2012年12月31日月曜日

【読了】Frances Hodgson Burnett, Little Lord Fauntleroy (OBW1)

やさしい英語の本、通算36冊目、
Oxford Bookworms Stage1 の5冊目、

イギリス生まれの作家
フランシス・ホジソン・バーネット(1849.11-1924-10)の
名作『小公子』を読みました。

バーネット37歳のとき(1886年)の作品です。


Frances Hodgson Burnett
Little Lord Fauntleroy

Retold by Jennifer Bassett
(Oxford Bookwoems の Stage1)
2009年刊(7,250語)

先に翻訳を読み終えたばかり
ということもありますが、

もう少し詳しくてもいいかな、
と思えるレベルで、あっさりと読み終えることができました。

『小公子』について何も知らなければ、
ほどよくあらすじがつかめて便利だと思います。


ただしあらすじだけでは、

気難しい老人の微妙な感情の変化や、
母親の気品、セドリックの性格的な美しさの微妙な部分は描き切れません。

より詳しいものを読みたいな、
と思えるようになって来ました。


翻訳はつい先日紹介したばかりなので、
脇明子さんの翻訳(岩波少年文庫)が、今のオススメです。





※計36冊 計296,872語。


2012年12月24日月曜日

【読了】Robert Louis Stevenson, Treasure Island (MMR Elmentary)

やさしい英語の本、通算35冊目、
Macmillan Readers Elementary Level の5冊目、

イギリスのスコットランド生まれの小説家
ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850.11-1894.12)の、
冒険小説『宝島』を読みました。

スティーヴンソン33歳のとき(1883年)に出版された作品です。


Robert Louis Stevenson
Treasure Island

Retold by Stephen Colbourn
(Macmillan Readers の Elmentary Level)
2005年刊(9,863語)


『宝島』は今年の6月に、
金原瑞人氏の翻訳(偕成社文庫、平成6年)で読んだことを
ブログで報告しております。

翻訳を読んでまだそれほど間がありませんので、

あらすじを思い出しながら、
楽しんで読み通すことができました。


このお話、はじめは少し
荒々しすぎるような気がして、
それほど好きではなかったのですが、

ストーリーが頭に入って来ると
よりいっそう魅力が増してくる作品のようで、
ほどよい刺激に満ちた傑作と思えるようになって来ました。

ぜひ原書で楽しめるようになりたいと思います。


翻訳は、
あれからまた幾つか触れてみましたが、
今のところ金原氏の訳がいちばんです。



※Wikipedia の「ロバート・ルイス・スティーヴンソン」「宝島」を参照。

※総語数、YL(読みやすさレベル)については、
 古川昭夫 編『めざせ!100万語 読書記録手帳』
 (第6版、2010年4月)を参照しました。

計35冊 計289,622語。


 間もなく30万語をこえます。
 仕事をしながら、ひと月2冊くらいのペースなので、
 1年4ヶ月かかりました。

 実感としては、高校入試レベルの英語なら、
 いきなり読んでも大丈夫な感じになって来ました。

 そろそろ上のレベルに挑戦しても良いのですが、
 まだ気になって読み終えていないタイトルがあるので、
 40万語までは今くらいのレベルを続けたいと思います。

 中3から高1くらい、英検3・4級のレベルで、
 これだけ楽しめる作品があることは嬉しい驚きです。

 徐々に読むスピードは上がるはずなので、
 切りよく3年くらいで100万語到達ができるといいなと思っております。

2012年12月20日木曜日

【読了】塩野七生 『ローマ人の物語14 パクス・ロマーナ[上]』


塩野七生 著
『ローマ人の物語14 パクス・ロマーナ[上]』
(新潮文庫、平成16年11月、初出は新潮社、平成9年7月)

 ※第一部 統治前期(紀元前29年~前19年)
      アウグストゥス34歳~44歳


文庫本で6冊に及ぶカエサルの評伝に続くのは、
カエサルから後継者として指名されたアウグストゥスの評伝3冊です。

カエサルのことすらよく知らなかった私ですから、
その後継者たるアウグストゥスについても、
当然何も知らなかったわけですが、

そんな私が読んでも、引き続き、
引き寄せられるわかりやすい叙述でした。


カエサルという奇跡が、
暗殺という最悪のかたちで終わりを告げたあと、

これ以上ないくらい理想的なかたちで、
彼の遺志を継いだアウグストゥスという、
もう一人の奇跡があったとは、

フィクションなら、
出来過ぎと批判されるレベルでしょう。


カエサルのように、
戦乱に生きた指導者ではないので、
評伝を書きやすい人物ではないと思いますが、

十分興味深く、
歴史を読む醍醐味を、
存分に楽しませてもらいました。

2012年12月18日火曜日

【読了】バーネット著『小公子』(脇明子 訳)


フランシス・ホジソン・バーネット著/脇明子 訳
『小公子』(岩波少年文庫、平成23年11月)


イギリス生まれの作家
フランシス・ホジソン・バーネット
(Frances Hodgson Burnett 1849.11-1924-10)
が37歳のとき(1886年)に書いた小説

『小公子(Little Lord Fauntleroy)』を読みました。


バーネットは、
三十代半ばを過ぎてから
『秘密の花園』『小公女』と読んできて、

美しい自然の描写と、
人の感情のより美しい部分を描いていこうとする姿勢に共感し、
お気に入りの作家になりました。

もとは英語で書かれているので、
いずれ原書のまま楽しめるようになりたいと思っていますが、

今回は日本語訳で、
『小公子』を読んでみました。

『小公子』は、なかなか
自分にしっくり来る翻訳に出会わなかったので、
後回しになってきたのですが、

昨年出版された
脇明子さんの翻訳は、
現代の日本語としてよくこなれており、
違和感なく、話に入り込むことができました。


一種のおとぎ話ではありますが、
バーネットの筆にかかると何となくありえそうな話にも思えて来て、
想像していた以上に楽しむことができました。

人の心の美しく明るい側面が、
周りに与える良い影響について、
考えなおす機会になりました。

現実はそんなに甘くないにせよ、
後ろ向きに悪いことばかり心配していても、
良いことは起こらないわけで、

心を美しい方向へ導いてくれる物語の存在は貴重です。


脇明子さんは
ごく最近『小公女』の訳も上梓されたようなので、
そちらも近々読んでもたいと思います。


ざっと『小公子』の翻訳を調べてみました。  

西田佳子 訳
(西村書店、平成22年3月)※書名『小公子セドリック』

坂崎麻子 訳
(偕成社文庫、昭和62年9月)

吉野壮児 訳
(角川文庫、昭和62年11月)※書名『小公子セディ』

蕗沢忠枝 訳
(ポプラ社文庫、昭和62年12月)

岡上鈴江 訳
(旺文社文庫、昭和53年1月)

川端康成 訳
(河出書房新社〔世界文学の玉手箱〕平成4年12月)
 ※初出はポプラ社〔世界の名著〕昭和42年8月

村岡花子 訳
(講談社〔21世紀版少年少女世界文学館〕平成22年12月)
 ※初出は講談社〔少年少女世界文学全集13 アメリカ編3〕昭和33年。
  講談社〔少年少女世界文学館10〕昭和62年9月に再録。
  講談社〔青い鳥文庫〕昭和62年12月に再録。

吉田甲子太郎 訳
(岩波少年文庫、改版、昭和61年。初版、昭和28年)

中村龍三 訳
(新潮文庫、改版、昭和62年。初版、昭和28年)

若松賤子 訳
(岩波文庫、改版、昭和14年8月)


村岡花子訳も手に入れましたが、
「お母さま」という訳が今では古めかしく、少し違和感がありました。

最近の西田佳子氏の訳は、近々読んでみようと思っています。


※Wikipediaの「フランシス・ホジソン・バーネット」「小公子」の項目を参照。

2012年12月5日水曜日

【読了】ビクトル=ユゴー 『レ・ミゼラブル - ああ無情』(塚原亮一 編訳)

フランスの小説家
ビクトル・ユゴー(1802-1885)

60歳のとき(1862年)に執筆した
長編小説『レ・ミゼラブル(ああ無情)』を、
塚原亮一氏が1冊に編訳した版で読みました。


塚原亮一 編訳
『レ・ミゼラブル―ああ無情』
(講談社 青い鳥文庫〈新装版〉、平成24年11月)
 ※旧版は講談社 青い鳥文庫、平成元年4月、原題『ああ無情』。
  初出は講談社 少年少女世界文学館17、昭和61年10月。
  講談社 21世紀版少年少女世界文学館17、平成23年1月にも再録。

もとはフランス語なので、
原書で読むことはないと思い、
翻訳のほうにも手を出さずに来たのですが、

英語のリトールド版でも読めることがわかって、

とりあえず、日本語で手っ取りばやく、
それなりに楽しんで読めるものを探しておりました。

総ルビ付きでわかりやすく、
あまりに簡単過ぎないものを選んでいたら、
塚原亮一氏の1冊本がいちばんしっくり来ました。

はらはらドキドキ楽しみながら、
大事なあらすじを把握した上で、
一気に読み通すことができました。

複雑ですがよく作りこまれた内容で、
これは確かに、多くの人々を魅了するに足る傑作だと思いました。

共和主義者を善とし、
王党派を悪とする図式も、
日本人には好まれる傾向でしょうか。


編訳版は次のようなのが見つかりました。

豊島与志雄氏の編訳は、
全訳版を元にしたていねいな作りで、
次はこれを読もうかと思っていますが、
ルビはほとんどないので、小中学生には難しいかもしれません。

清水正和 編訳
『レ・ミゼラブル』
(上下2冊。福音館書店、平成8年1月)

岩瀬孝・大野多加志 編訳
『レ・ミゼラブル』
(上中下全3冊。偕成社文庫、平成5年3月)

