれています。
」95

私は、一日のうちに幾度も
 怒ったり憎んだり短気を起こす『地獄』の世界から、
 あつかましい欲望に狂う『餓鬼』、
 本能を逞しくする『畜生』の世界の間をさ迷います。
 さらに他と争う『修羅』、
 はては根無草のような淡い快楽や幸福に有頂天になる
 『天』の世界の間をうろつきまわります。
」95

『人』は『間』を苦しむとともに、
 『間』を考える存在でもあります。
」96

 ※人の心は弱いもの。
  地獄から飢餓、畜生から修羅、天へと
  目まぐるしくうつろいゆくもの。
  独善的な状況に陥らないためにも、
  わが師をもつことが必要だ。


“袖触れ(振りとも)合うも多生(他生とも)の縁”
多生の縁とは、
 私たちがこの世に生まれるずっと前から幾度も生まれ変わる、
 その間に結ばれた数多くの因縁で『宿縁』ともいいます。
」96

現代人は、隣人はもとより、
 血縁者にもことさら無関係をよそおいます。
 宿縁どころか、
 明瞭な現在の縁をも無視し、断ち切ろうと、
 無作法の態度に出ます。
 他者に関心を持つときは、敵対関係におきます。
 そして、最後には孤独の苦をかこつのです。
」97

人が『人間』であるためには、
 この『間』を豊かに結びあうことにある、とわかると、
 『人間』の言葉にずしりとした重さを感じます。
」97

 ※宿縁で結びつく人、動物、植物、自然に対して、
  その縁を大切なものとして、すくいとれるかどうか。
  たくさんのわが師に導かれることで、
  苦しみを減らしていく人生でありたい。



骨もて
 この城はつくられ
 血と肉もて 固められたり
 中には
 老いと死と
 いかりと傲慢(おごり)とが
 蔵(かく)されたり
』(一五〇)98

釈尊は、人体は
 『地・水・火・風・空の五大より成る五大成身』と考えます。
 『大』とは要素の意味です。
 地大は、髪・毛・爪・歯・骨。
 水大は、唾液・血液などです。
 火大は体温。
 風大は手足の動き。
 空大は、空間です。
」99

地・水・火・風・空の五大の特質はそれぞれ
 堅・湿・煖(熱)・動・無礙(障害のないこと)とされます。
」99

私たちの五体は、
 五大五輪が因縁法により出会って構成されているだけであるから、
 因縁が解けると、五大五輪も分散します。
 心もまた変わりつづけます。
 心身ともに無常です。
 この無常を苦とする感情、
 無常感が原因となって、
 人生を思い悩むのです。
」100

風化を悲しむ私たちもまた、
 無常の存在にほかなりません。
 この無常感が人生に苦を呼ぶ原因の一つに教えられるのです。
 さらに、このはかない自分の存在を忘れて、
 『いかりと傲慢』に身を焼き、
 さらに苦を深める
」101

 ※無常感は、家族から離れて、
  ひとりになるとわかります。
  これはつらい。

  家族との密接な関係はそれ自体、
  苦につらなる側面がありますが、
  いったん家族からまったく離れた生活を送ってみると、
  その孤独に、
  人はなかなか耐えられるものではありません。