大久保明男 編訳
『レ・ミゼラブル―ああ無情』
(ポプラポケット文庫、平成19年3月)
 ※初出はポプラ社文庫、昭和60年12月、原題『ああ無情』

辻昶(つじとおる)編訳
『ああ無情』
(集英社〈少年少女世界名作の森〉平成元年11月)
 ※初出は集英社〈少年少女世界の名作〉昭和57年3月。


豊島与志雄 編訳
『レ・ミゼラブル』
(岩波少年文庫、上下2冊、新版、平成13年1月)
 ※初出は岩波少年文庫、上下2冊、改版、昭和28年5月、
  原題『ジャン・ヴァルジャン物語』

黒岩涙香 編訳
『噫無情(ああむじょう)』
(はる書房〈世界名作名訳シリーズ〉前後篇2冊、平成17年6月)
 ※初出は扶桑堂、前後編2冊、明治39年1・4月。


全訳版は次のものが見つかりました。

豊島与志雄 訳
『レ・ミゼラブル』
(岩波文庫、全4冊、改版、昭和62年4・5月)
 ※初出は新潮社、全4冊、大正7-8年。

石川湧 訳
『レ・ミゼラブル』
(全4冊、角川文庫、全4冊、平成10年12月、11年1月)
 ※初出は角川文庫、全8冊、昭和31-37年。


佐藤朔 訳
『レ・ミゼラブル』
(新潮文庫、全5冊、改版、昭和42年5-9月)
 ※初出は新潮社〈新版 世界文学全集10-12〉全3冊、昭和34年。

辻昶(つじとおる)訳
『レ・ミゼラブル』
(潮出版社〈潮文学ライブラリー〉全5冊、平成21年7-9月)
 ※もとは潮出版社〈ヴィクトル・ユゴー文学館〉全3冊、平成12年7-9月。
 ※初出は、講談社文庫、昭和50・51年。

豊島与志雄氏のは、
格調の高いていねいな訳で好感がもてますが、
最後まで読み通すのは若干苦労しそうです。

現代文としては、
佐藤朔氏のと辻昶氏のが
スラスラと読みやすそうでした。

全訳で読むとしたら、どちらかの選択になりそうです。

※Wikipediaの「ヴィクトル・ユゴー」「レ・ミゼラブル」を参照。


2012年12月4日火曜日

【読了】Jack London, The Call of the Wild(PAR Level2)

やさしい英語の本、通算34冊目、
Penguin Active Reading Level2 の5冊目、

アメリカの小説家
ジャック・ロンドン(1876-1916)の
小説『野性の呼び声』(1903)を読みました。
ロンドン27歳のときの作品です。


Jack London
The Call of the Wild

Retold by Tania Iveson
(Penguin Active Reading の Level2)
2007年刊(9,280語)

実は最近まで、
書名すら知らなかったのですが、

光文社古典新訳文庫から出た
深町眞理子氏訳の『野性の呼び声』が気になって、
いずれ読もうかなと思っていたところ、

名古屋のジュンク堂書店で、
リトールド版が出ているのを確認し、
読んでみることにしました。


カリフォルニアで飼われていた
飼い犬バックが家から盗み出され、
アラスカでそり犬となり、

鍛えられるうちに野性を取り戻し、
狼の群れの中へと入っていく物語です。


1848年に、
カリフォルニアで金が発見され、
ゴールドラッシュが始まったことはよく知られていますが、

1899年に、
アラスカでも金が発見され、
ゴールドラッシュが起こり、

当時、犬ぞりの需要が高まったことが
物語の背景となっているようです。


犬と心が通いあう、
心暖まるストーリーを期待していたところ、
そうした場面も含まれているものの、

調教のために犬を虐待する場面や、
喧嘩で犬同士が殺しあう場面や、
そりを引けなくなっ犬をやむなく射殺する場面なども描かれていて、

自然の中で生きていく厳しさをそのまま描きながら、

それでも力強く生きていこうとする
バックの前向きな姿に感動しました。


これは確かに、
今後も読み返すに足る名作だと思いました。


ロンドンは、アメリカ人に珍しく、
社会主義者として知られているようですが、

今回読んだ限りでは、
『野性の呼び声』の中に、
社会主義を直接 賛美する要素はないようです。



翻訳を調べました。
(網羅していません。)



深町眞理子 訳『野性の呼び声』(光文社古典新訳文庫、平成19年9月)

辻井栄滋 訳『野性の呼び声』(現代教養文庫、平成13年12月。『決定版 ジャック・ロンドン選集1』〔平成20年6月〕に再録)

吉田秀樹 訳『野生の呼び声 ―名作再発見シリーズ』(あすなろ書房、平成11年9月)※挿絵多し。編訳か未見。

海保真夫 訳『荒野の呼び声』(岩波文庫、平成9年12月)

阿部知二 訳『荒野の呼び声』(偕成社文庫、昭和52年2月。初出は『世界大ロマン全集 第28巻 白い牙・荒野の呼び声』〔東京創元社、昭和32年〕)

大石真 訳『野性の呼び声』(新潮文庫、昭和34年6月)

三浦新市 訳『野性の呼び声』(河出文庫、昭和30年)

岩田欣三 訳『荒野の呼び声』(岩波文庫、昭和29年)

山本政喜 訳『荒野の呼び声』(角川文庫、昭和28年)


ロンドンの動物小説は、
『野性の呼び声』のほかにもう一つ、
『白い牙』という作品も有名なので、こちらも調べました。

深町眞理子 訳『白い牙』(光文社古典新訳文庫、平成21年3月)

辻井栄滋 訳『白牙』(現代教養文庫、平成14年6月)

神宮輝夫 編訳『白い牙 ― 痛快世界の冒険文学20』(講談社、平成11年5月)

白石佑光 訳『白い牙』(新潮文庫、改版、昭和33年11月)

阿部知二 訳『白い牙・荒野の呼び声 ―世界大ロマン全集 第28巻』(東京創元社、昭和32年)

本多顕彰 訳『白い牙』(岩波文庫、昭和32年)

山本政喜 訳『白い牙』(角川文庫、昭和28年)


これらの中から、
まずは深町眞理子さんか、
辻井栄滋さんを選ぶべきでしょうか。

『白い牙』は、白石佑光訳(新潮文庫)の勢いのある出だしにも惹かれています。

手に入れて読んでみて、また報告します。


※Wikipedia の「ジャック・ロンドン」「野生の呼び声」を参照。

※日本ジャック・ロンドン協会のホームページ
 〈http://www2d.biglobe.ne.jp/~to_yoshi/JLJAPAN.htm〉を参照。



※計34冊 計279,759語。

2012年11月27日火曜日

【読了】夏目漱石 『幻影の盾』(明治38年4月)

夏目漱石(慶応3〔1867〕-大正5〔1916〕)の4作目は、
短編小説「幻影(まぼろし)の盾(たて)」を読みました。


漱石全集〈第2巻〉短篇小説集 (1966年)

夏目漱石「幻影の盾 ― 明治三八、四、一」
(『漱石全集 第二巻 短篇小説集』岩波書店、昭和41年1月)


「幻影(まぼろし)の盾(たて)」は、
雑誌『ホトヽギス』第8巻第7号(明治38年〔1905〕4月)に発表され、

漱石初の短編集『漾虚集(ようきょしゅう)』
(大倉書店・服部書店、明治39年5月刊)に収録されました。

『吾輩は猫である』とほぼ同時期なので、
これもまた30代後半に書かれたことになります。


アーサー王の時代にさかのぼり、
古代騎士に仮託して描かれた短編小説
ということになるのでしょうが、

正直なところ、
技巧を凝らした美文調の文章で、
総ルビでなかったら、お手上げでした。

今これを読む価値があるのだろうか、
と思いつつ、ブログの必要性にかられて通読しました。

大体の内容はわかりましたが、
細かく正確に理解できたかは少々不安があります。


内容的にもそれほど惹かれなかったので、
今後読み返す機会があるかはわかりませんが、

ゆっくり音読すると、
良い心持ちがしたのも確かなので、
いずれまた読み返すことにしましょう。


ただ漱石が、
『吾輩は猫である』を執筆しながら、
こんな試行錯誤を繰り返していたことが知られたのは、
大きな収穫でした。

いきなり初期の名作『坊ちゃん』が生まれたわけではなく、
短編によって、さまざまな方向性を探っていたことは、
それなりに興味深くはありました。

2012年11月19日月曜日

【読了】畑正憲 『ムツゴロウと天然記念物の動物たち ― 海・水辺の仲間』


畑正憲 著
『ムツゴロウと天然記念物の動物たち ― 海・水辺の仲間』
(角川ソフィア文庫、平成24年9月)

※「オオサンショウウオ」「テツギョ」「カブトガニ」
 「ウミネコ」「ホタルイカ」「モリアオガエル」の計6編。

※『天然記念物の動物たち』(角川文庫、昭和47年1月)を、
 改題の上、2分冊し、再編集したもの。
 単行本の初出は月刊ペン社、昭和44年。

先月の
『ムツゴロウと天然記念物の動物たち ― 森の仲間』
に続き、『海・水辺の仲間』編を読みました。

時間の流れは、
『海・水辺の仲間』=上巻、
『森の仲間』=下巻の順になっているようですが、

それぞれ独立した内容になので、
どこから読んでも大きな問題はありません。

収録されていたのは、

「大山椒魚」(オオサンショウウオ)
「鉄魚」(テツギョ)
「兜蟹」(カブトガニ)
「海猫」(ウミネコ)
「蛍烏賊」(ホタルイカ)
「森青蛙」(モリアオガエル)

の6編です。

楽しく読み進めているうちに、
少しずつ日本に住む動物について、
知識が深められるのはありがたいです。

生物学にはまったく縁がなかったので、
内容が学問的にどうなのかはわかりませんが、

読んで楽しいことが何よりなので、

古本で探して、
全巻読んでいこうかな、
と思います。

さて次は、『梟の森』編です。

2012年11月15日木曜日

【読了】ウィーダ著 『フランダースの犬』(雨沢泰 訳)


ウィーダ作/雨沢泰 訳
『フランダースの犬』(偕成社文庫、平成23年4月)
 ※表題作のほか「ウルビーノの子ども」「黒い絵の具」を収録。

イギリス出身の作家
ウィーダ(1839-1908)の名作
『フランダースの犬』を読みました。

ウィーダ33歳のとき(1872年)に出版された作品です。


同名のアニメが有名ですが、
通してみた記憶がなく、原作も読んだことがなかったので、
よい翻訳があれば読んでみたいと思っておりました。

最近手にとった
雨沢泰さんの翻訳がとても読みやすく、
この作品の魅力を存分に味わうことができました。


子どものころは、
悲しいお涙ちょうだいの物語は苦手で、
遠ざけていたように思いますが、

実際読んでみると、
芸術に対する瑞々しい感性が息づいていて、
芸術(絵画)に対する深い共感をもとに書かれた傑作であることがわかり、
これまでの見方を大きく改めました。


フランダース地方のアントワープ
(現在のベルギー西部の都市)で活躍した
画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)をめぐる
ネロとパトラッシュの悲しいお話は、

人間にとって芸術(絵画)とは何なのか、
深く考えさせられる作品でした。


子ども向けで、
こうした趣向の作品ってほかに思いつかないのですが、
いかがでしょうか。


2つの併録作品
「ウルビーノの子ども」「黒い絵の具」も、
絵画への深い共感無くして書ける作品ではなく、

たいへん興味深く読み終えることができました。


翻訳は、以下のものが目に入りました。

 村岡花子 訳(新潮文庫、昭和29年4月。〔改版〕平成元年10月)
  ※表題作のほか「ニュールンベルクのストーブ」を収録。

 畠中尚志 訳(岩波少年文庫、昭和32年8月)
  ※表題作のほか「ニュールンベルクのストーブ」を収録。

 矢崎源九郎 訳(角川文庫、昭和36年)

 松村竜雄 訳(講談社青い鳥文庫、平成4年5月。〔新装版〕平成21年10月)

 野坂悦子 訳(岩波少年文庫、平成15年11月)
  ※表題作のほか「ニュールンベルクのストーブ」を収録。

 高橋由美子 訳(ポプラポケット文庫、平成23年11月)

村岡訳・畠中訳・松村訳・野坂訳は手に入れました。

村岡訳・畠中訳は、訳文がやや古めかしく、
野坂訳は、逐語的で若干、流れが悪いように感じがしました。

邦訳で、ウィーダのまとまった著作集は出ていないようです。
いずれぜひ英語でまとめて読んでみたいと思いました。

2012年11月14日水曜日

【読了】夏目漱石 『カーライル博物館』(明治38年)

夏目漱石(慶応3〔1867〕-大正5〔1916〕)の3作目は、
紀行文「カーライル博物館」を読みました。

漱石全集〈第2巻〉短篇小説集 (1966年)

夏目漱石 『カーライル博物館 ― 明治三八、一、一五』
(『漱石全集 第二巻 短篇小説集』岩波書店、昭和41年1月)


「カーライル博物館」は、
雑誌『学鐙』第9年第1号(明治38年〔1905〕1月15日発行)に発表され、

漱石初の短編集『漾虚集(ようきょしゅう)』
(大倉書店・服部書店、明治39年5月刊)に収録されました。

『吾輩は猫である』とほぼ同時期、
30代後半に書かれた文章です。


この作品は「倫敦塔」と同じく、イギリス留学時に、
ロンドンにあるカーライルの記念館を訪れたときのことを綴った文章で、
それなりに創作も交えてあるでしょうが、
紀行文といって良い内容に仕上がっています。


カーライルとは、
スコットランド出身の歴史家・評論家
トーマス・カーライル(1795-1881)のことです。

と書いてみたものの、
岩波文庫に収録された数冊を知るのみ、

実際に読んだことはないので、
どんな方なのかはよく知りません。

『衣服哲学』『英雄崇拜論』『過去と現在』

といった書名から、
今後よくこなれた新訳が出たら読んでみてもいいかな、
と思いますが、しばらくその機会はなさそうです。


さて肝心の内容ですが、
「倫敦塔」とはがらりと作風を変え、

カーライルに思いを馳せつつ、
訪問の記憶を一緒にたどりなおす様子が、

明快な文章でわかりやすく綴られていました。


特別な名作というほどのものではないのでしょうが、
私にとって好きな作品でしたので、
また読み返そうと思います。


※Wikipediaの「夏目漱石」「トーマス・カーライル」の項目を参照。

2012年11月9日金曜日

【読了】夏目漱石 『倫敦塔』(明治38年)

夏目漱石(慶応3〔1867〕-大正5〔1916〕)の2作品目は、
短編小説『倫敦塔(ろんどんとう)』を読みました。

漱石全集〈第2巻〉短篇小説集 (1966年)

夏目漱石『倫敦塔 ― 明治三八、一、一〇』
(『漱石全集 第二巻 短篇小説集』岩波書店、昭和41年1月)

「倫敦塔(ろんどんとう)」とは、
雑誌『帝國文學』第11巻1号(明治38年〔1905〕1月10日発行)に発表され、

漱石初の短編集『漾虚集(ようきょしゅう)』
(大倉書店・服部書店、明治39年5月刊)に収録された作品です。

『吾輩は猫である』とほぼ同時期、
漱石30代後半にまとめられた作品です。


漱石は33歳のとき、
明治33年(1900)5月から、
イギリスに留学しています。

そのときの記憶をもとに、
創作を交えて語られる、幻想的な作品でした。

ちょうど読み終えていた
シェイクスピアの『リチャード三世』からの引用もあって、
興味深く読み終えることができました。


ただし、
今の作家なら絶対に使わない、
難しい漢字をふんだんに盛り込んだ表現がされていて、

総ルビ付きでなかったら、
かなり手こずっただろうな、と感じました。


『吾輩は猫である』とは全く違った趣向で、
小説家として進むべき方向を、試行錯誤しているようにも感じました。


短い作品なので、
再読する機会はあると思いますが、

文章を飾り立てるのは余り好きではないので、
さほど感銘は受けなかったことを告白しておきます。


※Wikipediaの「夏目漱石」「倫敦塔」「ロンドン塔」

2012年11月8日木曜日

【読了】Aladdin and the Enchanted Lamp (OBW1)

やさしい英語の本、通算33冊目、
Oxford Bookworms Stage1 の4冊目、

『アラジンと魔法のランプ』を読みました。


Aladdin and the Enchanted Lamp

Retold by Judith Dean
(Oxford Bookworms の Stage1)
2008年刊(5,240語)

幼いころに、
こんな話を聞いたような、
おぼろげに記憶しているだけでしたが、

奇想天外な、軽めの楽しいお話で、
今読んでもふつうに楽しめました。

日本の昔話とも、
イソップ童話やグリム童話などとも
多少違った印象があって、

アラビアン・ナイトのほかの話も
読んでみようと思いました。


   ***

『アラジンと魔法のランプ』は、

アラビア語の説話集
『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』
のなかの有名な説話の一つとして知られていますが、

アラビア語の写本にはこの話が収録されておらず、

18世紀のはじめ、
アントワーヌ・ガランのフランス語訳
『アラビアン・ナイト』によって初めて世に出たものだそうです。

細かい書誌を追うには、
ヨーロッパのみならずイスラムにまで目を向けねばならず、
現在の私の能力を越えるので、とりあえず、
すぐに購入可能な邦訳を調べておきます。


小中学生を対象に編集されたものとしては、
次のものが手に入れやすそうです。

・川真田純子 編訳
 『アラビアン・ナイト』
 (全7冊。講談社青い鳥文庫、
  昭和62年2・3月〈1・2〉、昭和63年9・11月〈3・4〉、
  平成3年11月〈5〉、平成4年5・10月〈6・7〉)

・奴田原睦明 編訳
 『アラビアン・ナイト』
 (上下2冊、偕成社文庫、平成2年6月)

・ケイト・D・ウィギン、ノラ・A・スミス編/坂井晴彦 訳
 『アラビアン・ナイト』
 (福音館書店、平成9年6月)

・ディクソン編/中野好夫 訳
 『アラビアン・ナイト』
 (上下2冊。岩波少年文庫、平成13年9月)

・斉藤洋 編訳
 『アラビアン・ナイト』
 (全4冊。偕成社、平成16年9・12月、平成17年2・3月)

大人向けの本格的な訳本は、
次のものが手に入れやすいようです。

・前嶋信次・池田修訳
 『アラビアン・ナイト』※アラビア語からの直訳。
 (全19冊。東洋文庫。
  第1~12巻・別巻は前田訳、昭和41年7月~昭和60年3月。
  第13~18巻は池田訳、昭和60年9月~平成4年6月)

・大場正史 訳
 『バートン版 千夜一夜物語』※バートン版=英訳
 (全11冊。ちくま文庫、平成15年10月~平成16年8月)

・佐藤正彰 訳
 『千一夜物語』※マルドリュス版=仏訳
 (全10冊。ちくま文庫、昭和63年3月~平成元年2月)

・豊島与志雄・佐藤正彰・渡辺一夫・岡崎正孝 訳
 『完訳 千一夜物語』※マルドリュス版=仏訳
 (全13冊。岩波文庫、〔改版〕昭和63年7月)


そのほか『アラビアンナイト』の受容史について、
一般向けの解説書として、

・西尾哲夫『アラビアンナイト - 文明のはざまに生まれた物語』
 (岩波新書、平成19年4月)

がよくできています。


※Wikipediaの「千夜一夜物語」「アラジンと魔法のランプ」を参照。


※計33冊 計270,479語。

2012年11月5日月曜日

【読了】Jules Verne, Round the World in the Eighty Days (PAR Level2)

やさしい英語の本、通算32冊目
Penguin Active Reading Level2 の4冊目、

フランスの作家
ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の
小説『八十日間世界一周』(発表1872)を読みました。


Jules Verne
Round the World in the Eighty Days

Retold by Michael Dean
(Penguin Active Reading のLevel2)
2008年刊(8,579語)

書名は聞いたことがありましたが、
実際に読んだことはありません。

今回リトールド版で読むのが初めてです。


八十日で世界を一周するという趣向が、

今では、お金と時間さえあるなら、
さほど無茶な話ではなくなっているわけですが、


今から140年ほど前、
1872年10~12月に行われた世界旅行記と考えて、

興味深く読み進めることができました。


むろんフィクションではありますが、
月に行ったり、海底に潜ったりするのに比べれば、
よほど現実味のある話だと思います。


ちなみに1871年(明治4年)から、
2年近くの年月をかけて、
岩倉遣欧使節団が派遣されています。

そのころのお話として読むと、また興味がわいてきます。


邦訳で圧倒的に読みやすいのは、


高野優 訳(上下2巻。光文社古典新訳文庫、平成21年5月)

でした。そのほか、

 江口清 訳(角川文庫、昭和38年。初出は『世界大ロマン全集』東京創元社、昭和32年)
 田辺貞之助 訳(創元SF文庫、昭和51年3月)
 木村庄三郎 訳(旺文社文庫、昭和56年12月)
 鈴木啓二 訳(岩波文庫、平成13年4月)

など目に入りました。


※wikipediaの「ジュール・ヴェルヌ」「八十日間世界一周」

※総語数、YL(読みやすさレベル)については、
 古川明夫 編『めざせ!100万語 読書記録手帳』
 (第6版、2010年4月)を参照しました。


※計32冊 計265,239語。

2012年11月3日土曜日

【読了】シェイクスピア 『リチャード三世』(福田恆存訳)

福田恆存訳のシェイクスピア、
しばらくストップしていましたが、
夏目漱石と交互に読んでいこうと思いたち、
『吾輩は猫である』を読み終わったのに続いて、

イギリスの劇作家
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の
史劇『リチャード三世』(初演1591年)を読んでみました。
シェイクスピア20代後半の作品です。


ウィリアム・シェイクスピア著/福田恆存 訳
『リチャード三世』(新潮文庫、昭和49年1月)
 ※初出は『シェイクスピア全集1』昭和35年12月。


福田恆存訳の
『シェイクスピア全集1~15』
(新潮社、昭和34年~42年)も格安で手に入れましたが、

平成16年7月に改版したばかり、
大きめの鮮明な活字が読みやすく、
難しそうな漢字にはルビもふってあり、
持ち運びやすい文庫本で読みました。

このあたりの歴史はほとんど何も知らないので、
巻末の関係系図を行きつ戻りつしながら、
でも流れを切らないように、

多少こんがらがりながらも、
舞台を観ているようなテンポで、
とりあえず全体を通読してみました。



わからないなりに1冊読み終えると、
自分なりの「リチャード三世」像が出来てきて、
少なくともこの時期の王位が、

 ヘンリー六世(在位1422-61/1470-71)
 エドワード四世(在位1461-1470/1471-1483)
 エドワード五世(在位1483.4.10-6.26)
 リチャード三世(在位1483-1485)
 ヘンリー七世(在位1485-1509)

の順に継承されていたこと位は、
実感できるようになりました。

細かな史実と相違するところも当然あるのでしょうが、

イギリス王室史入門としては、
教科書的なものを読むよりは、よほどおもしろいと思いました。


リチャード三世の在位は、
1483年から85年までなので、

1564年生まれのシェイクスピアにしてみれば、
自分が生まれる80年くらい前のことを描いたことになります。

初演時20代後半だったことを考えれば、
記憶を110年ほどさかのぼらせて、史劇に作り上げたことになります。


ちなみに、
今から80年さかのぼると、
昭和7年(1932)5・15事件が起こった年、
110年さかのぼると、明治35年(1902)日英同盟が締結された年になります。

こう考えると、今の我々が、
日清・日露戦争のことを描くような感覚で、
この史劇が描かれたのかな、とも思えます。


初『リチャード三世』の感想は、
これくらいにしておきましょうか。


※森護『英国王室史話〈上〉』(中公文庫、平成12年3月。初出は大修館書店、昭和61年3月)を参照。

2012年10月31日水曜日

【再読】中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 第Ⅱ部(第四・五章)


中川八洋 著
『正統の哲学 異端の思想 ―「人権」「平等」「民主」の禍毒―』
(徳間書店、平成8年11月)

(承前)
▼「第Ⅱ部 各論―隷従の政治か、自由の政治か」(第四~十章)
▽「第四章『平等教』の教祖ルソー ― 全体主義と大量殺戮の起源」
本章では、
ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学について、
その主著
  『学問芸術論』(1750年)
   『人間不平等起源論』(1755年)
   『政治経済論』(『百科全書』第5巻、1755年)
   『社会契約論』(1762年)
   『エミール』(1762年)
によりつつ概要を整理しています。

一言でいえば、
原始(野生)に回帰することによって
理想の人間性が回復すると夢想する、
社会の現実を真逆に捉えた哲学です。


・ルソーが理想とする人間とは、

 人間らしい社会関係の経験を欠く、
 野蛮な自然状態に生きる「自然人」(未開人、野蛮人)であり、

 文明の所産である学問や芸術を身につけた
 「文明人」に対して激しい憎悪を抱いていました。


・ルソーが理想とする社会とは、

 個人の私有財産、自由、権利、生命のすべてを
 「社会契約」(入信)によって共同体に譲り渡した、
 自由のない構成員(奴隷)による完全平等社会であり、

 個人の私有財産、自由、権利、生命を、
 基本的に不可侵のものと考える「文明社会」に対して、
 これまた激しい憎悪を抱いていました。


・ルソーは、
 文明社会(秩序ある自由社会)の活力の源泉である
 「結果の不平等」を徹底的に憎悪しました。

 そして、結果の不平等をなくすためには、
 自由競争を否定し、私有財産を否定し、
 みなが何も持たなくなれば良い、と考えました。


 しかし何一つ、自分のものがない
 自由を失った人間とは「奴隷」に他ならないわけなので、

 ルソーが理想としたのは、
 「全人民の完全奴隷化国家」(107頁)
 だということになります。


・しかし、健常な人間はふつう
 奴隷になることを望まないものなので、

 ルソーの理想を実現するためには、

 人民を強制的に奴隷化する
 法(命令)を下す「立法者」(独裁者)
 の存在が不可欠なものとなって来ます。


・実際、ルソーは自身を
 全知全能の「神」と見立て、

 理想を実現するには、

 人民が服従すべき「一般意志」を体現し、
 命令に背く人民を一方的に処刑しうる、

 「立法者」(独裁者)の存在が不可欠だ、
 と考えました。


・さらにルソーは、
 一般意志(教義)への入信者を増やすために、
 洗脳教育の聖典たる『エミール』を執筆しました。


・絶対者(立法者)が立法と教育を独占し、

 すべての人民が、この絶対者に完全に服従し、
 奴隷のように従順に徹する国家の実現に向けた、
 十全な方策を提示したのが、ルソーです。

以上、大まかな要約でした


ルソーの害毒は、
今でもそれほど知られていないので、

本書に出会わなければ、
何も知らぬままルソーと格闘し、
2、30代の貴重な時間を浪費していたかもしれません。

悪書は反面教師で
読んだ方が良いこともありますが、

ルソーは本音を隠し、
もってまわった言い方で、
読み手に気がつかせぬまま、
異端の道へと誘いこむ洗脳性が高いので、

自分の中で、
健善な哲学が確立されるまでは、
遠ざけておいた方が無難でしょう。


今のところルソーは、
時折、興味半分で読んでみて、
言い知れぬ不快な気分を味わって、
放り投げる程度でいいかな、と思っております。


なお、
ルソーを批判的な立場から解説した
日本語で読める概説書はほとんどありません。

少し調べてみると、
本書の刊行後に翻訳されたものとして、

 デイブ・ロビンソン著、渡部昇一 監訳
 『絵解き ルソーの哲学―社会を毒する呪詛の思想』
 (PHP研究所、2002年8月)

 D.モルネ著、高波秋 訳
 『ルソー』(ジャン・ジャック書房、2003年11月)

が見つかりました。

ロビンソンのは内容的に深みに欠けるところがあり、
モルネ(『フランス革命の知的起源』の著者)のは未読なので、
近々手に入れようと思います。



▽「第五章 フランス革命―人類の『負の遺産』」

〔第二・三節より〕
・フランス革命の真の目的は、
 ルソー教(理性教、平等教)を新たな「国教」とする、
 政教一致の新・宗教国家を創造することであったと考えると、
 理解しやすいです。


・フランス革命
 =新宗教「理性教、平等教」による宗教革命運動
 と考えれば、

 既存の政体を破壊する「王制廃止」にとどまらず、
 既存の宗教を破壊する「キリスト教潰し」が行われた理由も了解できます。

 新たな「理性教」への改宗を
 強制せんとする宗教的興奮が、
 史上稀にみる残忍非道な殺戮が行われたと考えれば、それなりに理解できます。


・アメリカの独立を想起すれば、

 「旧体制(君主制)」から
 「新体制(共和制)」へ
 政治体制を変革するために、

 国家の歴史を抹殺し、
 過去との断絶を行なう必要はまったくなかったことがわかるでしょう。


 しかしフランスでは、
 新宗教「理性教」による
 新たな宗教国家の創設を目指していたからこそ、

 旧権力を「聖戦」によって「征服」し、
 現状を徹底的に破壊し、歴史を抹殺し、
 過去との切断を行なう必要があったわけです。


・過去との切断とは、

 それまで国家の強大な権力が、
 個々の国民に直接及ぶのを阻んできた
 「中間組織」(王制下で育まれた伝統や慣習。既存の法秩序など)
 を壊滅させることに他なりません。

 その結果、必然的に、
 権力の「超中央集権化」が進むことになり、
 フランス国王をはるかに上回る権力を、
 独裁者ロベスピエールが手中にすることになりました。


・「共和制」を目ざして
 「君主制」を転覆させたところ、
 国王をはるかにしのぐ権力を手にした「独裁者」が、
 史上稀にみる恐怖政治を行うことになったのがフランス革命でした。


〔第四・五節より〕
・フランス革命の精神的支柱たる
 ルソーの「理性教」のその後の継承は、

  ルソー
   →(ロベスピエール)
     →バブーフ
       →ブォナロッティ
        →マルクス/エンゲルス
          →レーニン/トロツキー
           →スターリン

 という系譜によってまとめられます。

 ルソーの教義が、
 ロシア革命の精神的支柱たる「社会主義教」として、
 より純化されたかたちで継承されていくさまを追うことができます。


・最後に、近代の革命を、

  表-3 近代「革命」の類型

 に整理し、
 「野蛮への退行」型と
 「文明的な発展」型の2つに分類しています。

  イギリス清教徒革命(1642~49年)
  フランス革命(1789~94年)
  ロシア革命(1917~91年)

 は前者であり、

  イギリス名誉革命(1688年)
  アメリカ独立の「革命」(1776~88年)
  明治維新(桜田門外ノ変~1868年)

 は後者です。

以上、要約でした


こうしたフランス革命の見方は、
必ずしも中川氏独自のものではないと思いますが、

ふつうに学校で歴史を学んでいて、
フランス革命が否定的に扱われることは稀でしょうし、
革命に2種類あることを学ぶ機会もまずないでしょう。


日本人の学者が書いた
フランス革命の概説書も、
かつてほど賛美一辺倒でないにしても、

基本的な認識として、
肯定的にフランス革命をとらえているものがほとんどです。


中川氏の本書をスタートに、
より深く学ぼうとした場合の、
信頼の置ける参考書がほしいなあ、と思っています。

まじめに勉強して、気がついたら極左路線に一直線では困ります。


さらにいえば、
フランス革命について勉強しようと思うと、

中川氏のいう「狂信派」の文献の方が、
訳がこなれていて、予定調和な世界が描かれているからか、
わかりやすいものが多いので注意する必要があります。


最近の「良識派」の研究として、

ルネ・セディヨ著、山崎耕一 訳
『フランス革命の代償』(草思社、1991年9月)

をあげていましたので、この機会に購入しました。
豊富なデータが整理してある便利な本なので、
通読しておこうと思います。


そのほか、
「フランス革命に関する、
 マルクス主義的なドグマなどに基づかない、
 邦訳された代表的著作」(122頁)として、

1) エドマンド・バーク著、半澤孝麿 訳
 『フランス革命の省察』(みすず書房、1978年)
  ※他にもいくつか翻訳がありますが、半澤訳が一番正確です。
  ※原著は1790年。

2) アレクシス・ド・トクヴィル著、井伊玄太郎 訳
 『アンシャン・レジームと革命』
 (りせい書房、1974年。のち講談社学術文庫、1997年)
  ※小山勉の新訳『旧体制と大革命』(ちくま学芸文庫、1997年)もある。
  ※原著は1856年。

3) イポリット・テーヌ著、岡田真吉 訳
 『近代フランスの起源―旧制時代(上・下)』
 (角川文庫、1963年。全12巻のうち最初の2巻分の翻訳)
  ※原著は1885年。

4) D・モルネ著、坂田太郎・山田九朗 訳
 『フランス革命の知的起源(上・下)』
 (勁草書房、1969・1971年)
  ※原著は1933年。

5) J・L・タルモン著、市川泰治郎 訳
 『フランス革命と左翼全体主義の源流』
  (拓殖大学海外事情研究所、1964年)
  ※原著は1951年。

をあげています。

3・4・5は未読なので、
近々手に入れたいと思っています。

未だ邦訳のない重要文献も多いようなので、
遅ればせながら、語学力の鍛錬も続けたいと思います。

2012年10月30日火曜日

【読了】ルブラン 『奇巌城』(南洋一郎 編訳)

フランスの小説家
モーリス・ルブラン(1864-1941)の
小説『奇巌城』(1909年)を読みました。

先日の『怪人二十面相』に続き、
ポプラ社のレトロな表紙にひかれて、
手にとってみました。


モーリス・ルブラン原作/南洋一郎 文
『怪盗ルパン全集 奇巌城』
(ポプラ文庫、平成22年1月)

中高生のころ、
ホームズに多少はまっていたからか、
ルパンの方はあまり興味がわかず、
これまで読む機会はありませんでした。

『奇巌城』はルブラン45歳のとき(1909年)に発表された作品だそうです。

コナン・ドイルほど緻密に、
理で詰めてあるわけではありませんが、
その分、感情に訴える要素が多く、
先へ先へと楽しんで読み終えることができました。

ただしホームズのぞんざいな扱われ方に、
ホームズに熱を上げている頃であれば、
怒り心頭だったかもしれません。

まあ今なら、別個の小説として楽しめそうです。


文章は、
江戸川乱歩よりは流れが悪く感じましたが、

翻訳であることを考えれば、
かなり読みやすい日本語になっていると思います。

余暇の楽しみに、
一冊ずつ、時間をみつけて読んでいきましょうか。


 ***

せっかくなので、
ポプラ社から出版された
南洋一郎(1893-1980)編訳のルパンについて少し調べました。

何度も再刊されているので、
なんだか良くわからない状況でした。


今回手にした
レトロな表紙の「怪盗ルパン全集」は、

 昭和33~36年(第 1-15巻)
 昭和46・47年(第16-25巻)
 昭和49~55年(第26-30巻)

と20年の長きにわたって刊行され、
全30巻で完結しています。
(翻訳者の南氏は昭和55年に亡くなっています。)

しかし時代を反映してか、
ルブラン原作の非ルパン作品や、
南洋一郎による模倣作(第13巻)、
ボアロー&ナルスジャックによる模倣作(第26-30巻)も含めた「全集」であったため、

ルブラン原作のルパンを再現するという意味では、
少なからず問題がありました。


そこで平成11・12年にかけて、
ルブラン原作のルパン作品だけを選び、
出版順に配列しなおした「新訂/シリーズ怪盗ルパン」
全20巻が刊刊されました。

ひらがなが漢字に変わったり、
漢字がひらがなに変わったりしている所もありますが、
文章はおおむねそのままで、ルビも多いです。

挿絵が変わっている点、
大きく印象が異なりますが、

細かな異同を気にしなければ、
今はこちらの新訂版で読むのが良いのかもしれません。



つまり新訂版も出ている中で、
平成21・22年に、昔の「怪盗ルパン全集」に遡って、
ポプラ文庫から復刊されたことになります。

確かに、
ルパンの受容史を考えると、
南氏による「怪盗ルパン全集」全30巻の資料的価値は
少なくないでしょう。

おどろおどろしい印象的な表紙と挿画にも一定の需要があると思います。


ただし今のところ、
全30巻中の第15巻まで、
しかも南氏の模倣作とみられる第13巻は復刊されていないので、
計14巻が復刊されていることになります。

資料的な価値を考えれば、
むしろ模倣作のほうを復刊してほしいなと思うのですが、
売れ行きしだいなのかもしれません。



◯怪盗ルパン全集(ルブラン原作/南洋一郎 文)全30巻
※第26-30巻は、ボアローとナルスジャックの共作による模倣作。

『怪盗ルパン全集1 奇巌城』
(ポプラ社、昭和33年5月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂シリーズ4 奇巌城』(平成11年12月)

『怪盗ルパン全集2 怪盗紳士』
(ポプラ社、昭和33年6月。ポプラ社文庫、昭和63年4月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂/シリーズ1 怪盗紳士』(平成11年11月)

『怪盗ルパン全集3 8・1・3の謎』
(ポプラ社、昭和33年7月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂/シリーズ6 813の謎』(平成11年12月)

『怪盗ルパン全集4 古塔の地下牢』
(ポプラ社、昭和33年8月。ポプラ社文庫、昭和63年6月に再録。
 ポプラ文庫、平成21年12月に再録)
  →『新訂/シリーズ7 古塔の地下牢』(平成12年1月)

『怪盗ルパン全集5 八つの犯罪』
(ポプラ社、昭和33年10月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に再録)
  →『新訂/シリーズ13 八つの犯罪』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集6 黄金三角』
(ポプラ社、昭和33年12月。ポプラ社文庫、昭和63年7月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に再録)
  →『新訂/シリーズ10 黄金三角』(平成12年1月)

『怪盗ルパン全集7 怪奇な家』
(ポプラ社、昭和33年12月。ポプラ社文庫、昭和63年6月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に再録)
  →『新訂/シリーズ17 怪奇な家』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集8 青い目の少女』
(ポプラ社、昭和34年3月。ポプラ社文庫、昭和63年4月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年3月に『緑の目の少女』と改題し再録)
  →『新訂/シリーズ15 緑の目の少女』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集9 怪盗対名探偵』
(ポプラ社、昭和34年5月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年4月に再録)
  →『新訂/シリーズ3 ルパン対ホームズ』(平成11年11月)

『怪盗ルパン全集10 七つの秘密』
(ポプラ社、昭和34年6月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年4月に再録)
  →『新訂/シリーズ8 七つの秘密』(平成12年1月)

『怪盗ルパン全集11 三十棺桶島』
(ポプラ社、昭和34年11月。ポプラ社文庫、昭和63年5月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年4月に再録)
  →『新訂/シリーズ11 三十棺桶島』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集12 虎の牙』
(ポプラ社、昭和35年1月。ポプラ社文庫、昭和63年7月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年7月に再録)
  →『新訂/シリーズ12 虎の牙』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集13 ピラミッドの秘密』
(ポプラ社、昭和36年10月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録。)
  ※南氏による模倣作と推定されている。

『怪盗ルパン全集14 消えた宝冠』
(ポプラ社、昭和36年10月。ポプラ社文庫、昭和63年8月に再録。
 ポプラ文庫、平成22年7月に再録)
  →『新訂/シリーズ5 消えた宝冠』(平成11年12月)

『怪盗ルパン全集15 魔女とルパン』
(ポプラ社、昭和36年11月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
 ポプラ文庫、平成22年7月に再録)
  →『新訂/シリーズ14 魔女とルパン』(平成12年2月)

『怪盗ルパン全集16 魔人と海賊王』
(ポプラ社、昭和46年8月)※ルブラン原作の非ルパン作品。

『怪盗ルパン全集17 ルパンの大冒険』
(ポプラ社、昭和46年9月。ポプラ社文庫、昭和63年8月に再録)
  →『新訂/シリーズ19 ルパンの大冒険』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集18 まぼろしの怪盗』
(ポプラ社、昭和46年9月)

『怪盗ルパン全集19 ルパンの大失敗』
(ポプラ社、昭和46年10月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
  →『新訂/シリーズ2 ルパンの大失敗』(平成11年11月)

『怪盗ルパン全集20 妖魔と女探偵』
(ポプラ社、昭和46年11月)※ルブラン原作の非ルパン作品。

『怪盗ルパン全集21 ルパンの名探偵』
(ポプラ社、昭和47年4月。ポプラ社文庫、昭和63年9月に再録)
  →『新訂/シリーズ16 ルパンの名探偵』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集22 悪魔の赤い輪』
(ポプラ社、昭和47年5月)※ルブラン原作の非ルパン作品

『怪盗ルパン全集23 ルパンと怪人』
(ポプラ社、昭和47年6月)
  →『新訂/シリーズ18 ルパンと怪人』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集24 ルパン最後の冒険』
(ポプラ社、昭和47年8月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
  →『新訂/シリーズ20 ルパンの最後の冒険』(平成12年3月)

『怪盗ルパン全集25 ルパンの大作戦』
(ポプラ社、昭和47年11月。ポプラ社文庫、昭和51年11月に再録)
  →『新訂/シリーズ9 ルパンの大作戦』(平成12年1月)

◇ボアロー&ナルスジャック原作/南洋一郎 文
『怪盗ルパン全集26 悪魔のダイヤ』(ポプラ社、昭和49年3月)
『怪盗ルパン全集27 ルパンと時限爆弾』(ポプラ社、昭和49年12月)
『怪盗ルパン全集28 ルパン二つの顔』(ポプラ社、昭和51年4月)
『怪盗ルパン全集29 ルパンと殺人魔』(ポプラ社、昭和54年7月)
『怪盗ルパン全集30 ルパン危機一髪』(ポプラ社、昭和55年3月)


◯新訂/シリーズ怪盗ルパン(ルブラン原作/南洋一郎 文)全20巻

『新訂/シリーズ怪盗ルパン1 怪盗紳士』
(ポプラ社、平成11年11月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集2 怪盗紳士』(昭和33年6月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン2 ルパンの大失敗』
(ポプラ社、平成11年11月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集19 ルパンの大失敗』(昭和46年10月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン3 ルパン対ホームズ』
(ポプラ社、平成11年11月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集9 怪盗対名探偵』(昭和34年5月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン4 奇巌城』
(ポプラ社、平成11年12月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集1 奇巌城』(昭和33年5月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン5 消えた宝冠』
(ポプラ社、平成11年12月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集14 消えた宝冠』(昭和36年10月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン6 813の謎』
(ポプラ社、平成11年12月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集3 8・1・3の謎』(昭和33年7月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン7 古塔の地下牢』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集4 古塔の地下牢』(昭和33年8月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン8 七つの秘密』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集10 七つの秘密』(昭和34年6月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン9 ルパンの大作戦』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集25 ルパンの大作戦』(昭和47年11月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン10 黄金三角』
(ポプラ社、平成12年1月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集6 黄金三角』(昭和33年12月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン11 三十棺桶島』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集11 三十棺桶島』(昭和34年11月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン12 虎の牙』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集12 虎の牙』(昭和35年1月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン13 八つの犯罪』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集5 八つの犯罪』(昭和33年10月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン14 魔女とルパン』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集15 魔女とルパン』(昭和36年11月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン15 緑の目の少女』
(ポプラ社、平成12年2月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集8 青い目の少女』(昭和34年3月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン16 ルパンの名探偵』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集21 ルパンの名探偵』(昭和47年4月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン17 怪奇な家』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集7 怪奇な家』(昭和33年12月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン18 ルパンと怪人』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集23 ルパンと怪人』(昭和47年6月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン19 ルパンの大冒険』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集17 ルパンの大冒険』(昭和46年9月)

『新訂/シリーズ怪盗ルパン20 ルパンの最後の冒険』
(ポプラ社、平成12年3月。ポプラ社 文庫版、平成17年2月に再録)
  →『全集24 ルパン最後の冒険』(昭和47年8月)


※wikipedia の「モーリス・ルブラン」「アルセーヌ・ルパン」
        「コナン・ドイル」「シャーロック・ホームズシリーズ」
        「南洋一郎」の各項目を参照。

※ポプラ社のHP〈http://www.poplar.co.jp/〉を参照しました。

2012年10月27日土曜日

【読了】Miguel de Cervantes, Don Quixote(PAR Level2)

やさしい英語の本、通算31冊目
Penguin Active Reading Level2 の3冊目、

スペインの作家
ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)の
冒険物語『ドン・キホーテ』を読みました。



Miguel de Cervantes
Don Quixote

Retold by Nancy Taylor
(Penguin Active Reading のLevel2)
2008年刊(11,223語)



これまで全く読んだことがなかったので、
簡単なあらすじをがわかるものはないか探し、

 バラエティアートワークス編
 『まんがで読破 ドン・キホーテ』
 (イースト・プレス、平成21年3月)


を一読しました。
1日あれば読める分量のマンガでまとめてあるので、
とりあえずどんな作品か知りたい方にはお薦めです。


実際読んでみると、
スペインの地名、人名は読み方がわからず、
あらすじもそれほど頭に入っていないので、
若干読みにくくもありましたが、

2週間ほどで、楽しんで読み終えることができました。


これまで、ドン・キホーテの名前のみ聞いて、
かっこいい、模範的な騎士の話なのかと思っていたのですが、
もっと滑稽な、でも純粋で愛すべき老人のお話で、

確かに不思議な魅力をそなえた、
楽しい小説であることはよく理解できました。


近々翻訳でも読んでみようと思います。

邦訳は次のようなものが出ています(網羅していません)。


◎完訳

 堀口大學 訳
 『ドン・キホーテ』(新潮社、昭和40年)
  ※前篇のみ。『世界文学全集』(講談社、昭和51年3月)に再録。

 永田寛定 訳
 『ドン・キホーテ 正篇 第1・2・3/続編第1・2』
 (計5冊。岩波文庫、昭和23・24・26/28・50年)※完結前に病没。

 高橋正武 訳
 『ドン・キホーテ 続編 第3』
 (岩波文庫、昭和52年)※永田訳の完結を引継ぐ。

 会田由 訳
 『ドン・キホーテ 前篇1・2/後篇1・2』
 (全4冊。ちくま文庫、昭和62年6~9月)

  ※会田訳の初出は
   『世界文学全集(決定版)第三期』(河出書房新社、昭和33年)。
   ただし1巻本なので、編訳か、前篇のみの完訳と思われますが、

   未確認です。その後、いくつかの文学全集に再録されていますが、
   詳しい異同は調査中。
   4巻本の初出は、晶文社、昭和60年2・4・5・6月です。

 牛島信明 訳
 『ドン・キホーテ』(全6冊。岩波文庫、平成13年1・2・3月)

 萩内勝之 訳
 『ドン・キホーテ』(全4冊。新潮社、平成17年10月)



◎編訳

 永田寛定 編訳
 『ドン・キホーテ』(全1冊。岩波少年文庫、昭和26年)

 牛島信明 編訳
 『ドン・キホーテ』(全1冊。岩波少年文庫、平成12年6月)

 草鹿宏 編訳
 『ドン・キホーテ』(全1冊。集英社 少年少女世界名作の森、平成2年4月)

 窪田般弥 編訳
 『ドレ画 ドン・キホーテ物語』(全1冊。現代教養文庫、平成2年12月)

 安藤美紀夫 編訳
 『ドン=キホーテ』
 (全1冊。講談社 21世紀版少年少女世界文学館、平成23年3月)

 ヴィルジリ・妙子、ヴィルジリ・クリスティーナ・幸子 編訳
 『ドレの絵で読む ドン・キホーテ』(全1冊。精興社、平成23年3月)

 谷口江里也 編訳
 『ドレのドン・キホーテ』(全1冊。宝島社、平成24年1月)


◎事典、解説書

 樋口正義・本田誠二・坂東省治・山崎信三・片倉充造 編
 『「ドン・キホーテ」事典』
 (行路社、平成18年1月)

 中丸明 著
 『丸かじり ドン・キホーテ』
 (新潮文庫、平成14年7月。初出は日本放送出版協会、平成10年6月)

 牛島信明 著
 『ドンキホーテの旅 ― 神に抗う遍歴の騎士』
 (中公新書、平成14年11月)

 山浦宣 著
 『ドン・キホーテを読む暇がない人の本』
 (東京図書出版会、平成19年10月)




たくさんありますが、
まずは定評のある牛島信明 訳(全6冊。岩波文庫)でしょうか。

教室には同氏の編訳した岩波少年文庫を置いてあります。

解説書として手に入れた同氏の『ドンキホーテの旅』(中公新書)もわかりやすく、よくまとまっていました。



※計31冊 計256,660語。


2012年10月23日火曜日

【読了】塩野七生『ローマ人の物語13』


塩野七生 著
『ローマ人の物語13 ユリウス・カエサル ルビコン以後[下]』
(新潮文庫、平成16年10月。初出〔単行本〕は新潮社、平成8年3月)

※第七章 「三月十五日」Idus Martiae
     紀元前四四年三月十五日~前四二年十月

 第八章 アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス
     紀元前四二年~前三〇年

 エピローグ/カエサル年記/参考文献


文庫本で6冊からなるカエサルの評伝、
ほぼ十ヶ月かけてようやく読了しました。

本冊では、
カエサルが亡くなってしばらくの混乱を経て、
オクタヴィアヌスが彼の遺志を継ぐまでの過程が描かれていました。


カエサルが殺されてしまったのだから、
さらにもう1冊、何を書くことがあるのだろう、
と思っていたのですが、

暗殺者たちが
カエサルを殺しはしたけれど、
その後のことを何も考えていなかった事実に愕然とし、

そうした中で、
カエサルがこれ以上ない適任者を、
後継者として選んでいた事実に驚嘆し、

歴史上、奇跡的に成功した
権力継承の過程を、興味深く読み進めることができました。


権力の継承とは、
基本的にうまくいかないものだと思い込んでいたのですが、
突然の死に際してなお、

またとない適任者を自分の後に残し得たのですから、

西洋史を学ぶ者にとって、
カエサルが特別な人物になるのも当然だと思いました。


元は、カエサルといわれても、
名前しか知らない状態で読み始めましたが、

本書を起点として、
自分なりに知見を深めることができました。


一素人の身でも飽きることなく、
楽しんで読み終えることができたのは、
塩野さんの筆力の賜物でしょう。


これでようやく、
シリーズの3分の1を読み終えることができました。
マイペースで、また1冊ずつ読み進めて参ります。

2012年10月16日火曜日

【読了】江戸川乱歩 『少年探偵 怪人二十面相』

江戸川乱歩(1894 - 1965)が
41歳のとき(1936)に発表された
少年向けの探偵小説『怪人二十面相』を読みました。


江戸川乱歩 著
『少年探偵 怪人二十面相』
(ポプラ文庫、平成20年11月)
 ※巻末に「この作品は、昭和三十九年にポプラ社より刊行されました」とある。
  もともとの初出は『少年倶楽部』昭和11年1月から12月。


ポプラ社の「少年探偵」シリーズの表紙は、
小中学生のころ、学校の図書室でみた記憶が残っています。

しかし表紙のおどろおどろしい雰囲気が嫌で、
実際に読んでみることはありませんでした。


江戸川乱歩については、
高校のときにこれまた学校の図書室で、

渡部昇一氏の『発想法』(講談社現代新書)を読んでいたときに、
江戸川乱歩の興味深い話が出て来て、
強く印象に残ったのを覚えています。

しかしこのときも、
独特なオカルトのほの暗い雰囲気が苦手で、
読んでみようとは思いませんでした。


結局今まで、
乱歩を読む機会はなく、このまま
縁はないのかなとも思っていたのですが、

最近になって復刊されたようで、
懐かしい表紙はそのままに、
本屋の棚に見かけるようになったのに惹かれ、
1冊手にとってみたのですが、

「です・ます」調の美しく丁寧な日本語で、
大変わかりやすく書かれていることに感心し、

こんな文章が書けたらな、と思って読んでいるうちに、
どんどん惹き込まれ、楽しんで読み終えることができました。


トリック自体は、
今読むと若干稚拙かな、
と感じさせるところもありますが、

昭和11年に書かれたことを思えば、
驚くほど若々しい感性で、

今でも十分に読者を魅了する力のある
娯楽小説に仕上がっていると思いました。


今から86年前の子ども向けの作品が、

思いのほか美しく上品で、
なおかつわかりやすい日本語で書かれていたことを知り得たのは、
一番の収穫でした。


一気にシリーズ全部を読み通す必要もないので、
時折暇をみて、読み進めていこうと思います。


※wikipedia「江戸川乱歩」の項目を参照。

2012年10月10日水曜日

【再読】中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 第Ⅰ部(第一・二・三章)

中川八洋氏の著書から1冊選ぶとしたら、
氏が51歳(平成8年)のときに執筆された
『正統の哲学 異端の思想』を挙げます。

20代の半ば、
大学院に進んで間もなく本書に出会い、
大きな知的刺激を受けました。

本書で中川氏が紹介された
良書リストを自分でもたどり直し、
熟読吟味する日々は実に楽しいものでした。

少々勉強する時間ができた機会に、
『正統の哲学 異端の思想』以降の著作群を、
再読していこうと思っております。

(2012-2/20付のブログを修正し、再掲。
 途中で挫折したので、再挑戦。旧稿は削除しました)



中川八洋 著
『正統の哲学 異端の思想 ―「人権」「平等」「民主」の禍毒―』
(徳間書店、平成8年11月)

執筆の意図(「はしがき」を適宜要約)。

 平成3年(1991)12月に
 ソ連邦が崩壊したことによって、
 共産主義・全体主義思想の非なることが
 明らかになったにも関わらず、

 自由社会に深く入り込んだ
 全体主義思想の駆除作業を行なうことも、

 自由社会の維持と発展に不可欠な、
 哲学的支柱を再構築することもなかった、

そんな日本の状況を憂い、

 表現スタイルを変えるだけで、
 悪性ウイルスのように何度でも蘇生する、
 全体主義の教義(異端の思想)に対抗すべく、

 自由社会の基軸となる
 「正統の哲学」を再構築する必要がある、

と考え、
4年の歳月をかけて執筆されたのが、
本書です。

   ***

それから20年が過ぎて、
共産主義・全体主義的な思想は、結局、
駆除されぬまま生き残り、表現スタイルのみ変え、
「保守」に偽装し、蔓延するようになって来ました。

相応の知力がなければ、
自由社会の真の「敵」を
見つけにくくなっている現状だと思います。

自由社会に生きる我々が、より具体的に、
自由社会が立脚する哲学的な基軸について
理解しようと思えば、

いまだ本書をこえるものはありません。
本書を再読する理由です。



◎「第Ⅰ部 総論 ― 真正自由主義離脱の代償」(第一~三章)

▽「第一章 近代がうんだ「反・近代」― 全体主義の源流フランス革命」

・欧米の近代には、
 二つの潮流があります。

 その一つは、

 *「正統の哲学」に立脚する、
  英国の名誉革命(1688年)や
  米国の建国(1788年)から生まれた、
  “自由を尊重する正しい自由主義(真正自由主義)”

 の流れであり、もう一つは、

 *「異端の思想」に立脚する、
  フランス革命(1789年)から生まれた、
  “自由を否定する狂ったデモクラシー(民主主義)”

 の流れです。


・平成3年(1991)に崩壊した
 ソ連体制を生んだロシア革命(1917年)の源流は、
 「悪の起源」たるフランス革命(1789年)にまでさかのぼることができます。


・フランス革命の宗教的教義として、
 「理性教」と呼ばれる理性への盲信がありました。

 理性教の生みの親はデカルト、
 理性教の大成者はルソー、
 その教義を受け継いだのがマルクスです。

以上、大まかに過ぎる要約でした


西欧の思想に、

「正統の哲学」たる真正自由主義
「異端の思想」たる民主主義(全体主義)

二つの大きな流れがある、とは、
本書で初めて教えられた考え方でした。

いったん腑に落ちてくると、
たいへん役に立つのですが、

それまで
自分なりに積み重ねてきた物の見方を、
いったん突き崩さねばならない
心理的な抵抗感もあったからか、

自分の中で、
本当に消化されて来るまでには、
十年位かかったように思います。



▽「第二章 「進歩」という狂信」

本章では、
ロシア革命(1917年)の思想的要因たる
「社会主義(共産主義)思想」への批判として、

主にベルジャーエフ、
それからハイエク、ラッセルによりつつ、
進歩を盲信する宗教たる「社会主義(共産主義)思想」
についての分析を行なっています。

その上で、
マルクス・レーニン主義へと至る、
社会主義(共産主義)思想の系譜を、

 「マルクス・レーニン主義の根/幹/枝/花」(図-1、45頁)
 「全体主義思想(狂信の哲学)の系譜」(図-2、47頁)

の2つの図にまとめてあります。

以上、これまた大まかに過ぎる要約でした


本章で役に立つのは、
デカルト、ルソーから
マルクス・レーニン主義へと至る
全体主義(共産主義・社会主義)思想の
系譜について概観してあるところです。

こうした整理は、
初学者にとって一番有用であるにもかかわらず、
研究者の本当の力量が問われることから、
西洋思想史の概説を読んでいても、
どこにも触れられていないことが多いです。

必ずしも中川案を
そのまま受け入れる必要はないと思いますが、
大体の流れとしては、
今のところこれで誤りないと考えています。


本章で肯定的に取り上げられている
ベルジャーエフは、以前は深遠すぎて、
私には良くわからなかった記憶があります。
そろそろまた読んでみようかなと思っております。

もう一点、ラッセルの著作について、
1950年代以降に「親ソ」一辺倒に染まるまでは
見るべき成果もあって、
 『ロシア共産主義』(1920)
 『西洋哲学史』(1945)
の2書を挙げてあるのは参考になりました。
こちらは未読なので、読んでみようと思います。



▽「第三章 真正自由主義(伝統主義、保守主義)」

はじめに、近代政治思想の潮流を概観してあります。

・西洋近代の政治思想には

  一、真正自由主義
    (英米では「保守主義」という。「小さな政府」派)
  二、左翼的自由主義
    (米国では「リベラリズム」という。「大きな政府」派)
  三、全体主義
    (社会主義・共産主義に代表される)

 の三つの潮流があり、
 全体主義と真正自由主義とは、水と油の対立関係にあります。

・全体主義は、しばしば
 デモクラシー(民衆参加型の政治制度)から生み出されます。

・日本の「保守」は、
 そのほとんどが左翼的自由主義者であり、
 真正自由主義者はほぼ壊滅しています。


続いて、真正自由主義の開祖について解説しています。
取り上げられているのは、

・フランス革命に対する激越な批判を行い、
 自由社会の生き残る正統な道筋を明示した、
 真正自由主義(保守主義)の開祖たる
  エドマンド・バーク

・20世紀が生んだ
 真正自由主義の偉大な政治家たる
  ウインストン・チャーチル(英国首相)、
  マーガレット・サッチャー(英国首相)、
  ロナルド・レーガン(米国首相)、

・真正自由主義の大思想家たる
  フリードリヒ・フォン・ハイエク

の5名です。


最後に、

良書を見分ける際に
排除すべき三つのポイントとして、

(a) 人間の理性への過剰な信頼、
  「理性主義」「合理主義」への信仰。

(b) 人間が完全なものへと進歩すること、
  完全な人間社会が未来に出現することを確信する、
  「未来主義」「進歩主義」への信仰。
  過去への侮蔑・憎悪。

(c) 人間の平等と民衆への過剰な期待、
  「平等主義」への信仰。
  人民崇拝教。

を挙げ(71頁)、

健全で有益な思想家「正統の哲学者」27名と、
危険で有害な思想家「狂信の思想家」27名を、

 「『正統の哲学』者と『狂信の哲学』者」(表-2、73頁)

としてそれぞれの主著とともに整理、紹介しています。

以上、要約でした。


仕事を持つと
読書の時間は限られて来ますので、

悪書を遠ざけ、良書を読むのに
できる限り時間を割きたいものです。

ここで大まかにせよ、
一つの道しるべを整えて下さったことは大変有益であり、
実際とても役に立って来たことを告白しておきます。

良書については、巻末の
「文献リスト ― 『悪書』の過剰と『良書』の欠乏」
でもう一度詳しく取り上げています(350 - 358頁)。


本書によって初めて、
バークの存在とその重要性について知りました。

ただし『フランス革命の省察』は
時代背景などが良くわかっていないと
なかなか手強い書物で、

まだもう少し自分の勉強が深まるまで取ってあります。


どちらかと言えば、
ハイエクを読むことに集中したいと思っていたのですが、
いざ読んでみるとハイエクもまた難解で、

今はハイエクを理解する前提として、
アダム・スミスとミルトン・フリードマンに取り組んでいます。

スミスはこなれた翻訳があり、
フリードマンは議論がわかりやすいです。

2012年10月8日月曜日

【読了】小川榮太郎 『約束の日 ― 安倍晋三試論』


小川榮太郎 著
『約束の日 ― 安倍晋三試論』(幻冬舎、平成24年9月)

総裁選前に書き終える予定だったのですが、
先に、自民党総裁への復帰が決まりました。

今から5年前、
短命に終わった安倍政権の1年を、
安倍元総理を擁護する立場から、
勢いのある筆致で振り返る、
時宜をえた評論の試みです。

章立ては、

 Ⅰ 安倍晋三内閣発足
 Ⅱ 組閣
 Ⅲ 教育基本法改正
 Ⅳ スキャンダル暴き
 Ⅴ 正面突破の「戦う政治」
 Ⅵ 大臣の死
 Ⅶ 年金記録問題「炎上」
 Ⅷ 孤独な続投宣言
 Ⅸ 健康問題と靖国
 Ⅹ 辞任

となっております。


辞め方が
あまりに不甲斐ないものであったため、
しばらく正当な評価は難しかったと思いますが、

近年の、政治の不甲斐なさとともに、
与党(民主党)の失政をロクに批判しない
マスコミの偏向ぶりをみていると、

安倍元総理が、5年前に、
マスコミの不当に過ぎる激しいバッシングの中で、

どれだけのことを成し遂げていたのか、
改めて考えなおしたいと思っておりました。

本書は良いきっかけとなりました。


   ***

小川氏の判断の基準は、
どちらかの党派に立つというよりも、
人としての「常識」に基づくもので、
早坂茂三氏の田中角栄論に相通じるものを感じました。

小川氏は、安倍元総理の秘書でなく、
長年寄り添って来られたわけでもないので、
まだまだ見方が浅いかな、と思わせられる所もありますが、

嘘によって相手を貶め、傷をつけ、
引きずり下ろさんとする悪意に満ちた
安倍評とは一線を画しており、

特に内政面、教育基本法改正への正当な評価や、
マスコミによる不当に過ぎるバッシングを
わかりやすく整理されている点は、
たいへん参考になりました。



問題があるとすれば、
小川氏が論じられなかった点でしょうか。

内政面への記述の充実ぶりに比べて、
外交面については、
それほど評価すべき成果がなく、
むしろ明らかな失政が目立っていたからか、
記述が弱いように思われました。


安倍元総理を擁護する著述の意図からして
仕方のないことかもしれませんが、

安倍政権の失政についても、
より的確に論じられていたらなお良かったと思います。


一点取り上げておくと、

小川氏は、安倍政権のスローガン
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を高く評価されていますが、

私はこのスローガンは、
意味不明瞭で誤解を招きやすく、
失政の最たるものであったと考えています。



以下その理由


安倍元総理は、
かつて政権のスローガンとして
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を唱えられました。

しかしこのスローガンは、わかりにくい上に、
非常に誤解を招きやすいものであったと思われます。


なぜなら、
 日本の「戦後」=「自由主義体制」
 「戦前・戦中」=「全体主義体制」
という一般的な図式からいえば、

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」

とは、ごくふつうに、

 「戦後体制(=自由主義体制)からの脱却」を意味し、
 「戦前・戦中体制(=全体主義体制)への回帰」を意図する、

極右の扇動的なスローガンだと解釈できるからです。


   ***

戦後の日本が、
総じて「自由主義体制」のもとで、
飛躍的な発展を遂げてきたことは、

一部で、
全体主義的な政策が実施されてきたにしても、
大勢として間違いないでしょう。


同様に、
戦前・戦中の日本が、
総じて「全体主義体制」への強いあこがれのもと、
国家破滅への道を突き進んでいたことは、

ギリギリまで、
自由主義的な体制が生き残っていたにしても、
大勢として誤りないと思います。


つまりごく一般的な、
 日本の「戦後」=「自由主義体制」
 「戦前・戦中」=「全体主義体制」
という見方からすれば、

安倍政権のスローガン
「戦後レジーム(体制)からの脱却」とは、

戦後体制(=自由主義体制)から離脱し、
戦前・戦中体制(=全体主義体制)に回帰することを志す、

極右のスローガンだと見なすのが、
ごく穏当な解釈ということになってしまうのです。



これが明らかな誤解ならまだ良いのですが、
必ずしもそうとも言い切れないのは、

安倍元総理が、総理就任後間もなく、

 自由主義国家・米国から一定の距離を置き、
 全体主義国家・中国におもねる態度を取ることで、

心ある日本国民の大きな失望をまねいた事実を思い出すからです。


前任の小泉元首相が、

 全体主義国家・中国から一定の距離を置き、
 自由主義国家・米国との友好を大いに深めたのと、

真逆の外交を行ったのは、
他ならぬ安倍元総理であったことを忘れてはならないでしょう。


こうした不審な振る舞いも、
戦後体制(=自由主義体制)から脱却し、
戦前・戦中体制(=全体主義体制)へと回帰せんとする、

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
を実践したまでだと考えれば、
ふつうに合点がいくのです。


安倍元総理の外交面でのセンスの無さは、
当然批判の対象にされるべきだと思います。

今後、仮に政権奪取が実現しても、再び安易に
「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱えるようであれば、

私には期待よりむしろ、
不安の面が大きくなることを告白しておきます。


   ***

おそらく好意的に解釈すれば、

安倍元総理がいう「戦後体制」とは、
主に、占領体制下において部分的に実施された
全体主義的政策のことをさすのだろう、
と推測されるのですが、

「戦後レジーム(体制)」と聞いて、ただちに
「占領下における全体主義的政策」のことが思い浮かぶのは、
ごく少数だと思います。


また仮に、限定的に、

「戦後レジーム(体制)」
 =「占領体制下で部分的に実施された全体主義的政策」

と定義するにしても、それでは、

・全体主義的政策が、
 すでに戦前・戦中において、
 日本主導で数多く計画、実施されていた事実、

・占領下の全体主義的政策も、
 戦中から日本主導で準備、計画されていたものが少なくない事実、

から目を背けることになり、
やはり適切な定義ではないと考えられます。


つまり「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げて、

現代日本の発展を阻害している全体主義的政策が、
すべて占領制下に実施されたかのように理解することは、

戦前・戦中の日本が、
すでにどっぷりと全体主義的な政策に染まり、
敗戦間際には「共産革命」前夜ともいえる惨状にあった事実から
目を背けることにもなりかねません。

日本自らの責任を棚に上げて、不都合な現実はすべて、
アメリカが主導した占領体制のせいだと思い込むのは
事実に反しており、不誠実です。


   ***

もし安倍元総理が、

 (戦後の)自由主義体制からの脱却、
 (戦前・戦中の)全体主義体制への回帰

ではなく、

 (戦後の)自由主義体制の堅持

は当然のこととして、より限定的に、

 占領体制下において、
 部分的に実施された全体主義的政策からの脱却

を意図していたのであれば、より正確に、

 独立回復後の日本に残された
 「戦時レジーム(戦時体制=全体主義的政策)からの脱却」

とするのが正しいスローガンであったと思われます。


あくまで「自由主義体制」の堅持を明確にした上で、

戦前・戦中・占領下をふくめて、
日本で計画、立案、実施されてきた「全体主義的政策」を、
洗いざらい見直すのだ、と言われれば、
どこにも異論の余地はありません。


独立回復後の日本において、色濃く残された
 「戦時体制(=全体主義的政策)からの脱却」

と言われれば、

戦後日本の繁栄の礎となった
「自由主義体制」から離脱していくかのような誤解は、
間違っても受けなかったと思われます。



以上をまとめると

安倍元総理が用いた
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」
というスローガンは、

 戦後体制(=自由主義体制)から離脱し、
 戦前・戦中体制(=全体主義体制)に回帰することを志す、

極右のスローガンと解釈しうるので、
不適切だったと思われます。


戦後の「自由主義体制の堅持」は当然のこととして、

戦前・戦中・占領下をふくめ、
日本で計画、実施されてきた「全体主義的政策」を、
洗いざらい見直すという意味で、

 「戦時体制(=全体主義的政策)からの脱却」

というスローガンであれば、
誤解はなかったと考えます。



※安倍元総理への正当な批判としては、
 中川八洋「“堕落と転落”の自民党二十年史」
 (『民主党大不況』清流出版、平成22年)284~290・314頁を参照。

※本稿にいう「自由主義」とは、
 歴史と伝統にもとづく自生的秩序(ハイエク)が
 保守、尊重されることを前提とした「自由主義」であり、
 弱肉強食を当然とする「自由放任主義」のことではありません。

※安倍元総理の政治的なスローガンとしては、
 新総裁就任時に述べられた
  「強い日本、豊かな日本」
 の方がわかりやすく、訴えかけてくる力があり、秀逸だと思いました。